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そうだ坊主になろう!~ヒロ伊藤流仏弟子修行

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2005年04月22日
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昨年11月出家得度した前後からお釈迦様の本当の考えが知りたくて、原始仏教とその教典を読んでいます。学生時代にも読んだはずのものもありましたが、30年近くも前のことですので、忘れていたりその当時は実感として理解できなかったことが、50歳を前にした今では分かるようになりました。それらは、お釈迦様が今でも生きているかのように新鮮に伝わってきます。その中から心に留まったものを、このブログで紹介しているわけです。

読書は、当時の哲学的な思潮や他の宗教、歴史にも及んでいます。サラリーマン時代や独立したコンサルタントになってからも、専門分野の本は随分読んできましたが、哲学や宗教、歴史関係の本を沢山読み続けているのは久しぶりというか、初めてかもしれません。そうした読書の中から、とりわけお釈迦様在世の紀元前5世紀から、大乗仏教の誕生、継いで密教誕生という最後の花を咲かせてインドから仏教が消える(実際にはバラモン教に習合されてヒンズー教が誕生する)7世紀までの間の、インドやその周辺諸国の政治的、思想・宗教的な歴史を勉強するにつれて、2月初め頃、私の中に大きな疑問が生じたのです。

現在の仏教には、北伝仏教と南伝仏教があります。北伝仏教は、インド西北部からアフガニスタン、中央アジア、西域を経て中国・朝鮮・日本に至たるもので、般若経典や浄土経典、法華経典などを創りだした大乗仏教の流れです。一方、南伝仏教はスリランカを経てタイ、ミャンマー、カンボジアなどへ展開していった、保守派の上座部(長老派)仏教、かつて小乗仏教と呼ばれたものです。実際にはインドの本当の北方であるチベットへもヒマラヤ山脈を越えて密教が伝わっています。

要は、仏教の伝道者は、特に仏教を国教としたインド統一王朝アショカ王の時代に東西南北あらゆる方向に布教の旅をしたはずなのに、西方への道だけが、現在見えていないという不自然さ、これこそが私に生じた疑問です。西方には、ペルシャ、メソポタミア(イラク)、シリア、パレスチナ、エジプト、ギリシア、ローマがあり、確かにアレキサンダー大王のようにたびたび侵略戦争を仕掛けられたことはありますが、長い歴史の中で交流の密であったことは確かです。間にヒマラヤ山脈のような険しい地理的障壁もなく、距離的には中国や日本に伝わるよりよほど近い。海上交易も発達していたことは歴史的事実です。現在このインド西方は、イスラムの領域であることは確かですが、それは7世紀以降、インド侵入は8世紀初めです。

読書を進めて分かったことは、イスラム以前ゾロアスター教などペルシャとの間では、相互に影響し合っているということ、このころのペルシャ帝国は中東全域を支配しその勢力圏はシリア、パレスチナ、アラビアにも及んでいたこと、この当時のメソポタミアはペルシャの統治下で宗教的にもペルシャの影響を直接的に受けていたこと、メソポタミア南部はバビロニアでその首都バビロンには、かつてバビロニアがパレスチナを占領したときユダヤ人達がバビロン捕囚として移住させられ、バビロニアがペルシャの治下になったとき解放されたものの多くが残っていたこと、平和なペルシャ帝国内部では交易・交流が盛んだったこと、これらを考え合わせると、人種・民族や身分制度にかかわらず平等を説き、特に新興の都市住民(商人)やインテリ層に人気のあった仏教が、西方への伝播がなかったことの方が不自然なことが理解していただけると思います。

しかもその動かぬ証拠として、ササン朝ペルシャの人マニ(西暦210~275年)が24歳の時啓示を受け(3世紀中頃)、マニ教を開いたことがあげられます。それは、ペルシャのゾロアスター教、ユダヤ教、初期キリスト教(グノーシス主義的)、仏教、さらにシルクロードを通して伝わった中国の道教をも習合した世界宗教だったのです。マニは、天からの啓示である十字架のイエスと、内なる悟りである光りのブッダの共存を説きました。

これらの歴史的真実は、しかし中東やインド、そして西洋の歴史から完全に抹殺されてしまいました。近世になり西洋と東洋の出会い交流が増すにつれてそれは思い出されました。近代になって中央アジアや中東などへの探検隊の派遣・発掘、植民化を通して歴史的文物が発見され、それらは学会からも宗教界からも研究され、再評価されるべきものでしたが、ローマ教会もそれに密接に連なる学会も黙殺、あるいは隠し、あるいは異端視して攻撃しつい近年まで日の目を見ることがありませんでした。残念なことです。しっかり評価され、一般に広がり教育に取り入れられていさえすれば、現代のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の三つ巴、アイルランドのようにキリスト教も新旧に別れ4者敵対する無制限血みどろの19~20世紀の現代史は、平和な時代に変わっていたかもしれません。

前置き?が長くなりましたが、そんな西洋・キリスト教のダークサイドの歴史が分かる本が本日ご紹介する『キリスト教暗黒の裏面史』です。皆さんがこれまで接してきた西洋史と合わせ読むことで、真の西洋史やキリスト教、そして世界宗教が見えてくるかもしれませんよ。

「そんなことが何になる、心の修行に励め」とお釈迦様や師に怒られそうですが、性分というものは完全なる涅槃という死が訪れてくれるまで、直りそうもありません。
Noumaku samanda bodananbaku!
On abiraunken bazara dato ban!
お釈迦様、大日如来様、馬鹿な仏弟子をお許しください。
On abokya beirosyanou makabodara mani handoma jinbara harabaritaya un!
合掌九拝


『キリスト教暗黒の裏面史』 徳間文庫
ヘレン・エラーブ (著) 杉谷浩子訳 井沢元彦監修

キリスト教二千年の歴史におけるダークサイド、異端者の徹底的な弾圧・抹殺、異教徒への十字軍派遣と殺戮、信徒への愛ではなく恐怖による支配、唯一神と教会への絶対服従と個人の意志すら認めない自由の剥奪、東西教会の分裂と骨肉の争い、闇黒の中世の教会がペストを生む、宗教改革による自然崇拝の抹殺と壮絶な魔女狩り、不毛な新旧宗教戦争、病的なまでの人種差別・男女差別、植民地支配と伝道に名を借りた血塗られた侵略と奴隷制の容認、ナチズムを生む原因の創出、自然科学、文化、芸術、歴史に対する破壊。。。
それは、キリスト教裏面史というよりは、むしろ西洋史そのものである。井沢元彦監修が?だが、実は真面目な研究書だった。

この闇黒史に史上初めてピリオドを打とうとしたのが、先日亡くなったローマ法王ヨハネ・パウロ2世だったのです。彼の行ったこと、その真の偉大さと彼が持った使命感の命をかけた崇高さが、これを読むと実感できます。  合掌 観学院称徳






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最終更新日  2005年04月22日 14時17分10秒
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