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こんにちは!ELLIE/すずらんです。
ELLIE/すずらんの日記 [全1913件]
驚くことに、ルナが裁判所をテーマとした小学生対象のポスターコンテストに入選した。 「驚くことに」と書いたのは、たとえ親の贔屓目を抜きにするどころか倍にして足したとしても、入選するような代物とは思えなかったからである(笑)。まあ、あえて言えば、構図的にはユニークだったからなのかもしれない。他の生徒の作品は裁判所の全体図を描いているものが多かったが、ルナのは、画用紙のおよそ4分の3を占めるスペースに、でかでかと 「Justice (and) Law」 と書いてあり、その下に、この前、学校にお話をしに来てくれたという地区裁判所の裁判長が「あなたは無罪です」と笑顔で言っている、というものである。まあ、この大胆な構図は大胆なルナの性格がそのまま反映されたみたいなもので、そこが審査員に訴えるものがあったのだろうか?普段は褒めるアメリカ人の典型みたいな夫も、なぜこの絵が入選したのかと問うと、「うーん」と返事に詰まっていたので、やっぱり良く分からないんだろう。 でも、まあ良い。 その表彰式が行われると言うので、家族全員で出席することにした。 場所は2駅先にある地元の裁判所。建物はオンボロで、こう、どの国の役所にも共通の「どんより感」が漂う。しかも、この道ひとすじ勤続ン十年みたいなオバちゃん事務官がビシリとその場を仕切っているのもこれまたお役所なり。 通されたのは、実際に裁判が行われる法廷である。まるで映画やドラマのセットみたい、と私は一人興奮する。いやあ、映画やドラマはこの本物を元にセットを作っているのよね、と当たり前のことを今さらながら思う。天井はステンドグラスの吹き抜けになっていて、これはなかなか素敵。本棚の中には、手にしたらハラリと崩れ落ちてしまいそうに古くて分厚い本がずらりと並んでいる。 そのうち、裁判長が入場し、全員起立!の号令がかかる。続いて「忠誠の誓い」を全員が述べることになった。アメリカ合衆国旗の前で右手を胸に当て、誓いを述べる、あれである。全員が誓いを唱える中、私は部外者なので、再び、きゃーかっこいー映画みたーい、と心の中で叫び、これじゃ単なるミーハー。 式次第に従い、裁判長とその隣に座っている下院議員のスピーチが始まる。いつも思うのだけど、こういう時の、こういうアメリカの人達のスピーチって本当に上手い。その理由を考えてみたのだが、きっと、小難しいことは言わず、聞き手と同じ目線に立って話をするからだと思う。日本でも、たとえば、話が上手な校長先生っているけど、それはきっと、子供たちと同じ目線で、子供たちも分かるような話を子供たちに分かるような話し方で話すからだと思うのだが、それと同じだ。 この前ルナの学校にお話しに来たという裁判長のスピーチは、子供たちの悪い行ないと言うのは何かと注目されがちだけれど、こうして、良い行ないに対しても注目すべきだ、みたいなことだった。整った白髪の下院議員は、地元出身とのことで、しかも、我が家の近くに実家があったらしい。この辺では良く見かける、トリプルデッカーと呼ばれる3階建ての縦に細長いアパートに、これまたこの辺では良く見かける、一番下に自分の家族、その上におばさん家族、またその上も親戚家族が住む、といった環境で育ったのだとか。おばあちゃんはイタリアからの移民で英語はまともに話せなかったけれど、教育は大事だといつも話していたそうで、一族の中で大学に進学したのも自分が初めてだったとのこと。子供の教育のためにアメリカに移住し、自分はいわゆる3K労働で身を粉にして働き、子供はその親の期待を一心に受けて育つ。。。といった筋書きは、現代のアメリカでも健在だ。この下院議員だって、そういう意味では生きた歴史の証人みたいなもので、そういう人が目の前にいる子供たちに向かって、「いいかい、君たちは世の中を変えることができるんだ」なんて言うと、やっぱり説得力があるわけだ。 この表彰式には裁判所の関係者や議員などが出席すると書いてあったので、やはりそれなりの格好をして行った方がいいのか迷ったのだが、少なくともルナぐらいはきちんとした格好をさせようと、数ヶ月前に義母の誕生日パーティーのために私の母が作ってくれた黒地に白い水玉のワンピースを着せた。案の定、夫は いや、普通の服を着ている子供も、もちろんいた。中高生の中にはスーツ姿でバッチリ決めている子もいたが、よっぽど公式の行事でない限り、服装がバラつくのがアメリカの面白いところ。例えば、この地区はヒスパニック系移民が多いのだが、彼らは、晴れの日の服装となると、社交ダンスラテン部門という感じの、明るい色の、ちょっとピラピラ系の服を着たりする。で、また、これが褐色の肌とメリハリのあるボディーに映えてすごく似合うんだな。ルナと同じ小学校から表彰された女の子も、色は黒だったけれど、やっぱりヒラヒラ系のレースっぽい服を着ていて、頭には大きな黒い造花のついたカチューシャをつけて、それはそれは可愛らしかった。 表彰では、ひとりひとり順番に名前を呼ばれ、前に進み、表彰状を渡され、写真を撮られ、また席に戻って来る。名前を呼ぶのはほぼ同じ人だったが、表彰状を渡す人は、それぞれ違って、裁判所関係者だったり、警察官だったり、地元の名士だったり。プレゼンターがいるなんて、何だか簡易版アカデミー賞授賞式みたいだ。 ルナの学校からは3名が入賞したので、夜遅くにも関わらず、校長先生と渉外部門担当の先生もわざわざ参加してくださった。ありがたいことだ。 表彰はポスターだけでなく、中高生対象としてはスピーチや模擬裁判などの部門もあり、スピーチに関しては受賞者2名がそれぞれスピーチを披露してくれた。見知らぬ人ばかり大勢の前でスピーチをしたにも関わらず、堂々としていて立派だった。 先ほどの下院議員の後に続くような家族構成の参加者が目立った。この地域では大多数を占めるヒスパニック系だけでなく、イスラム教の女性がかぶるスカーフを巻いた女性もいたし、スピーチを終えたアフリカ系アメリカ人と思われる高校生が席に戻る姿を目で追っていたら、隣にいたのはどうも白人の養母らしかった(学校の先生だったのかも知れないが)。 見た目はいろいろだけれど、子供の晴れ姿を笑顔でカメラに納めたりする様子はどの親も一緒で、そして、表彰する側も、誰一人、分け隔てなく、その努力を讃える。都会とは言え、ここはボストンの中でも存在感の薄い、小さな町である。そんな町でさえ、これが当たり前だということ自体、実は当たり前ではないんじゃないだろか。 式の後は、下の部屋に移動して、簡単な会食タイム。トマトソースとチーズ以外何の具も入っていない、冷え冷えに冷え切ったピザに飲み物だけという、これもいかにもアメリカ。ここで、式が終わる時間を見計らって配達された熱々のピザを。。。なんて期待してはいけない(笑) アレックスは一日幼稚園で遊んで疲れ切った後のお出かけで、でろんでろんになっていたが、何とか最後までもってくれた。 写真撮影も含めて2時間ほどかかった式で家族全員疲れたが、ルナの個性あふれる?ポスターのおかげで、またアメリカの片鱗を垣間見るような経験をさせてもらった。ルナも、アレックスも、これからどのようにこのアメリカ社会に組み込まれて行くのか、興味は尽きない。
先日、少し気になる記事を見かけた。 糖尿病でダウン渡辺徹 カルボナーラなどパスタ3皿一気食い 俳優の渡辺徹が、持病の糖尿病と過労を理由に舞台を降板を決定。 妻の榊原郁恵が家庭菜園を持つほどの徹底ぶりで食事の管理をしたにもかかわらず、渡辺徹は地方の仕事を増やして管理の目の届かないところで食べ放題、という生活が続いていた、という記事。 私はこれに対して自分のFacebookにて、 「気持ちはよぉく分かるけど、これは良くないよ。妻の献身が息苦しいなら、ダウンしない程度に「息抜き」しながら自分で管理しなさい」という辛口のコメントを書いたのだが、少し経って思い直して、以下のコメントをつ加えた。 「でも、糖尿病って状態が悪いと、こういう風に歯止めが利かなくなっちゃうんだよね。私も20年ぐらい前はそういう感じだったから、分かる。分かるだけに何とか頑張ってほしいよ。」 その当時大学生だった私は、初めて親元を離れて一人暮らしをしながら学生生活を送っていた。後で糖尿病に関する講義を聴いて分かったことなのだが、糖尿病の状態が悪い場合は、いつまで経っても満腹感を感じることができず、食べ続けてしまうのだと言う。まさに、私がそのような状態だった。アパートの近くにコンビニがあり、真夜中にさえ出かけて甘い物を買って食べるありさまだった。1時間経つと、やはり何かが食べたくなり、小鳥がさえずる明け方になってようやく眠気が襲ってきて眠れるような、そんな状態だった。 糖尿病にはHbA1cという管理の指標となる値があって、基準値は4.3~5.8%だが、その頃の私は何と2ケタ台で、長い夏休みや春休みは必ず入院する羽目になっていた。これは教育入院とも呼ばれるもので、新しく糖尿病と診断された人や、私のように再犯を繰り返す(笑)人が規則正しい食事をし、運動をして、糖尿病に関する講義を聴いて知識を深めるというのが目的。2週間を1クールとしており、そこに集まる患者さんたちの間では、退院することを「娑婆に出る」と半ば自嘲的に言っていたが、本当にそんな心境だった。 私のような年齢の患者は本当に少なく、いたとしても、あまり共通の認識を持てるような相手でもなく、ほとんどが中高年以上の人達だった。その病院には小さな喫煙所があった。本当は喫煙も良くないのだが、最初からあれもこれも禁止してしまうとかえって良くないとの配慮から設けられたものだった。私は一度もタバコを吸ったことはないが、そこに集まる人達の世間話などが楽しくて、自由時間には良く出入りしていた。私は大部屋にいたが、そこは出産、育児などが一段落した中年以降の女性ばかりで、何かと「あんまり無理しちゃダメだよ」とねぎらってくれてはいたのだが、私にとっては、この喫煙室に出入りする、働き盛りの男性の患者さん達の方が心境的には似ていたのだと思う。責任のある仕事と養うべき家庭を持ち、おちおち病気もしていられないという危機感みたいなものを間近に見て、私の場合は、人生はこれからなのだ、あんまり無理をしちゃダメだとのんびりなどしていられないという危機感をそこに重ねることになったのだろう。 それが、入院→退院→暴飲暴食→入院というループから脱出し、立ち直るきっかけになったのだと思う。 ただ、これはあくまで私にとってのきっかけであって、他の人にとっては、その人なりのきっかけがあるに違いない。それに、一度悪循環に陥ると、そこから抜け出すのは思いのほか難しい。それを、自己管理が悪いとその人のせいだけにするのは非常に冷たい仕打ちだと思う。だから、もし、身近にそういう人がいたら、その人を責めるのではなく、どうしたらその悪循環から抜け出せるのか、一緒に考えてあげて欲しいと思う。
4月22日、日本航空の成田-ボストン直行便が就航した。ボーイング最新型787機による運行である。 当日、ボストンの天気はあいにくの小雨で、そうでなければ、友達を大勢誘って近くのビーチから対岸の滑走路に着陸するJAL機を皆で見届けようと思っていたのだが、家族4人での見学となった。 定刻より早めに着いてビーチでスタンバっていると、霧の中から約5分おきに次々と飛行機が現れ、着陸する。夫がウェブサイトで確認したところでは、定刻より30分遅れとのことだったので気長に待っていたのだが、その遅れた時間きっかりに姿を現したのがアメリカン航空機だった。 あれ、そういえば、アメリカン航空とのコードシェアだよね。コードシェアってことは、アメリカン航空機で来るってことだったの?いや、あれだけJAL便、JAL便って宣伝しておいて、そんなハズないよ。あともう少し待ってみようよ。 といった夫とのやりとりの後、また、霧の中からライトが見えてきた。 あれかな?あれかな? とうとう、白くて、思っていたよりも、ずんぐりとした大きな機体が現れた。おなじみの赤い鶴丸マーク。もちろん、ジャンボほどではないが、それまで着陸した数々の飛行機よりもかなり大きい。 あ、あれだよ!来たよ!来た!来た!JALが来た! 言うがままに連れて来られて、あまり趣旨の分かっていなかったであろう子供たちも、親2人の喜びようにつられて大はしゃぎ。 着いた、着いた。無事に着いた。 その時の気持ちを大げさに表現すれば、無人島で遭難してしまって、自分の国の救援機がやって来たような気分だった。 多分それは、30年以上前に暮らしたパリでの記憶と重なっているのだと思う。 その頃の世界は、ファックスも電子メールもインターネットもなく、通信手段はせいぜい国際電話ぐらいで、それも料金は高いわ接続は悪いわで、自分の話した声が相手側に反響するのが聞こえるほどだった。だから、日本の親戚と電話で話すのはお正月ぐらいだった。外国は遠かった。日本は遠かった。 そんなわけで、日本の飛行機というのは、その外国と祖国をつないでくれる、数少ない、大事な象徴だった。それが、私の中では、あの赤い鶴丸マークとつながっているのである。あの飛行機に乗れば、日本に連れて行ってもらえるという安心感、とでも言うのだろうか。 着陸の時は良い写真が撮れなかったこともあり、よし、離陸の時は何とかカメラに納めるぞ、と意気込んで、今度はボストンから成田に帰る姿も見届けようと思い、またビーチに行くと、何やら大きなブルーのテントを発見。 試しに中を除いてみると、アメリカ人が何人か座っていた。三脚付きのビデオカメラも持ち込んで、なんだかすごい本格的。飛行機を見に来たのか、と聞いてみたら、その通りで、日本航空機を見に来たのだと。着陸の時はボストンの反対側の港から見届けたのだとか。まだ20代そこそこと思われる、なかなかハンサムですらりとした短髪の若い男性で、日本に縁があるのか、それとも、飛行機が好きなのかと聞いたら、飛行機、しかもボーイング機が大好きなのだと言う。その両親と、お姉さんとそのご主人と、家族総出で(家族をもろとも巻き込んで?)この日のためにやって来たらしい。 このボーイングおたく君のマニアックぶりと言ったらすごい。霧の中からボーイング機が姿を現しただけで、あ、あれは777だ、737だとか型を全て言い当てる。うちのアレックスがろくに文字も読めないのに、トーマスシリーズの列車を全部見分けられるのよりすごい。 しかも、このおたく君、おそらく管制塔の交信状況が聞ける無線機まで持っている。JAL機は出発が1時間ほど遅れることが分かって、その間にピザを買いに行った家族に「今、離陸許可が出たから、早く戻って来ないと間に合わないよ」なんて、ほんとに心配そうだ。 ちなみに、飛行機のことは”He”と言っていた。飛行機は、SheじゃなくてHeなのか。まあ、船は大きくてゆったりしていて、いかにもSheって感じだけど、すいすいふらふら飛んでっちゃうのは、やっぱりHeなのかな? JAL機は滑走路の一番端の方までゆっくりと移動し、すーっと速度を上げ、いつの間にかふわりと飛んで、瞬く間に霧の中へと消えて行った。ピザ屋から戻ってきて何とか間に合った家族達も、その優雅で美しい姿に物も言わず、しばし見とれていた。 直行便の料金は確かに高くて、すんなりと買えるわけでもないし(笑)、これから先、日本にちょくちょく里帰りできるというわけでもないのだが、利用するしないにかかわらず、その選択肢があるという事実は、それがなかったことに比べたらもう格段の違いである。 あの、ビーチの対岸に停まっている鶴丸マークの飛行機に乗れば日本に帰れるのだという安心感。これで、少なくとも気分的に日本は近くなった。
ボストン市とその周辺の公立校は、今週の月曜日の祝日にくっつけて、1週間、春休みである。 その火曜日の朝、いきなりルナの担任の先生から電話がかかって来たので、いったい何事かと思ったら、 隣のケンブリッジ市で金曜日からサイエンス・フェスティバルが始まるので、ルナを連れて行ったらどうか、とのありがたいアドバイスだった。 ルナは2年生になってから、突如サイエンス系への興味を示し、先月は学校で初の試みとして行われたサイエンス・クラブでもいろいろな実験を嬉々としてやり、この春休み中も自分で選んだ課題で大興奮で実験中。私は典型的な文系人間で(と分類してしまうのは、ホント、いけないコトですが)、これまでの人生、理科も算数も極力避けて通ってきたので、この子に理系の才能があるのかどうかは全くもって分からないのだが、アメリカ式の、得意なところはどんどん伸ばせ伸ばせ教育のレールにどうも乗っけてもらったようだ。 このサイエンス・フェスティバルは、主に小学生から中学生向けのイベントで、科学系の企業や大学のラボなどがブースを設営し、いろいろな実験をさせてくれると言うもの。ルナは、電池式のモーターをくっつけたプラスチックのコップ型ロボットを作ったり、私には何やらさっぱり分からない薬品を混ぜてスライムみたいなのを作ったり、次から次へとあれこれ試すことほぼ5時間。。。それに付き合ってげっそり疲れたのは、トシのせいではありませんよね。。。(笑) 会場となったケンブリッジ市は、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)があるアカデミックな町なのだが、いやまあ、その多様性と言ったら口あんぐり。若者も多いし、かと思うと、ヒッピーみたいなジイさんが自転車乗ってたり、肌の色も髪の質も服装も体型も、ひとよんで「人間万博」みたいな多種多様さである。 イベントに来てる方もそんな感じなら、ブースを出している方もそんな感じ。明らかに英語に訛りがあって、きっとどこかの国から留学や研究に来ているんだろうな、というような人もいたし、学生のノリでそのまま仕事をしているみたいな、ちょっとビル・ゲイツ風の集団もいたし。 もう、ここまで多種多様になってしまうと、とりあえず、コミュニケーションの手段として英語は機能しているけど、あとは、その人がナニジンとか、ナニ系とか、何歳だとか、男だとか女だとか、そうやって分類すること自体、もう意味はなくなっていて、結局、一番大事なのは、その人の興味の対象であり、コミュニケーションの内容も、興味の対象に関するやりとりに集中すればそれで良いのだ、ということに気づかされる。 まあ、そうやってルナを客観的に見てみれば、アジアとアフリカとネイティブ・アメリカンの遺伝子がミックスされた結果、ちょっとハワイアンみたいな風貌でこの世に存在しているわけで、そのルナが、あれこれ実験をしたりお話を聞いたりしながら、疑問に思ったことは質問をし、それに対してブースの担当者の人も、ルナに対して「何歳?」とか「どこから来たの?」なんてこたあ特に聞かずに、あくまで質問に対する回答にのみ集中してちゃんと受け答えをしてくれて、こりゃ考えてみれば、ものすごい効率的である。 こういう効率的なやりとりが、ひとつひとつ重なって発展して、人類は新しい発明をし、進歩して行くのではないかとさえ思った、まあ、そんな科学オンチの母の一日であった。
ボストンには週に一度、3時間だけの日本語補習校がある。 日本の文科省の補助も受けていて、日本から校長先生と教頭先生が派遣される。 幼稚園から高校まで生徒数700名の、大きな規模の学校である。 周りはガイジンばっかの環境で暮らしていて、初めてこの学校に足を踏み入れると、そのあまりの日本らしさに面食らう。頭がクラクラするほどだ(笑)。 でも、やっぱり、アメリカだなあと思うこともあって、それは、誰もが、玄関の扉を必ず次の人のために開けたまま待っていることだ。 こちらで暮らしている日本人が里帰りした時に感じることとして口をそろえて言うのは、日本の食べ物のおいしさ、サービスのきめ細かさといったポジティブな面とともに、ネガティブな面として、公共の場所で、自分の前にいる人が扉を開けて待っていてくれないこと。自分の前で扉がバターンと閉まると「ああ、日本に帰ってきたな」と思うわけだ(笑) 去年の夏に里帰りした時に、デパートの玄関のところで友人と待ち合わせをしていたのだが、友人が到着するのを待っている間、玄関の行き来を観察していた。そしたら、一緒に行動している友達同士は扉を開けて待つのに、赤の他人には待っていない、という様子がハッキリ見られて興味深かった。中には、一人で行動していて大きなかばんを持っているので扉を開けるのに四苦八苦している人もいたので、暇に任せて扉を開けてあげたら、ものすごく「意外だ」という表情で感謝された。こういう時、アメリカ人は感謝はするが、これほど意外だという顔はしない。 日本語学校に来ている人達は、クラクラするような日本的なものを保持しつつ、この、アメリカでは至極当たり前のマナーも自然に実践している。 私はこのようにして、自分の国の良い部分も持ちつつ、外国の良い点も取り入れるという姿勢が、日本のグローバル化への大きな鍵だと思っている。そして、日本人は、そのような両立ができると思うのである。
日本からボストンにいらして、まだ間もない方に聞かれたことがある。 「いつごろから海外を目指されていたのですか?」 帰国子女であることや、それがきっと主な理由で海外に暮らすことはあまり抵抗がない、というようなことを既に話していたから、そういう質問になったのだろうが、これは大きな誤解であり、私としては、海外を目指したことは一度もない。私には海外の扉はすでに開かれていたのである。開かれていたどころか、無理やり扉の向こうに連れて行かれちゃったわけである。少なくとも最初は。 海外だけでなく、国内の都市にもいくつか住んだわけだし、その過程でいろいろ考えたことを共有できる人が周りにいないことを嘆かわしく思ったりもするのだが、考えてみれば、そんな人が周りにうじゃうじゃいることを期待する方が間違っているのである。 私からすれば、ずっと同じ町で生まれ育って、まだその町に実家があって、自分の子供を、自分が子供の時に通った幼稚園や小学校に通わせる、なんて言うのは、たまらなくうらやましく、来世はぜひそのような人生を送ってみたいのだが(笑)、そういう人たちにしてみれば、私のように、あちこちを転々として、いろんな体験ができることがうらやましいのかもしれない。 自分のアイデンティティの問題をはじめ、かなり自分にとって核となるような問題を共有できるのは、同じような経験をした、遠く離れた各地に点在する友達だけだったりする。 でも、それでも良いのかな、と思う。私としては、どこに住むかとか、どこに属すかということより、どこにいても、そういった人達と何かしらつながっていて、分かり合えるのだという確信を時々持てれば、それで良いのかな、と思う。
バイリンガル環境で子育てをしていて、英語から日本語に訳すのに困った言葉が2つある。share とpleaseである。Please という言葉は誠に便利で、日本語だと「~してください」に当たるが、日本語の場合、この「~」の部分を「開けてください」とか「とってください」などと状況に応じていちいち当てはめないといけないところを、Please の場合は、極端な話、これを一言言うだけで丁寧な言葉として通用する。もちろん、Open it please など動詞を加えた方が文としては完成度が高いのだが、まだそこまで言語能力が達していない年齢の子供でも比較的早い段階で通用度の高い表現を身につけることができる。日本語でも「お願い(します)」とか「やって(ください)」と言わせることもできるだろうが、Pleaseほどの汎用性はないように思う。 Shareは、主におもちゃの貸し借りの場面でアメリカ人(英語話者)の親が良く使う。日本語話者の親が「おもちゃを貸してあげなさい」の代わりに英語話者の親は「おもちゃをシェアしなさい」と言うわけである。 私はこのシェアという表現は非常にアメリカ人な発想だと常々思って来た。 Shareに「共有」と「分配」という意味があるのは辞書で調べて(笑)知っていたが、私の頭の中での英語の「シェア」は複数の人間が輪になって、その間にシェアされるものが存在しているというイメージである。要するに、「円」である。 日本人は、他人の世話になることを「迷惑をかける」と考えがちで、だから、他人の世話になった時は非常にありがたいと思い、後日、菓子折りの一つでも持ってお礼の挨拶に出向くわけである(笑)。一方、アメリカ人は、もちろん他人の世話になったことに関して感謝はするが、迷惑をかけたとは思っていないと思う。むしろ、ギブアンドテイクというか、長い人生、その時々で世話になったり世話をしたりお互い様、という感覚が、相手との親しさの度合いとはあまり関係なく存在しているように思う。だから、非常に気軽に他人にものを頼むし、頼まれた方も対応できれば対応するし、対応できなければ非常に気軽に断る。それはキリスト教的な考えから来るものなのか、それとも、血縁や地縁のつながりが希薄な移民国家という成り立ちから来る互助的精神なのか、それは良く分からないのだが。いずれにしても、そういう精神がシェアという言葉によく表れていると思う。 もう少し具体的な話をすると、私が最初に「うひゃー、こんな時にシェアを使うのか」とビックリしたのは、恐らくテレビのドキュメンタリー番組かドラマのワンシーンだったと思うのだが、アルコール中毒者の支援団体主催のミーティングで、アルコール中毒者が輪になって座り(まさに輪である)、一人一人が自分の体験を語るという場面で、その体験を語り終わるとリーダーが”Thanks for sharing your story.”というものだった。そうか。これはシェア(共有)なのか。 私にとって、この場合は、「(本当は言いにくいことをわざわざ)話してくれてありがとう」という感覚なのだがな。(だから、以前、こちらでの暮らしの長い日本人のお友達に、自分の病気をきっかけに考えたことを意を決して話した時に、日本語で「シェアしてくれてありがとう」と言われた時は非常に肩すかしを食らった気持ちになった。たとえ「してくれて」と言われても、「シェア」には違和感を持ったのである 笑) この「~してもらう」「~してくれる」という表現はとても日本的で、これは日本人が築く人間関係を非常によく表していると思う。すなわち、「 上から下へ」か「下から上へ」「左から右へ」「右から左へ」という矢印方向である。もちろん、日本にも輪になって鍋を囲んで一緒につっつくという習慣があり、これは英語に非常に近いシェアであろう。しかし、 日本語には、鍋を囲んで皆で分け合って食べるのと(分配)、おもちゃや情報を共有するのとを、それぞれ個別に表現するわけで、それを総括的に表現する「シェア」といった言葉がない訳である。そして、それらを区別しているということは、きっとそれなりの、社会的、言語的理由があるはずだと私はにらんでいて、そして、それは先に触れたように、「~してもらう」「~してあげる」という表現の底にある日本人が築く人間関係に起因しているのではないかと思うのである。 ところがこの「シェア」という言葉、日本語のネット上でたびたび見かけるようになり、もしかしたら日本語として定着しつつあるのかな?と思うようになった。そこで、フェイスブックでこれを問いかけてみたところ、主に日本在住の知人達から良く聞く言葉だという回答が複数寄せられた。たとえば皆で食べるものを「シェア」したり、カーシェア、ハウスシェアという言葉も聞かれるようになったとのこと。 そんな折、ちょうど良いタイミングで「シェア」ネタが届いたので、ここで皆さんと「シェア」(笑)してみたい。 アレックスの幼稚園では現在、アルファベットをお勉強中で、手洗いの待ち時間などにセサミストリートのアルファベットの動画をiPadで流して子供達に見せているので、私が先生に「クイーンラティーファ(アメリカのラップ歌手)の『オー』の動画があるからリンクを送りますよ」と言って、パティラベル(歌手)のABCソングと共に後でリンクをメールで送ったところ、 Thanks so much for sharing! I look forward to sharing them with the kids! という返事が先生から来た。 さて、皆さんは、これをどう日本語に訳すだろうか? 「シェアをありがとうございます!子供達とシェアするのが楽しみです!」 この訳を読んで違和感がなければ、シェアは日本語の中に浸透しつつある新しい考えであると言えるだろう。しかし、ニホンジン感覚的には次の訳の方がしっくり来るのではないかと思うのである。 「ご紹介いただきありがとうございます!子供達に見せるのが楽しみです!」 要するに、先生は、私が(あえて言うなら、知っている者という少し上の立場から知らざる者という下の立場の)先生に対して情報を流したことに対する感謝の意を「紹介」「いただき」という表現に反映し、そして、その情報を今度は(教えるという上の立場から教わるという下の立場である)子供達に流すわけである。日本人の人間関係はこのように、その状況によって微妙に上下関係が成り立ち、それが言葉の表現として出て来る。 日本で「シェア」という言葉が浸透しつつあるという傾向が、「ひとさまに迷惑をかけない」と思うあまり、誰にも助けを請うことができずに孤立してしまう傾向から、「お互いさまだから助け合おうよ」という考え方に移行しつつあることの表れであれば、それは好ましいことである。また、本当に気心知れた仲間同士だとか集いだとか、あるいはフェイスブックの拡散希望的性格を持った記事や写真の共有など、いわゆる閉じた円の集団の中で便宜的にシェアという表現を使うのは良いと思う。また、今後のグローバル化に伴い、既成の日本の概念では表現しきれないものに対してシェアを使うのも良いだろう。ただ、先ほど例に挙げた、アルコール中毒の体験を思い切ってした相手や、あくまで好意による情報提供といった相手の「労」をねぎらう形で「話してくれてありがとう」「教えてくれてありがとう」という、「具体的な動詞」と「してくれる」「してもらう」の表現で表すこと、そこに微妙な上下関係が発生するとしても、それは必ずしも上がエラくて下がへーこらするわけではなく、あくまで「してもらった」側がへりくだって感謝するという気持ち、これは複数の言語環境の中で暮らしている私にとっては、日本語独特の美しい表現に映るのであって、これも全て「シェア」に置き換えてしまうとしたら、それは非常にもったいないなと思うし、極端な話、日本人であることを放棄してしまうような気さえするのである。 考えすぎ? |一覧| |
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