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1月以降は、すべて下記のブログへ引っ越しております。
神楽坂の近くに、「後楽園」があります。 正確にいえば、小石川後楽園です。 東京ドームの裏手にある庭園です。 江戸時代、あの水戸黄門の屋敷跡ですね。 この「後楽」って、どんな意味かご存知ですか? 「後で楽しむ」と解釈すると、誤解される可能性があります。 その理解のためには、元ネタを知るべきでしょうね。 後楽の元ネタはどこからきているのでしょうか? 「先憂後楽(せんゆうこうらく)」です。 中国の為政者のために作られた故事です。 国家の管理、運営に対する心がけを述べたのです。 范仲淹「岳陽楼記」に記載されています。 「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」 つまり・・・・・、 優れた為政者は、 心配事については世の人がまだ気付かないうちからそれを心にとめていろいろ処置をし、 楽しみは世の人の楽しむのを見届けたあとに楽しむのです。 わたくしの仕事は為政者ではありません。 でも・・・・・、 この言葉は、大先輩から指導を受けました。 古い研究室の壁に掲げられていました。 問題点が見つかった時点で、最悪のケースをつねに想定すること! あらゆる可能性をつねに考えておくこと! 想定外は最小限に抑えること! そして・・・・・、 クライアントの不利益が最小限になること! クライアントが楽しく暮らせるようにすること! この言葉には、自分が楽しむというのは二の次です。 まず起こりえる最悪のケースを想定し、 そのあと大事に至らない方法を考え抜き、 相手に楽しい人生を送らせることなのです。 その結果、自分にも楽しい人生が送れるのです。 あらゆるお仕事に通じる内容です。 政治だけでなく、 教育でも、 会社でも、 演劇でも、 家庭でも、 ありとあらゆるところで通じる内容です。 母親の子供が病気になったときです。 母親の心の動きは自然と、「先憂後楽」になります。 そこには『見返りを期待しない愛』があります。 先憂後楽とは、憂いのない人生を楽しく生きるという考えではありません。 憂いを生むかもしれない心配事をあらかじめ考え抜くのです。 相手に最小限の不利益がかからないように考えるのです。 その結果、相手に幸せで楽しい状況が生まれるのです。 後楽とは、「はた楽」に繋がります。 『はたらく』ことは、『はたを楽にすること』です。 はたを楽にすれば・・・・・、 まわりが後で楽になります。 まわりが喜んでくれます。 自然と感謝の心が生まれます。 すると・・・・・、 結果として、自分も楽になります。 結果として、自分も楽しくなるのです。 「後楽」は「はた楽」であり、 「皆が楽」になり、 その結果、 「己が楽」になるのですね! (^_-)-☆パッチ!
被災地をテーマにした「佯狂のあとで」からもう2週間がたちました。 カオリン(大勝かおり)の情熱ある演技が思い起こされます。 そして・・・・・、 あと2週間もすると、その悲惨な出来事から1年がたちます。 ここにあるお話しを伝えます。 実話です。 小さなメッセージです。 でも・・・・・、 とても深いメッセージです。 途中で、男よ!となっていますが、人よ!と解釈して下さい。 読むにつれ、次第にこころ打たれる内容です。 わたくしヨコは、最後の方で号泣してしまったのです。 受け取り方は人それぞれでしょう。 でも・・・・、 いまでも大切な内容を含んでいると思います。 卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 -中略- 立教新座中学・高等学校 校長 渡辺憲司 ちなみに・・・・・、 この渡辺憲司先生、かなり個性的なお方です。 わたくしはなぜか存じ上げております。 NHK ブラタモリ 吉原編でタモリと久保アナウンサーを引き連れて、吉原を案内した背の低く首の短いあのおじさまでございます。吉原の研究者として、学問的かなり有名なお方でございます。 一部はわたくしが色を付けたりして改編しております。 全文は、http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/ にあります。
まとまりがなく、言いたいことが、不明瞭でした。 字句を加筆訂正しました。 悪夢・・・・・、嫌ですね。 見たくないです。 でも、最近よく見ます。(_ _;) うなされます。 縁起でもない悪夢です。 「凶夢」ともいいます。 冷や汗をかいて起き上がります。 ちょっと疲れている? ちょっとストレスがたまっている? そうなのです。 正直にいって、いまお疲れ気味です。 そこへ降って湧いたような「アヌサラ事件」! さらにわたくしが心配をしている人がいます。 それが重なって悪夢になっているのです。 悪夢の反対ってなに? ご存知ですか? 「吉夢」です。 「きちむ」あるいは「きつむ」と呼びます。 縁起のいい夢ですね。 話題のアヌサラヨガは、タントラ哲学の考え方をバックボーンしています。 非二元論の考え方をします。 ナンでしょう? 悪夢でなければ、 吉夢でもない、 悪いでもなければ、 善いでもない! 美しいでなければ、 醜いでもない! 喜びでなければ、 苦しいでもない! 富めるでなければ、 貧しくもない! 現実でなければ、 夢でもない! ( ゚o゚)ハッ! 「胡蝶の夢」を思い出します。 荘子の語った物語です。 夢の中で蝶としてひらひらと舞っていた所、 目が覚めたが、 はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、 それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、 というお話しですね。 『以前、わたし荘周は夢の中で胡蝶(チョウチョのこと)になった。 喜々として花々の中を百年近くも胡蝶になりきっていました。 自分でも楽しくて、心ゆくばかりに、ひらひらと舞っていました。 荘周であることは全く念頭にありませんでした。 はっと目が覚めると、なんということはありません、荘周でした。 荘周であるわたしが夢の中で胡蝶となったのでしょうか? 自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのでしょうか? いずれが本当かわたしには判りません。 荘周と胡蝶とには確かに、形の上では違いがあるのです。 しかし主体としての自分には変わりはなく、これが表面での物の変化ということです』
美です。 本質の実とは・・・・・、 善です。 本質の実とは・・・・・、 心なのです。 どんなに境遇が変わっても、 本質の実を大切にするのです。 どんなに境遇が変わっても、 嬉々として人生を楽しむのです。 それが胡蝶の夢の言いたいことです。 それがタントラ的な生き方なのです!
本日のブログを書いていました。 ようやく最後の方の結論を書こうとしていた矢先・・・・・、 突然のPCの再起動です。 FC2ブログは優れものです。 一度、一字でも下書きにして記録に取っておくと、 バックアップをバックグランドで自動的に残してくれるのです。 だから楽天ブログのように消滅事件がないのです。 でも・・・・・、 PC自体が再起動してしまうと・・・・・、 消滅していました。 もう一度書き上げるエネルギーも消滅です。 また明日、書きます。 お休みなさい。
自宅の近くにスーパーマーケットがあります。 少し高めのお店です。 その野菜コーナにちょっと変わったブロッコリーが売られています。 その名は・・・・・、 「ロマネスコ」 ロマネスコ・ブロッコリーとか、カリフラワー・ロマネクスとか言われています。 なにが変わっているのでしょう? この様相がです。 ズームインします。 渦を巻いているのが判ります。 ラセンです。 つぼみがラセンを描いて出っ張りをくつっています。 さらにその出っ張りも同じようにラセンを描いてかたまりを作ります。 同じ形が繰り返し出てくるのです。 自己相似といいます。 何度も何度も同じパターンの繰り返しのことです。 「フラクタル」といいます。 自然界はこの自己相似のパターンで満たされています。 たとえば・・・・・、 稲妻です。 この稲妻は高電圧の電流を電気の通さない空気中に貫くとき発生します。 最小限の力で最大限の電流の近道を通ったあとです。 大地を走る川の枝分かれもフラクタル構造です。 これは米国の北西部の大平原に拡がる川の枝分かれです。 日本でも興味深い枝分かれを見つけました。 赤坂~溜池山王周辺の地図です。 黒い模様が、高低差を強調しています。 かつて江戸湾に入り込んだ入り江の枝分かれです。 これも同じ模様の繰り返しです。 フラクタルなのです。 植物にはこのフラクタル構造が多いですね。 代表的な枝分かれの構造は、木の幹から枝の分かれ方です。 人体にはたくさんの枝分かれ構造があります。 腕の動脈の構造がそのフラクタル構造です。 最も典型的なフラクタル構造が肺にあります。 肺の標本をみましょう。 左が気管支であり、 右が血管です。 気管支の別れるパターンも枝分かれした細気管支のパターンもそっくりなのです。 同じ枝分かれの繰り返しです。 自己相似です。 肺のフラクタル構造には一定の方向性がみられます。 フィボナッチ係数をなしているのです。 これはまた改めてアップしましょう。 稲妻も、 川のの枝分かれも、 海岸線の枝分かれも、 植物の枝分かれも、 小動脈の枝分かれも、 気管支の枝分かれも、 肺動脈の枝分かれも、 最小限の構造で、最大の効果を生み出そうするのです。 ロマネスクのつぼみの構造も、 最小限の構造で最大の数のつぼみを創り上げているのです。 誰がそうさせているのでしょうか? 自然の摂理? 大いなる意思の働き? 謎でございますね。(^_-)-☆パッチ!
「佯狂(ようきょう)のあとで」の話題が続きます。 出演者のすべてが不安の顔です。 出演者のすべてが怒りの顔です。 出演者のすべてが怒号をあげます。 例外がありません。 カオリン(大勝かおり)は、迫真の号泣です。 涙がしたたり落ちるのです。 そこには、笑いは一切ありません。 カオリンだけではありません。 だれも笑いません。 唯一です。 笑いの顔がありました。 能面です。 子供に面に優しい笑顔を感じます。 大人の面にも優しい微笑みです。 目元は笑っていません。 口元が笑っています。 アルカイック・スマイルです。 古代ギリシャ文明から渡ってきた、死の世界からの生命力と希望の微笑みです。 前にもアップしたように、この舞台で主役の女優さんの半跏思惟像の能面には「微笑み」を感じさせます。 「微笑み」の国宝とは・・・・・、 国宝の第一号です。 そうです! 広隆寺の半跏思惟像です。 わたくしの大好きな弥勒菩薩です。 ![]() 弥勒菩薩の半跏思惟像とは・・・・・、 思索にふけってた仏像です。 何の思索にふけっているのでしょう。 将来、この世に自分はどのようにして世の人々を助けようかと考えているのです。 苦しみの顔はありません。 悲しみの顔もありません。 救うことに希望があるのです。 救うことに幸福があるのです。 アルカイック・スマイルです。 弥勒菩薩が現世に降りるのは56億年も先だと言われています。 その前に現世に降りてきた化身(アバター)がいます。 「弥勒さま」とよばれます。 もっと一般的な別名があります。 「布袋(ほてい)様」です! 満面の笑みです。 明るく素直な笑みです。 すべてを受け入れる笑みです。 全身にいつくしみ(慈しみ)を感じさせます。 笑仏(シャオフォー)”です。 欧米では、「HAPPY BUDDHA(ハッピーブッダ)」と呼ばれます。 日本に渡ります。 七福神の一人になります。 笑いが希望と幸せをもたらします。 笑いが富と反映をもたらします。 この不安な時こそ! この助けがない時こそ! この自信のなくなる時こそ! この絶望とも思える時こそ! 布袋様がわたくしたちに教えてくれます。 「微笑みましょう!」 「笑いましょう!」 「お腹から大声で笑いましょう!」 それが・・・・・、 失われた希望と幸せを呼び戻すのです!
アヌサラヨガの存在が揺れに揺れています。 動揺している人達がいるのは事実です。 わたくしもその一人でした。 それを払拭できたのは、カオリン(大勝かおり)のお陰です。 カオリンが出演していた舞台で気がついたのです。 「佯狂(ようきょう)のあとで」です。 先週まで神奈川県の上永谷にある貞松院で開催されていました。 約2時間の舞台で、カオリンが最後の方で舞ます。 何度観ても揺るぎない舞です。 安定感がある舞です。 別の舞台でのカオリンです。 普通に立ったままでハヌマーン(前後開脚)なのです。 今回の舞台では・・・・・、 蹴り上げる足が軽く頭を越えます。 最後にヨガのポーズになります。 「ナタラジャアーサナ」です。 「ダ ンスの王様」のポーズです。 わたくしは完成型ができません。 カオリンはいとも簡単にやってのけます。 素晴らしい身体能力です。 そして連続回転です。 氷上でないのにスゴイ回転数と回転速度です。 単に舞をするだけではありません。 台詞を言いながらの舞です。 さすがです。 劇団四季のダンスインストラクター「シャンテ」さまの 振り付け師とダンスについて、 師匠と仰ぐカオリンなのです。 なんで、あんなにスゴイ舞ができるのでしょう。 とうぜん、普段からのトレーニングがあるからでしょう。 どこに安定感の秘密があるのでしょう? ( ゚o゚)ハッ! 気がつきました。 下半身です。 そして 中心軸です。 強固な下半身と 強固な中心軸が 安定感のある基盤をつくります。 強固な下半身と 強固な中心軸が 安定感のある舞に繋がっているのです。 あれ? それって・・・・・、 アヌサラヨガじゃん! あの普遍的原則じゃん! 基盤をつくる! Set Fundation ! カオリンがアヌサラヨガの普遍的原則を知っているわけではありません。 舞を踊る世界ではきっと当たり前のことなのです。 理論的に構築したのが、いま話題の時の人「JF」なのです。 アヌサラヨガが・・・・、 揺れに、揺れ、 騒ぎに、騒いぎ、 騒ぎに乗じて、 誹謗中傷をし、 アヌサラヨガの生徒や先生を非難する輩が大勢います。 カオリンの舞いはそれに対して答えを出してくれました。 足元をしっかりするのです。 自分のこころの足元です。 揺るぎないこころの基盤をつくる! 揺るぎない中心軸をつくる! そんなことを思い浮かべて神楽坂のケイコ師匠の「アヌサラ」のアドバンスクラスに出ます。 JFの話題は出ません。 生徒も先生も、誰一人としてその話題をしません。 ケイコ先生のオープニングトークです。 (@_@;) オ~~~~ォ! 今日は、足元を意識したヨガをやりましょう。 足下をしっかりとしたヨガをやりましょう。 足下が安定すると・・・・・、 全体が見えるようになります。 客観的に見えるようになります。 カオリンから得られた気づきと同じテーマです。 偶然の繋がりです! そうです! 不安定で、 不安がよぎり、 不信感で、 疑いの心が生まれ、 未来へ自信が無いときこそ、 基盤をつくるのです! Set Fundation です! 辛い時期だからこそ、 しんどい時期だからこそ、 自分の足下を見つめましょう。 周りから足をすくわれないようにしましょう。 時がかならず答えを出してくれます。 流れ行く時がその答えを持ってきてくれます。 結論をいま出す必要などないのです。 いま、まさに、「アヌサラ」なのです!
「佯狂(ようきょう)のあとで」の舞台です。 カオリン(大勝かおり)が出演した舞台です。 舞台の最中です。 中央で・・・・・、 役者さんの泣き叫ぶ声に目が行きます。 カオリン(大勝かおり)の動きが真っ先に入ります。 反射的に目が動くのです。 止めることができません。 カオリンの演技を見終わります。 周囲を見渡します。 ある仕草が目に入ります。 舞台の端に主演の女優さん朱尾尚生(ナオ)さんが椅子に座り込みます。 大人の能面をかぶります。 不気味です。 ( ゚o゚)ハッ! 主演の女優さんの腕がユックリと動きます。 判らないくらい、 ユックリと、 腕が動きます。 判らないくらい、 ユックリと、 指先が動きます。 判らないくらい、 ユックリと、 左足が動きます。 半跏思惟像です。 わたくしは、「はんかしいぞう」と習いましたが、 「はんかしゆいぞう」とも呼びますね。 初演のときは・・・・・、 確実に中宮寺の「半跏思惟像」の弥勒菩薩の姿になっていました。 瞑想にふける弥勒菩薩の姿です。 古代インドの神に「ミスラ」がいます。太陽神の一人です。 古代ギリシャに流れます。ミトーラスと呼ばれ、同じように太陽神として崇められます。 古代インドでさらに名前がミイロに変化します。 中国に拡がると、ミロクとなり、漢字に「弥勒」が当てられます。 弥勒は未来仏です。 未来に人々を幸せにしてくれる仏さまです。 不幸に苦しみ、 痛みにもだえ、 悲しみに打ちひしがれている人々を 優しく見守るのです。 能面を見ます。 斜めから入ってくる光線で能面が光ります。 「微笑み」です。 ( ゚o゚)ハッ! 「アルカイック・スマイル」だ!!! もうご存知のかたもいらっしゃるでしょう。 目元は笑っていません。 口元だけが微笑んでいるのです。 古代ギリシャ時代です。 アルカイック期です。 紀元前700年~500年頃です。 そのころに制作された人物像に特徴が観られたのです。 顔は感情表現のない表情です。 口元だけが微笑んでいます。 ギリシャ人が、 「死後の世界より、生きる喜びを表現」したのです。 これをアルカイック・スマイルといいます・ ギリシャからガンダーラで仏像に影響を与えます。 中国を通り、日本にやってきます。 飛鳥、天平の仏像の口もとにも、この微笑みが作られます。 中宮寺の弥勒菩薩の笑顔です。 舞台は真っ暗闇です。 能面が微笑んでいます。 アルカイック・スマイルなのです。 被災地で生と死の狭間で繰り広げられる怒号と号泣と苦悶と叫び声です。 人知れず、 誰にもわからないように、 瞑想にふける半跏思惟像が優しく見つめています。 光の角度で反射して見えたのが・・・・・、 「微笑み」だったのです。 優しい微笑みです。 死後の世界から生きる喜びを表現した姿だったのです。
カオリン(大勝かおり)の舞台「佯狂(ようきょう)のあとで」が終わりました。 最終日の午後は大入り満員でした。 神奈川の上永谷にある「貞昌院」です。 黒い部分が本堂の中に立てられた舞台の一部です。 昨日が千秋楽でした。 出演した俳優さんも女優さんも、 初演日の同じメンバーとは思えないくらい、 とても素晴らしい内容になっていました。 毎日の厳しい稽古がそれを生み出したのでしょう。 「佯狂(ようきょう)」とは・・・・・、 よそおった狂いです。 うその狂いです。 偽の狂いです。 公演時期とアヌサラヨガのJF事件とが重なります。 JFは佯狂だったの? JFは佯狂のあとを見ているの? JFは佯狂で周囲の反応を見ているの? 劇中にときどき心の中からわき上がる疑問です。 でも・・・・・、 この劇はそんな茶番ではありません! もっと・・・・・、 かなり・・・・・、 すごい・・・・・、 真剣なテーマを示しているのです。 5日間で、4回の観劇をしてしまいました。\(^^@)/ 観れば観るほど・・・・・、 奥の深い内容に気がつきます。 観れば観るほど・・・・・、 新たな疑問点がわき上がります。 観れば観るほど・・・・・、 テーマがなにかが見えてきます。 東日本大震災の出来事をいろいろな角度と表現で示したのです。 混乱、絶叫、慟哭・・・・・、 津波に襲われた人々の状況を表現します。 カオリンは、迫真の号泣です。 わたくしも号泣してしまいました。 毎回です。 毎回、カオリンの泣け叫ぶ被災者の声に、 毎回、カオリンの目からこぼれ落ちる涙に、 毎回、カオリンの震える泣き声に、 ヨコは泣いていました。 泣き虫ヨコの復活です。 壁の隅に、能面が3つ掲げられています。 幼子の面、 大人の面、 そして・・・・・、 般若の面です。 (ちなみにこれらの面は主役の朱尾尚生(ナオ)さまの自作とうかがいました) (スゴイ才能の持ち主です) それぞれに意味があることに気がつきます。 幼子の面をいだく主演の女性がいいます。 波間に消えた幼子を探してほしい。 海の中に消えた幼子ともう一度遊びたい。 こうして主演の女性の「憑依の舞」が展開されます。 いくつものキーワードが出てきます。 「アンネ・フランクリン」 「蟻」 「杭(クイ)」 「老婆」 「境界線」 「砂上」 「旅」 グサッと心につき刺さる言葉がありました。 いまのわたくしたちの状況です。 迷えるアヌサラです。 眼に前に起きた出来事があまりにも理想から離れていきます。 あまりにも理想から遠い内容です。 理想が打ち砕けます。 とてもありえない現実です。 現実的でない内容です。 逆に現実的でなければ、ないほど・・・・・、 人間に残る真実があります。 「今でも信じています。 たとえいかなることが起ころうとも 人間の本質は・・・・・、 やっぱり『善』だということを!」 アンネ・フランクリンの言葉です。 ナチスに迫害され、追われ続けたあの「アンネの日記」の言葉です。 第2次大戦のあの悲惨なホロコーストの最中に残した言葉だったのです。 いまのわたくしの心に留めるべき言葉だったのです。 大人の面を抱えます。 ニオイの話になります。 悪臭の話です。 これはかなりしんどい内容です。 ここでは書きません。 主役の女性の「憑依の舞」です。 字幕スーパーが壁から流れます。 それに合わせて、カオリンの舞いです。 情念の舞です。 情熱の舞です。 驚異の身体能力です。 拍手したかったけどできませんでした。 津軽三味線の小山内薫(カオル)さまの音楽がさらにわたくしたちの情緒に訴えます。 境界線とは・・・・・、 あっちとこっちです。 「被災地」と「そうでない地」 「被爆地」と「そうでない地」 「生きのびた人」と「死んでいく人」です。 教師であったカオリンの言葉がまた心に突き刺さります。 「生きて、生きて、生き抜いていく!」 「希望」であり、「幸福」に繋がる! 「若い人たちが生き抜いて、未来をつくるんだ!」 生と死の狭間で狂気のように叫ぶ人々です。 詩人、教師、女優、旅人・・・・・、 そして・・・・・、 死の世界へ導く人がそれらの人々の 肩たたきをします。 死の世界へ招き入れたのです。 二人の女性が残ります。 若い女性と老婆です。 般若の面の舞が始まります。 老婆が暗闇から登場です。 あの若い女性が死んで横たわっています。 現実の世界で、半裸の死体となって現れたのです。 老婆がいいます。 死んだ若い女の、 腰まである長い髪の毛を、 1本1本抜いているんだと・・・・・。 今昔物語の「羅生門」のお話しです。 叫びます! 最後の叫びが起こります! 生きろ! 生きろ! 生きろ! そのあとは、寒空と冷風と雨の世界が展開されます。 それもでも生きるのです! 生きろ! 生きろ! 生きろ! 万感の思いで幕は閉じるのでした。 終演後のカオリンです。 大小のオーブが6つも輝いています。 終演したカオリンへの舞の祝福ですね! (^_-)-☆パッチ! │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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