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物質至上主義的生活

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なかば@ Re:『気は遣わずに 気は利かすもの』江原啓之さん@心の処方箋(06/20) 一時期、江原さんの本を読んでいたので、「…

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March 23, 2006
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カテゴリ:TV・映画
2006年2月25日放送 TOKIO&養老孟司さんの
『生命38億年スペシャル 人間とは何だ!? V』
        ~神秘の脳!日本人の心を探す感動の旅

  ☆番組HPは、こちら

※番組レポートを各コンテンツに分けてUPしています。
 くわしくは、こちら  (ラストスパートです、がんばります・・・)

  ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

☆生きるとは何か?人間とは何か?(前編)

国分:さあ、最後になりますけど、重い病気を患いながらも必死に闘っている
    一人の男性とその家族に、リーダーが密着してくれました。
城島:はい。命とは何なのか、そして、家族とは?こちらをご覧下さい。


Power of LOVE!~余命半年からの挑戦~

(家族6人が笑う写真。)
河野知二(かわのともじ)さん、44歳。働き盛りの彼を襲った現実、
それは、余命半年の末期がん宣告でした。

河野さん「こうやってしゃべってて、一年後は私はいるかいないかわからないんだけど(笑)」

自動車メーカーで、ラリー車の開発に携わってきた知二さん。
テストドライバーとしてもレースに参加するなど、車好きの彼にとってはまさに天職。
子宝にも恵まれ、順風満帆の人生でした。
<家族写真:妻・恵(37)、愛(5)、心(4)、優(1)>

ところが、突然、末期がんを宣告されたのです。余命は半年でした。
日々襲ってくる痛み、苦しみ。ガンの影響で皮膚はどす黒くなり、
抗がん剤の副作用による嘔吐が続きます。
しかし、医者に告げられた半年を越えても、リタイヤしようとはしませんでした。

それどころか、
世界ラリー選手権(ラリーオーストラリア)に、妻とともに奇跡の出場を果たすのです。
過酷な状況の中、一体なぜ彼はチャレンジしたのか。
なぜ笑顔でいられるのでしょうか。

その答えの秘密は、「Power of LOVE!」


抗がん剤治療中の河野さんを自宅に訪ねました。

城島:こんにちは~おにいちゃんみたことある?(娘:ない)ないか~ハハハハ;
    3人いらっしゃるんですね。

城島:こういう言いかたしたらものすごい失礼かもしれませんけど、
    第一印象がものすごい元気そうなお父さんで・・・
河野:だからといって調子がいいかというと、あんまりよくなくて、
    自分でここ(胃の下あたり)触っても、ガンの硬いのがコリコリ触れるぐらい。
城島:(触らせてもらって)あ。
河野:硬いでしょ。
城島:これ、ガンなんですか?結構大きくないですか?
河野:うん

2004年6月、胃ガンが発覚。
進行や転移が非常に早い、スキルス性のガンでした。
(スキルス胃ガン=転移が起こりやすい悪性のガン)
それでも希望を捨てなかった家族を更なる悲劇が襲うのです。

河野:取ったら治るんだろうって、ところがフタをあけてみると、
    手術しても取れない状況ってのがわかって、余命としては半年から1年ぐらい
    かな、っていうのが出てきて。

当時の日記です。(ブログ?)
「2004年7月20日(火)手術で胃は取れず
 密かにノートの片隅にWife宛の遺言まで書き、ふっと気を失った。・・・」
(手書きの遺言「4.恵の面倒はhasbandしかできない・・・・早く再婚してもらいたい」)
恵の面倒を見られるのは夫だけ、早く再婚してもらいたい。

知二:とにかくもう、こわいし苦しいし、どうしていいかわかんないし、
    もう何もかも全部恨んで
:どうやって私は後を追うか、とかそんなことばっかり考えてて、
    だけど、子どもがいるから育てなくちゃいけない、とか
知二:半分家から出ていったりとか、そういう状況もあったよね

「どうやって後を追う」…でも残される子どもたち(3歳,2歳,0歳)は一体どうすればいい?
夫婦は自暴自棄になり、運命を呪います。
まさに、地獄の日々。
死の恐怖を前に、知二さんはどうすることもできませんでした。

しかし、告知から半年後のある日(2004年11月)、すべてが変わります。

(宮沢賢治自筆の手帳・・・雨ニモマケズ・・・)

そのきっかけは、長女がたまたま保育園で教わった、この詩、「雨ニモマケズ」です。

知二:宮沢賢治の詩ですよね。これを長女が保育園で丸暗記してきたんですよ。

長女:雨ニモマケズ  知二:雨ニモマケズ
長女:風ニモマケズ  知二:風ニモマケズ
長女:雪ニモ  知二:雪ニモ
長女:夏ノ  知二:夏ノ  長女:暑サニモ  知二:暑サニモ 
長女:マケズ  知二:マケズ


知二:その中で、「南ニ 死ニサウナ人アレバ 行ッテ コワガラナクテモ イイトイヒ」
    という一文句があるんですよ、その一言を聞いた瞬間にね、
    え、ちょっと今なんて言ったの?って

長女:南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい

知二:あ、そうか、怖がらなくてもいいんだ、って、吹っ切れちゃったっていうかね

知二さんの生き方は、一気に変わりました。
呪うしかなかった、「死」という運命を受け容れることができたのです。

知二:それまでやっぱり、自分自身、その「死ぬ」ってことに対してすごく怖くて、だけど、
    怖がんなくてもいいっていうふうに言われちゃうと、怖がってるヒマないな、
    っていう、何かしなくちゃっていう、生きてるうちに。それで、乗り切れた

人生の良し悪しは、長さじゃない。その中で完全燃焼すればいい。そう前向きに思えるようになったきっかけが、娘の愛ちゃんだったことも、胸に響いていました。

知二:子どもは、自分が育てなきゃいけないって思ってたんだけど、
    実際は子どもに助けられてるっていう自分がいるのに気がついて
城島:「雨ニモマケズ」がなかったら、もしかしたら、そういう気持ちに
    なってなかったかもしれませんね

家族は、次第に明るさを取り戻していきます。時にはこんな余裕さえ。

(恵さん撮影の家族だんらん)
知二:末期がんの知二です。今日はもうずっと育児ノイローゼ中…(笑う恵さんの声)

子どもにも、命や病気のことを正面からきちんと話せるようになりました。

:パパから死んだら、パパどうする?
知二:パパはもう死んだら・・・
:ちょうちょになるの?さかなになるの?いぬになるの?
知二:ありんこかもしれない。パパがいっつも言ってる、ちっちゃい虫を殺しちゃダメだよ
    っていうのは、もしかしたらパパが死んだらちっちゃい虫さんになるかもしんない
    から、だから、ちっちゃい虫も殺さないで
:パパね、たぶん神さまになれると思うよ
知二:ああ、神さまがいいね

残された時間で、少しでも多くのことを子どもたちに伝えたい、
自分が挑戦している姿を見せたい。
(公園をランニングする知二さん)そう考えた知二さんは、ある壮大な計画を思いついたのです。
それは・・・


  ~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

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Last updated  March 23, 2006 11:24:04 PM
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