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つまずく石も縁の端くれ

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2008年08月31日
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カテゴリ:アート
オフィーリア.jpg

ミレイ=オフィーリア=ラファエル前派という図式が
頭に残っていた。

だから国立西洋美術館にある「あひるの子」(今回の
ミレイ展に展示されている。)を見るたびにラフェエル
前派の作品だとばかり思っており、またそんなことを
他人に解説したこともあったのだが、大きな間違いで
あったことに気づき、恥ずかしくなった。

ミレイがラファエル前派として当時の画壇を批判しな
がら活躍したのは、1848~1853という短い期間で
あり、それ以後はロイヤル・アカデミーの会員として、
逆に画壇の中心を歩いた画家であった。「あひるの子」も
実は、1889年の作品であり、ロイヤル・アカデミー
の会長となってからの作品であった。

さて、この展覧会は、
1ラファエル前派
2物語と新しい風俗
3唯美主義
4大いなる伝統
5ファンシー・ピクチャー
6上流階級の肖像
7スコットランド風景
という章立てでミレイという画家の全体像を分かりや
すく紹介している。

ラファエル前派の絵は、それまでのアカデミーが規範
としていたラファエロの絵のような芝居がかった絵画
表現への批判から生まれたもので、愚直な構図を用いて、
人間のクセや表情に表れる心理的な高まりを描き、
また細部の緻密な描写に特色がある。

1849年の「両親の家のキリスト(大工の仕事場)」は、
露骨でひねくれた表現と酷評されたが、確かにマリアの
額に大きなしわが寄ったり、手の静脈が青く浮き上がる
のがはっきりと描かれている。細部の緻密な表現と
いっても、美しくなければダメなのだろう。

その点、この展覧会の最大の呼び物「オフィーリア」は
完成された美しさに溢れた作品である。この絵のすば
らしさや逸話は、もうあちこちに見ることができるので
あえて触れない。ずっと眺めていても飽きることがない。
若干22歳の青年が描いたものとは驚きである。

さほどの混雑ではなかったので、一歩うしろに下がれば、
立ち止まって眺めることができた。ばかげたことだが、
オフィーリアは頭から流れてきたのか、足から流れて
きたのか妙に気になった。普通は頭から流れてくると
思うのだが、まるで立ち姿のようにも描かれているので、
足から流れてくるようにも思えてしまった。

さて、ラファエル前派が短期間に終わったのは、
ミレイが、この展覧会にもしばしば出てくるジョン・
ラスキンの妻エフィーと恋に落ち結婚したからである。
そんなことを知りながら、この展覧会を眺めるのも
面白いと思う。

最後のスコットランド風景の絵まで、美しくない絵は
一枚もなく、ミレイという画家の魅力にうっとりと
させられた展覧会であった。
また近いうちに出かけるつもり。






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最終更新日  2008年08月31日 17時29分18秒
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