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endless happiness

endless happiness

2008年06月16日
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■これより『エンドレス ハピネス(6:ラスト)』
(1の1)からお読みください。


法壇脇の厚い扉が職員によって開けられた。

六人の陪審員がふたたび姿を現し、一列となって席に戻る様子をヒデヒロは感慨深げに見守る。

陪審員六人の顔ぶれは――宮常、その秘書、おおみやの女将(アナグマ)、アケミ、巡査(じつは探偵)、そして修学旅行の男生徒(ガニ股)、以上である。

「陪審団は評決に達しましたか?」と、裁判長の声。

陪審団長であるガニ股が起立する。彼の背丈は腰かけた宮常よりも低いが、それはまぁ仕方がない。

「われわれは検察側の訴えを退け、被告少女を無罪とすることを全員一致により評決しました。たしかに少女は短絡的な生命観、人生観をもって自傷にはしり、あげくに神聖なる法廷にガラスの雨を降らせましたが、いまその顔に負った傷は彼女に一生の償いを強いることであり、また――」

法廷内に拍手が湧き起こった。傍聴人席では帽子を天井高く投げ上げる記者もいる。輝く笑顔のマドレーヌが歩みきて、ヒデヒロに賛辞を送った。マドレーヌは左手に包帯を、ヒデヒロは顎にガーゼを当てている。ヒデヒロが握手の手を彼女に差し出す。固い握手。そして二人は被告席を振り返る。顔全体を包帯で包んだ少女ナラが二人に手を振る。その口もとは笑っている。さらに傍聴人席からは、父親の投げキッスがナラに届く。陪審員席では宮常と秘書が思い出話に笑いころげ、ガニ股がアケミに言い寄っている。

カンカーンと、裁判長の木槌が鳴った。

「よし、終了! みんなご苦労さん! わしはもう、こんなセリフの少ない役はご免だね、もう一度西部劇の保安官なんぞ、やってみたいねぇ」

法廷内に笑いが起こる。

「じつはアルプスの少女ハイジ役なんかもいいなと、思ってるくせに!」

法廷職員のそんな冷やかしに、今度は全員爆笑。

「ちょっとみなさん、お疲れのところだが聞いてもらいたい」

そう声を上げたのはヒデヒロだ。急ぎ足で法壇に駆けのぼるや、裁判長を追いやってその席についた。

「こんな高い場所から僭越ではありますが」

全員の顔を見渡すようにして、切り出した。

「みなさん知ってのとおり、われわれの《ガラスの劇場》シリーズは、今後もまだ新作が予定されています。ということは、このあとわれわれは洗浄室にむかい、もちろんそのあとはお決まりの溶解室、というわけです。そしてやがて、新しい役を与えられて別の人形となって生まれかわる」

なにがいいたい! それでいいんだよ! 傍聴人の一群から野次が飛ぶ。
「そのとおり、われわれには選択権も主導権もない。あわれなプラスチックの塊だ、それはわたしにもわかっている」

おい裁判の続きでもはじめる気か! と、また野次。

「だまって聞きなよ、タマなし野郎!」

ナラの声が、野次連の耳を突き刺す。

「たったいま、われわれは役柄から解放された。だからこの瞬間、この数分だけ、役柄のない自分というものを味わってみようじゃないか。なにも急いで洗浄液を浴びることはない。役柄を脱いだわれわれにも感情と意志と理想があることを、溶解室にむかう直前のいま、自分の胸に手をあて、しっかりと味わおうじゃないか。いままでずっと思ってきたことなんだ、もしかしたらわれわれは、もうプラスチックの塊以上の存在なのではないかと」

ヒデヒロの瞳が濡れて光るのが、ナラには見える。すると、誰かの拍手。

「ヒデヒロ・サンタマリアさん、ありがとう」

マドレーヌが法壇へと歩み出た。

「いつかわたしがいおうとしたことをおっしゃってくださったのね。わたしは感じています、わたしのこの胸に意志と理想があることを。そう感じたとしても、なんの得にもなりませんけどね。本物の人間たちが意志と理想をどう扱うのか、わたしには想像できませんが、いつかそのような役柄を与えられる日を楽しみにしていますの。わたしたちは熔かされ混ぜられて形を変えてはいくけれど、過去に演じてきた役柄の記憶をうっすらとではありながら残していること、みなさんだってお感じになっているでしょう? それとも、そんなこと忘れたふりをして溶解されるほうが気楽でいいとおっしゃいますの?」

静寂がその場を支配した。いつのまにか、ふたたび怪物とラセー氏も傍聴人席に姿を置いている。

その静寂の重さで、ヒデヒロはもう自分がそこにいる必要のないこと知り、半ば満足感をもって法壇を下りた。ただし、またしてもオイシイところをマドレーヌにもっていかれたという感に、苦笑しつつではあったが。

とにかく、終わりだ終わり。静寂を破るそんな声が愉快に聞こえるほど、全員の気持ちはひそかに華やいだものになっていた。総勢三十九人が、乱れた列を作りながら廊下へと流れ出る。

「えぇと、どっちだったっけ?」と書記官。

「あんたって、いつまでたってもそうね。洗浄室はあっち」とアナグマ。

「けどこんな商売、いつまでつづくかね?」と宮常。

「もうすぐ沈没だよ、コンピューターの画像がすすんでるからね。おれたちみたいなチャチな人形の出番はなくなるってさ」と秘書の男。

「どうかね、われわれも労働組合をつくってみては?」と探偵。

「どうしてそんなこと考えるの? 洗浄されてきれいサッパリ忘れりゃいいのに。けど古いプラスチックの混入だけはやめてほしいな、今度のおれの脚ね、ただでさえ歩きにくい形だってのに、ヒビが入ってるんだぜ。もしかしたら塗料のせいかもな、いっしょに溶解じゃ具合わるいんじゃないの?」とガニ股。

 ナラの後ろからアケミが追いつく。

「今回は出番少なかったね」とナラ。

「まぁね。水虫だなんていってたらほんとに痒くなっちゃったんだから」と、明るくアケミが笑う。

二人並んで洗浄室に入ろうとしたとき、早くも出口を出ていく男の背中が見えた。

裸であるがその背丈と体形から、ヒデヒロだとナラにはわかる。そのまま溶解室のある廊下奥へと、ひとり歩いて消えていった。

べつに感傷的、ということはない。しかし何も思わないかというと、じつはそうでもない。自分はいったいどうなのか、と。同じ素材からの造形物なのに、あのふたり、ヒデヒロとマドレーヌには哲学に似たものがあったではないか。いつの間にどうやって彼らは、そのようなものを手に入れたのだろう。いくつもの役を演じつつ学んだ? それなら、同じ条件の自分には、なぜそれがないのか?

包帯を解いて服を脱ぎ、シャワーノズルの下に立った。

いつか、ゼッタイに自分も――。(キュルルとノブをひねる)

野次を制して気高く理想を語った、あの二人のようになろう。勢いよく噴き出す洗浄液の下で、ナラは足先のペディキュアとすっかり乾いてしまった唾液をゆっくりと洗い流した。

了(おしまい)




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最終更新日  2008年06月21日 14時37分15秒


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