|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
ウェイブスキー歴現在52歳(2009.4現在)のウェイブスキー・サーファー。ウェイブスキー人口は多分極めて少ない。保存協会レベルだろう。海外では盛んで、YouTubeで検索するとフランスのものが多いので、フランスは盛んらしい。ホームビーチは現在、片瀬西浜水族館前辺り。境川河口(大六ポイント)や東浜江ノ島大橋の脇にもたまに出没する。このあたりはなかなか波が入らないが、近いが一番である。実家が辻堂東海岸なので、湘洋中学前も慣れ親しんできたが、最近はとんとご無沙汰している。かつては、逗子の大崎、カブネ、葉山長者ヶ崎付近もカバーしていた。入ったことのある海といえば、オーストラリアのシドニー周辺(マンリービーチ、パームビーチなど、ゴールドコースト周辺(カランビンビーチなど)、高知の生見海岸、房総館山の平砂浦、千倉海岸、銚子の波崎海岸、伊豆白浜、大浜、下田、渥美半島周辺、伊豆長岡のウェイブプール等々。始めたきっかけは、27歳の時に昼飯時に立ち寄った銀座プランタン。マリンスポーツ展をやっていて、そこで初めてサーフカヤックをみて、ラメ入りのボディにこれがあればビーチでは目立つのではないかと軽薄な興味を抱く。それまでの趣味はロードレーサーを駆ってのサイクリングとエアロビクス。2,3日後、もう一度立ち寄ったらマリンスポーツ展は終わっていたので余計に未練が出た。プランタンの店員に頼んで、後日、広尾の専門店を紹介される。しかしそこのカヤックおやじに普通のカヤックもできるし波乗りも出来るよと、ポリエチレン製の単なるファンカヤックをうまくだまされて買わされてしまう。しばらくはそれで練習。一人で海に出て、よたよたと辻堂湘洋中学前で漕いでたら、ベテラン・サーフカヤッカーの飯田章氏に声をかけられ、技術指導を受ける。普通のカヤックはまず、まっすぐ進むことができるまで時間がかかる。究極のリカバリーであるエスキモーロールが可能となるまでは、相当の練習が必要。波乗りするも、所詮はただのカヤック。サーファーに交じって波乗りすると迷惑になるだけの代物。1年もすると、サーフカヤックを同じ専門店でつくってもらう。それで2年ほど遊ぶ。サーフカヤックの仲間のグループに何となく入り、一緒に波乗りすることに。春夏秋冬、雨が降ろうが雪が降ろうが海に入り、次第に上達。競技カヤックの国際級選手なども交えた全日本サーフカヌー選手権大会(辻堂海岸で開催)で奇跡の優勝を果たし、雑誌「アウトドア」に記事と写真が掲載されるに至り、さらに熱が入る。 しばらくして、サーフィン性能が格段に違うウェイブスキーが存在することが、仲間が仕入れてきたイギリスのクラブ誌で判明。たままた池袋のサーフショップ(あの店はどうなったのだろうか?)が輸入した初心者向きボード(オーストラリアのDART社製)を購入。鵠沼海岸、辻堂、伊豆宇佐見、白浜、大浜などに仲間と毎週のように出かけた。そのうちいろんな業者や個人が輸入しはじめ、出回るものの、インストラクターもいない状況下、普及はなかなか進まず。少ない仲間が集まり、日本ウェイブスキー連盟を立ち上げる。北は宮城、南は福岡までの愛好者をカバー。オーストラリア大使館の後援を得て、ジャパンカップを伊豆白浜で開催。世界チャンピョンや上位ランカーを招待し、講習会なども同時に開催。九州や関西方面からも多数の参加者を得た大会は成功した。また、エアリアルで宙を飛ぶ世界レベルを目の当たりにしてそのレベルの違いに改めて驚く。 その後、関西が主導し、やはりオーストラリア総領事館と高知生見町、観光協会の協力を得て、オーストラリア選手も招待しつつ、生見海岸で大会を開催(ジャッジを務める)。その後も数々の大会にかかわる。茨城県阿字ヶ浦で開催されるマリンフェスティバルには、ジャパンカップが今でも開催されている。 最初に海外のビーチで乗ったのは、オーストラリアのシドニー郊外のマンリービーチで。DARTのファクトリーでボードを借りた。その後、妻と旅行でシドニーに来た際、シドニー北部のパームビーチでサーフィン。また別の機会には、ゴールドコーストのカランビンビーチで。このビーチには、カランビン・ウェイブスキー・クラブが定期的に集まる。 さて、今から十数年前になってしまうが、夏には、茅ヶ崎海岸にて、講習会を毎週開催、定期的に会報を発行するなど、活発な活動を続けていた。テレビ取材を受けて、フジテレビ、日本テレビ、TVKなどでオンエアされたことも。田中律子にも教えたことがある。あのころは楽しかった。連盟事務局長を引き受け、全国の仲間から事務所にFAXが入り、上司におこられたことも。 しかし、仕事が忙しくなり、徐々に連盟活動にも力が入らなくなる。その後も、個人で波乗りを続けるも、結婚を機に都内に居住したため、回数が激減。それとともに第1次ウェイブスキー・ブームも終焉。その後は第2世代が活躍することになる。 自分自身は、オーストラリアのDEKKAの工場にボードを発注して取りに行くなど、情熱は燃え尽きていなかったが、仕事の忙しさもあり、海に入るのは年に数回程度といったところまでご無沙汰してしまう。 2001年6月、片瀬江ノ島に引っ越したが、その1年前くらいから再びウェイブスキー・ライフが徐々に再燃。引っ越して以降は、ほとんど片瀬西浜、水族館前付近。いい波がくれば、出勤前に入ることもある(もちろん日の出の早い時期のみではあるが)。片瀬西浜も鵠沼も辻堂も夏は海水浴場と化し、朝8時から午後5時まではサーフィン禁止になってしまう。朝一か夕方の短い時間をねらって、ロングボード、ショートボード、ボディボードが老若男女、巧拙のサーファーたちであふれかえるので、日の出とともに入り、8時前には上がってしまうことが多い。 ボード遍歴は、DART(シドニー郊外のファクトリー製。初心者用としてはよかった。最後は水を吸って潜水艦に。粗大ゴミで出した)、茅ヶ崎のシェイパーに削ってもらったカスタム(大理石風にきれいに仕上げてもらったが、性能は最低。まるでだめだったので、すぐに売り飛ばす)、RAIDER-PRO(その筋では有名な博多のカヤック店主柴田英俊氏に輸入してもらったもの。シドニー郊外のファクトリー製)、SHANE-EPOXY(シドニー郊外のファクトリーで直接購入。この板は速かった。しかし、千葉県千倉の海でパーリングした際、真っ二つに)、SHANE-EPOXYカスタム(ファックスで注文し、シドニーまで取りに行った。最終的にはセタスに贈呈)、WAVE MASTERのPRO(ニューサウスウェールズのニューキャッスルにあるファクトリー製)。 サーフボードのシェイパーに削ってもらったこともあったが、普通のサーフボードとコンセプトが全然違い、ほとんど乗れなかった。 今あるのは、DEKKAのカスタムエポキシ(現在も一応現役。ゴールドコーストのウェイブスキーヤー、ニール・デッカーにファックス依頼し、取りに行った思い出付き、実家に放りっぱなし)、そして葉山のセタスに頼んだISLANDのロングボード(アメリカ製)とWAVE MASTERのカスタムボードである。ISLANDのロングボードはマンションのサーフボード置き場に裸で置いてあったので、結構経年変化がきている。すでにもう一本セタスから中古を買った。さらに、ウェイブマスターのカスタムボードもセタスから注文してもらい、これもシビアなコンディションでなければ使っている。体重を減らさないときつい。 これまで印象に残っているライディングは、逗子の大崎ポイント。台風通過のあと、日の出を待って入り、ブレイクポイントから見下ろすと、ゲティングアウトしてきたボトムにいるサーファーが小さく見えるほどのダブル以上の波にのって、100メートルくらいのライディングが決まった時。底は岩場のウニだらけだから、間違ってパーリングなんかすれば悲惨なことになっていたかも。それから長者ヶ崎の沖合の島の脇で立つ波は、フェイス上でボードが跳ねながらダウンし、気持ちいいほどのボトムターン、カットバックが決まった。小山のような大きさのパワーのある波で、若い仲間を連れていったら、びびって帰ってしまった。 今や年齢が年齢であり、きついビーチブレイクは苦手。ポイントブレイクでパドルアウトしやすい波が好ましい今日この頃。若い頃は朝から晩までやっていたが、今は夏で3時間、冬で2時間がいいところ。 目が極端に悪く、しかもコンタクトレンズを受けつけない目なので、度入りの水泳用ゴーグルを使っている。波にまかれるとあっという間にはずれてしまうため、ゴーグルのストラップには、リーシュをつけて、首でとめている。DEKKAのボードはノーズが赤く、ボード中央部にかけてグラデーションをかけている。ISLANDのロングボードもノーズからセンター部分にかけて赤いグラデーションになっている。台風の時、ショアブレイクにはまり、つっこんで、ノーズ部分が割れたので、自分で直して使っている。経年変化で表面が削れ、腕とかが触れるとちくちくして赤く腫れるので、樹脂をかぶせた。手作り感が漂っている。そのうちノーズがブルーのハワイアン柄のロングがお目見えするだろう。デッドストックでとってある。いずれにせよゴーグルをかけたウェイブスキーを見かけたら、100%私である。 |