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以前、テレビ番組で宮崎哲弥さんが「自国の歴史に物語がない国はダメだ」みたいなことを言ってらっしゃいました。 それを聞きまして「なるほど・・・。ということは、『自分史』というのは自分の物語か~。」と思いました。
ネットで探し物をしていますときに「ナラエビ」という言葉に出会いました。何を指しているのか全然分かりませんでしたが、後ろに「医学」が着いていました。「ナラエビ医学」です。 「ナラ」とは「ナラティブ」(物語)を指しており,「エビ」とは「エビデンス」(科学的な証拠)を指している。病と患者の対処の行動をその人生と生活における大きな物語のなかでひとつの物語として認識し、患者との対話を重視するなかで、患者の語りとその主体的役割を重視し、多様な文脈における複数の物語(説明)の可能性を受け入れる、ということだそうです。
探し物は少しワキに置いて「ナラエビ」「ナラティブ」で調べましたら、提唱者の斉藤清二教授のコメントを探し出すことが出来ました。 「否定しないでそのまま聞く。」 「ただ、口で言うのは易しいですが、これが結構難しいのです。なぜでしょうか。」 「それは医師の側に、これはきっと~に違いない、という物語りがあるからです。医師は、患者さんが間違っていると思えることを言い出したら、聞き続けることができなくなります。こちらの考えと違うことが出てきた時に、私は専門家だから正しい、と黙っていられなくなるからです。」
あぁ、そうなんですね。皆が、それぞれ自分の物語を持っているのです。そして自分も同じなのですね。 『私は専門家だから正しい』というのは『私は指導者だから正しい』『私は大人だから正しい』『私は親だから正しい』『私は経験者だから正しい』『私は~だから正しい』 見る角度が違うと何が正しいとは言い切れないところで、私たちは日々生きています。
「それは誠に立派なお考えで」-これは私が自分と同じ意見を読んだ時に言うことばである。 『ハートで読む英語の名言』加島祥造 【けさのことば】で岡井隆さんが紹介していらっしゃいました言葉です。 岡井さんの解説 「人は自分と同意見の人をよろこぶ。『自分と意見が違うものを読んだ時は、相手が間違っていると』確信する。加島祥造は、掲出のスウィフトの言葉を読んで失笑し、また反省したという。ひとりよがりにならないためには、自分と違う意見の人を頭から否定などしてはならないのである。」 というのを随分前に読んだのですが、全然分かっていなかったことが、分かりました。 「お互いがそれぞれの人生に大切な物語を持っている」と思うだけで、随分気持ちが楽になりますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月19日 09時34分07秒
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