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アメリカ幼児教育の現状と子供たちを、
アメリカのモンテソーリスクールからレポートします。 enaring's Shopping List
enaringの日記 [全113件]
新しく入ってきた子供たちも、実に個性豊かで面白い子たちばかりでした。 しかもみんなまだ3歳になったばかりで小さくて可愛い! その中で、実はまだ2歳の男の子デイビッドは実に2週間ずーっと、休むまもなく泣いてくれました。
そんなこんなでまだこのモンテソーリスクールに残れることになった私。 プリスクールのクラスルームで9月の新学期を迎えました。 いつものとおり9時に学校に着くと予想通りたくさんの子供が大泣き!!もちろんまだ保護者の方々もたくさん残っていて、泣き喚く子供たちをどうにかして泣き止ませようと必死になってました。私も、イアンと言う男の子のお父さんがもう帰らなくてはならないと言うので代わりに彼をひざの上に乗せようとしたら・・・、彼はお父さんを追って泣き叫び、逃げ惑ってしまいました。 例の2歳の男の子、デイビッドは、お父さんはとっくに帰ってしまっていて、先生のひざの上でずーっと「ダディー!」と言って泣いている。 他の子供たちも何が起こっているのか理解できずうろちょろしたり、騒ぎ立てたりと、教室はまさに地獄絵図(?)と化している状況でした。 このままサークルタイムを続けるには無理があると踏んだ先生はみんなでプレイグラウンドに出ようと提案し、私たちはそのまま泣いている子供たちの手を取り外へ出ました。 それでもやっぱり泣き止まない子もいたけれど、みんなだんだんと遊びに気を取られ、涙も止まってきた頃、新しい子供たちの名前を覚える為に、今度は私が必死になりました。 遊んでいるので動き回る子供たちを見ながら、「あの子がパリス、あっちの髪の長い小さい子がテイラーで、その子はGG。で、そこにいる男の子がワイアットで、こっちがソロモン。」 ともう1人のアシスタントのパムが説明してくれました。しかし、みんな動き回るので一瞬ごちゃごちゃになる。でも私の得意技は、名前と顔を見たら大体一度で全て覚えてしまう。と言うものなので、その日の帰りまでには全員制覇しました。 余談ですが1人男の子でトルコ出身のふっくらした可愛い男の子の名前が何と「フセイン」。初めて聞いたときは「エ?この国で(サダム)フセインはまずいだろう。」と思ったのですが、 この場合は苗字ではなくて名前(ファーストネーム)がフセインなので、全くの別物としよう。もちろん彼の名前と顔は一発で覚えました。 このクラスには新しい子も何人か入ったのですが、もちろん以前からいる子供たちも数人残っていたので、彼らが頼もしく他の子供の良いお手本となってくれました。 初日なんて、こんなものです。ほとんどの子供たちははじめて自分のパパやママから離れて過ごす時間な訳ですから、不安もいっぱいでしょう。私だって実は幼稚園のときは毎朝お母さんと離れるのが嫌で大泣きしていたという過去があるし(笑)、彼らの気持ちも痛いくらい分かりました。 そのうちみんなここに慣れれば、学校に来るのが大好きになってくれる。そんな日が待ち遠しいと思っていました。
サマースクールが終われば、9月からは新学期が始まります。今までキンダーガーテンで過ごしてきた子供たちはついに小学校1年生になります。 6月に、サマースクールが始まる前に卒園式が行われ、その時なぜか私もPre-Kの担当教師としての栄光をたたえると言うことで、他の先生たち共々舞台の上に立たされ、花をもらったりもしました。いつものことだけれど、こんなことになると知っていたら、もっといい服を着て化粧もちゃんとしてきたのに・・・。常にいつもきちんとしていなければなりませんねー。(全く過去から学んでいない・・・。) そう、それで話を元に戻すと、9月から新学期が始まるけれど、私がOPTで働ける期間は12がつ10日まで。なんとも中途半端な時に終わってしまうので、 雇ってくれた校長先生たちの方も、私をどうするかでかなり悩んでいたみたいです。 例えまた私を同じクラスでアシスタントして雇ったとしても、そんな中途半端な時期にいなくなられても、また人を探すのに大変な思いをすることになるだろうし、どうせ雇うならこの学期が始まってからすぐにの方が、全てスムーズに行くと言うのは誰でも分かることなので、私もそれならば大変残念だけれど、他を短期で当たってみようと言う覚悟はできていました。 さようなら、モンテソーリ、さようなら、可愛い子供たち!! しかし、本当に運がいい時に、Lower Elementary (小学校低学年)のクラスのある先生が出産の為、ちょうど私のOPTが切れる時期まで休職すると言う話が舞い込んできて、 私にその代わりをやってもらいたいというのでした。 しかも校長先生直々にお呼び出しを受け、是非私をまだキープしたいから、引き受けて欲しいと言うことと、給料UPまでしてもらってありえないほどの幸運でした。 私もそれならと即OKをだし、10月の初めからそのクラスで働くことが決まったのです。そしてそれまではまだプリスクールにいていいとのこと。オーバースタッフになるのでは?と思ったのですが、これまだうまい具合に2歳の男の子(10月で3歳になる)が入るのでその子の頭数を入れるとそのクラスには3人の先生が必要になるとの事なので、まだ私の首もうまく繋がったのでした。 あまりにうまく行き過ぎて、正直恐ろしかったのですが、やっぱりそう甘くは無いと後に体験するので、そのお話はまた後日詳しく書いていきたいと思ってます。
今日もまた記憶をさかのぼってサマースクール編を修了させたいと思います。 その2で教えた日本文化と日本語。実はJapanese Weekの最後の日、先生に頼まれて手作りで簡単な日本語と、日本の文化をまとめたプリントを図々しくも子供たち一人一人に配っていたのでした。 どうせこんな物、家に帰っても誰も読まないでごみ箱行きになるだろうに・・・と思いながらも 下手な挿絵などまでつけてがんばって作ったかいがありました! というのも次の日、何人かのペアレンツから「あのプリント、楽しませてもらったわよ。あれを見て今日本語を練習しているの。」という意見や、子供を迎えに来たパパからいきなり「コンニチハー!」「サヨナラー!」などと言われたりしたのです。 ホントになんて素敵な親御さんたちなんだろう。苦労した甲斐もあったってもんです。 他にこのサマースクールでしたことといえば、クッキングもよくやったし、鉢に一人一人が好きな絵をペイントして、自分の気に入った植物の種を選んで植えてそれを持って帰ったりもしました。 もちろん私もいつものごとくちゃっかり便乗して子供たち以上に楽しんでペイントした鉢に大好きなひまわりの種を植えました。(しかしいいかげんな私のせいで、この花が育つことはなかったのですが。。。) また、Big kids(小学生)達は、この夏、実に週に3回は遠足に出かけていて、そのプレゼンテーションや劇を見に行ったりしました。 私はプリスクール担当だったので、遠足は1度もなく、つまらないなーと思っていましたが、後にこの小学生たちのやることの多さを見て、彼らを指導するのはもっと大変だろうと思い、ほっとした記憶があります。(後に身を持って体験するのですが。) 私のいたリノは1年のうち300日以上が晴天と言われている所だっただけあって、夏もずーっといい天気が続き、外での日焼けを恐れながらも子供たちとたくさん遊びました。 いつもより、プレイタイムが多くて子供たちも毎日おおはしゃぎで学校に来ていました。 夏は私の大好きな季節ですが、特にこの年(2006年)は、大学のサマースクールも無かったし(卒業したから当たり前だけど)、たくさんの子供たちとずーっと一緒に過ごせたので本当に思い出深い夏となりました。
通常モンテソーリの朝は約3時間ほど丸まるレッスンの時間に当てられているのですが、 サマースクールはそういったレッスン重視というよりも、楽しいイベントがたくさんありました。 ある1週間、私は日本について子供たちに知ってもらえるようにと“Japanese Week”という1週間を任せられました。 以前もキンダーガーテンでの教育実習をしていた時、子供たちに色々と日本のことを説明したりそれに関わる楽しいアクティビティーを用意したりしたことがあったので、同じ物を使おうと思っていたのですがここでひとつ大きな問題が。 私がその時働いていたのはpre-kクラス。つまり年齢は3歳~6歳のmixグループで、年齢的にもまだまだ幼い子供たちが大半を占めていたのです。 それなので、以前のようには行かなくなり、小さな子供たちでもわかるようにいかにして分かりやすく簡潔に説明するかが重要なポイントになったのでした。 そこで、細かいことは抜きにしてビジュアル中心に進めてゆきました。日本地図を見せてどこで私が生まれ育ったか、他には友達に借りた京都の絵葉書なども見せたので、ここがその写真の場所ですよ、とか、ポスターを使って日本の主な伝統的な祝日や遊びなどを紹介したりしました。 そのあとはお決まりの“YOKO”の本を読み、歌を歌って、折り紙を教えてあげたりしました。 ちなみに簡単な日本語“こんにちは”と“さようなら”も練習しました。 そんなこんなで1週間、私が日本から取り寄せた同様の歌のCDも暇さえあればずっとかけていたので子供たちも自然と歌詞をおぼえたりして口ずさんでいたりしました。「む~す~ん~で~、ひ~ら~い~て~」などという声がしょっちゅう聞こえ、改めて子供たちの学習能力の高さを感じました。
信じられないことに、この間のモンテソーリスクールでの仕事体験の日記を書いてから1年以上も空いてしまいました。 でもその間も毎日ちゃんとしっかり仕事してました。 夏休みも春休みも取らず、サマースクールにも出勤して毎日子供たちと楽しく過ごしました。 サマースクールは主に遊びがメインで、朝の1時間ほどはモンテソーリのレッスン、または特別プロジェクト(クラフトなど)その後はお昼までずっと“水遊び”という毎日。 子供たちにはあらかじめ、大きなタオルと水着、靴、日焼け止めを用意してもらい、最高の天気の中外へ2時間ほど繰り出すのでした。 子供たちは水遊びが大好き。けれどその支度を手伝うのは、私たち先生にとっては、 とっても大変な時でした。 それぞれの子供たちにあらかじめ名前を書いた専用の袋を渡しておいたので、 脱いだ服、靴は全部その中に入れさせ、決まった場所に置かせました。 このおかげで、誰も自分の所持品を無くすことなくスムーズに着替えができました。 大体の子供たちはもう自分で着替え、片付け、全てができたので私たちは体全体くまなく さんスクリーンを塗りたくります。 日本より標高が高く、日差しもかなり強いので、特に白人の子供たちはすぐに真っ赤に日焼けして 見るも無残な姿になってしまうので、ムラ無くたっぷり塗るよう注意が必要です。 これに、実に時間がかかったのでした。 サマースクールに来ていた子供たちは全部で25人弱、先生は2人、たっぷりと日焼け止めを手に取って、はしゃぐ子供たちを落ち着かせながらできるだけ素早く全身に塗りたくります。 全員が完了してようやく外へと出れるのでした。 本来なら特別にウォータースライダーが設置され、子供たちはそれで遊ぶ予定だったのですが 今回は場所の都合や準備など遅れていたこともあり、始めの数週間はビニールプールと スプリンクラー、そしてホースで水遊びをしました。 その数週間後、無事に大きなウォータースライダーが設置されました。 これは大人でも十分滑れるくらいのもので、私も何度かチャレンジするようにみんなに言われたのですが、水着姿になることと日焼けが恐ろしく、いつも断ってました。 炎天下の下、日焼け止めを片手に子供たちを見守る毎日。今となってはとても楽しい思い出です。
長い留学生活を経て、2007年2月9日、ついに日本に帰ってきました。 帰る直前は、やっぱり帰りたくないという気持ちのほうが強かったのですが、 それまではずーっと日本に帰りたくて仕方なかったので、最終的には残れるように努力もせず 素直に帰ってきました。 日本での生活は久しぶりなので、逆カルチャーショックもあり、外に出るだけで頭がクラクラしてしまう始末。 せっかくなので、私の記憶が許す限り、帰る直前までのアメリカでの出来事を日記に書いてみようと思います。 |一覧| |
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