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私、兄連(えつら)と申します。
自分の表現の場を求めて、このブログ開設へと到りました。 日記で日常ふと思ったことを好きな映画の紹介と伴に伝えたいと思います。 また、本ブログのフリーページは兄連の掌編の発表の場です。 消えない記憶や思いを掌編という表現方法で形にしてみました。少しでも多くの人に伝わればと思います。忌憚ないコメントは歓迎です。 最後に、このフリーページで発表される掌編の著作権はすべて本ブログの管理者「兄連(えつら)」に帰属します。 ETSURAの日記 [全234件]
ペンギンはどこへ向かおうとしていたのか?遠く南の果ての氷の島に想いを馳せていたのだろうか。それとも逃れた水族館へどう戻ったものかと思案に詰まっていたのだろうか?いずれにしてもその途方にくれた姿は笑いを誘うが、その心中を慮るに一抹のペーソスも禁じえない。 さて、多摩の動物園から脱走したホオアカトキはどこへ行ったのだろうか?その行方いまだわからずらしい。故郷を思いながら、里山の片隅でハンニバルの爪牙の下、骸となってしまったのだろうか?それは余りに悲しいではないか! 「日暮郷関何処是 煙波江上使人愁」(「黄鶴楼」サイコウ作) さて、今回ご紹介の映画は「故郷の香り」(2003年/フォ・ジェンチイ監督)。都会から久しぶりに故郷に帰ったジンハー(グオ・シャオドン)は足の不自由なヌアン(リー・ジア)に再会する。彼女は口のきけないヤーパ(香川照之)と結婚していた。故郷を一度は捨てたジンハーだったが、彼の心の中に封印したはずのヌアンへの想いが再び蘇ってくるのだった・・・。 中国の田舎を描いた映画は、総じて描かれる水辺が美しい。本作でもヤーパが飼っている家鴨を運動させる池や雨に濡れた路地裏など、埃っぽい都会と対比的な風景が印象的だ。これが中国人が思い描く原風景なのだろうか? では、また。
現状を受け入れ、折り合いをつけて日々を渡っていくしかない。つまるところ、貧富尊卑の差こそあれ、何かを我慢したり、執着したりしている。それは人に限らず、道を横切る野良猫も藪の中に潜む鶯も然り。生きとし生きる者、天の決めた定めの下で命果てるまで生きていくだけなのだろうか? 「私の上に降る雪は真綿のようでありました」(中原中也「生い立ちの歌」より) さて、今回ご紹介の映画は「セント・アンナの奇跡」(2008年/スパイク・リー監督)。ニューヨークの郵便局の切符売り場で、窓口係が切符を買いに来た男を突然、ドイツ製拳銃ルガーで射殺するという事件が起きる。犯人ヘクター・ネグロン(ラズ・アロンソ)は犯罪歴もなく、その動機を語ろうとしない。ところが、家宅捜査で自宅から第二次大戦の最中に行方不明となった、フィレンツェの有名な石像の東部が発見される 時は遡り、1944年のイタリア・トスカーナ。米陸軍黒人部隊バッファロー・ソルジャーの中にネグロンの姿があった。部隊は渡河を試み、味方の十分な援護もなく、ナチとの戦闘で部隊の多くが戦死する。残ったネグロン他4名も怪我をした地元の少年を拾ってナチの前線近い山の中腹の村に逃げ込むのだった・・・。 差別を強いられながらも祖国のために一命を賭する黒人兵士の感じるイタリアの寒村での束の間の安らぎ。リー監督お得意の自由の国が抱え続ける黒人差別に関するストレートな告発が心地よい。 では、また。
ここ倭国の関東では春の嵐ならぬ竜巻が急襲し、南欧の御国では押し付けられた節倹生活への不満が巷間に沸騰している。ゼウスの国の荒れた世情は暫くやみそうな気配はない。気づくこと、遅きに失することのなきことを望むばかりだ、特に天上の神々の怒りは傲慢で蒙昧な人間に仮借なきこと神話に明らかなのだから。 "There is no king saved by the maltitude of an host: a mighty man is not delivered by much strength. A horse is a vain thing for safety: neither shall he deliver any by his great strength."(「詩篇第33編」より) さて、今回ご紹介の映画は「木洩れ日の家で」(2007年/ドロタ・ケンジェジャフスカ監督)。ワルシャワ郊外の古い一軒家に一人暮らすアニュラ(ダヌタ・ジャフラルスカ)は息子家族と一緒に暮らすことを望んでいる。今は、ただ800坪近い敷地に勝手に入り込んではブランコに興じる子供たちや成金の男が時々通ってくる一人暮らしの女の隣家の様子を双眼鏡で眺め、ボーダーコリーのフィラデルフイアに話かけるという、単調な日々が続くばかりだ。やがて、そんな生活に終止符を打たんと、同居することを拒む息子に愛想を尽かし、アニュラはある大胆な行動に出るのだった・・・。 全編モノクロームの映像は、陽光と緑豊かなはずの景色が寂しい最晩年を迎えたアニュラの目に映っては、とても味気ないことを視覚化したものだろう。そして、この映画の主役は登場人物ではなく、一家族の生活が通り過ぎたこの古民家なのであろう。それにしても老母と中年期を迎えた息子の断絶というものは洋の東西を問わず、避け難いものなのだろうか? では、また。
小川沿いの桜並木は葉桜となったが、藤棚の花房はまだ色づかず、例年より季節の歩みは遅いようだ。心だけが逸り、先々の懸念を先取りしては暗い気持ちになる。それは雨催いの空に早くも入梅の空気を肌で覚えるようなものだろうか?蒸し暑さが去らない夜半どき、私はパソコンに向かっている。 「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(持統天皇) さて、今回ご紹介の映画は「台北の朝、僕は君に恋をする」(2010年/アーヴィン・チェン監督)。恋人がパリに留学してしまったカイ(ジャック・ヤオ)は本屋で仏語の本を読んでは覚えたての仏語で彼女に連絡する日々を送っている。本屋の店員スージー(アンバー・クォ)はそんな彼が気になるのか、ちょっかいを出してくるが、カイは興味を示さない。カイは日を追って恋人への想いが昂じ、地回りのやくざからお金を借りてパリ行きを決める。融通の見返りにそのボスに依頼された怪しげな仕事を引き受けたカイは、喧騒の中で遭遇したスージーと奇妙な一夜を過ごすことになるのだった・・・。 登場人物、皆どこか現実感が乏しい映画だ。スージー役の女優の愛くるしさはまさにファンタジー級だ。 では、また。
自分の体が知らずして何かに蝕まれていることに気づく。それは誰かの底知れぬ悪意のせいなのか、それとも己が満たされぬ欲求の澱のせいなのか? 何かを選ぶということは何かを選ばないということである。今の自分にはその覚悟ができていない。私はそのジレンマの中で本当に疲れている。 「孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように」(仏陀の言) さて、今回ご紹介の映画は「ほしのこえ」(2002年/新海誠監督)。携帯メールで進学先の高校のことなど話し合うありふれた中学三年の少年少女。しかし、少女は国連の宇宙戦闘隊員に抜擢され、地球の火星調査隊を全滅させた異星人と交戦するため、宇宙遠く旅立っていく。携帯メールの届く時間は次第に長くなり、少女の送るメールは大人になった少年に届くのだった・・・。 自主制作の25分の短編作品であるが、ストーリーも画も素晴らしい。登場人物はこの少年少女の二人きりなのだが、それが一層、二人が引き裂かれた距離というものを強く見るものに感じさせる。 では、また。
光と闇は平等に訪れる。良いことの後には悪いことがある。人がその文明というおもちゃを弄んできた過程で一番忘れてしまったことはこれではなかろうか? 思い通りに行かなければ、しばしそこを立ち去るべし。執着は不満を生み、そして不満が執着を育てる。 世界を俯瞰しても周回遅れの国がその発展という果実を餌に栄華を維持したい国を誘ったり、時にはナンクセをつけたりする。そこには今を満足できないという互いの共通点が潜んでいる。首都に林立するクレーン、コンクリートを穿つ音そして搬送忙しきトラックの流れ。 光のみ恋焦がれるここもいつか自然は深き闇で包んでしまうのだろうか? 「楽而不淫、哀而不傷」(「論語」より) さて、今回ご照会の映画は「裏切りの闇で眠れ」(2006年/フレデリック・シェンデルフェール監督)。フランク(ブノワ・マジメル)とジャン=ギイ(オリヴィエ・マルシャル)はパリの片隅で非合法ビジネスで暮らしている。パリ闇社会のボス、クロード・コルティ(フィリップ・コーベール)もフランクの冷酷で隙のない仕事ぶりに一目置き、時折仕事を依頼しては自分の組織に入らないかと誘うが、フランクは応じなかった。そして、クロードが何者かタレこみで刑務所に送られ、出所していたときには手足として使っていたはずのアラブ系ギャングの兄弟がすっかりそのシマを乗っ取っているのだった。対立するクロードと新興のアラブ系ギャングのはざまでフランクは孤高の道を歩むのだった・・・。 出たー、とことんナルシスティックなフレンチノワール!でも、フランクのストイックな生き様と冷酷な変わり身の早さ、それはあくまで闇社会でのお話であろうが、光社会でも人は出処進退鮮やかにありたいものだ。 では、また。
人は執拗に物に執着する。へんてこな理屈をこね、己が地位に汲々として方便を曼荼羅繰り返しているにすぎぬ者の何と世間に多きことか? 人只想他的欲望得很多啊!How greedy people are for satisfying himself! Comme l'homme est avide! 原発しかり、先々を考えたらそれなしの電気窮乏生活に何故今この時点から国民に強いられぬのか?我まさに古き地を忘れ、新たなる旅に出でん。国政を預かる者、その変化を恐れてはいけなかろうに。 「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」(李白「春夜宴桃李園序」より) さて、今回ご紹介の映画は「ドライブ」(2011年/ニコラス・ウィンディング・レフン監督)。昼は映画のカー・スタントマン、夜は強盗犯の逃がし屋を商う”男”(ライアン・ゴズリング)。越してきたアパートで出会ったアイリーン(キャリー・マリガン)とその息子ベニシオとの交わりに生まれて初めての安穏の時を過ごすのだった。しかし、夫スタンダードが出所してきたことで”男”は一度母子から身を引いたものの、刑務所で身を守るために借りたお金の返済に窮したスタンダードが再び踏むヤマに”男”は母子の幸せのため、手を貸すのだった・・・。 只管乾いた映画である。”男”は時折笑うだけで多くを語らず、それはアイリーンとベニシオと過ごしているときも変わりはない。スティーブ・マックウィーンの「ブリット」すらおしゃべりと思われるくらいに会話をせず、さらには題名から容易に期待されるカ-アクションまでも極限まで節約されている。とてもスタイリッシュで禁欲的な珍品である。 では、また。 |一覧| |