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追記 特攻の本質とは

 先の戦争で日本陸海軍は特攻という必死攻撃を実施した。特攻に関する著作を読んだり、記念館などを訪ねたりするといつも突入した隊員たちの想いや攻撃法自体の不条理さ等といろいろなものが入り混じった感情に襲われる。
 特攻なるものの本質を語る時に避けて通れないのは「若者の愛国心にあぐらをかいた作戦ではなかったのか?」という部分ではなかろうか? 先日読んだ本の中にある種特攻の本質なるものを見たので引用する。

渡辺洋二「彗星夜襲隊」*1より抜粋引用
特別攻撃をさらに許せないものにしているのは、出撃した者のほぼ全員が戦死したのに、隊員を選び、送り出した側のほぼ全員がなんらの責任も負わず、戦後の長期間を恩給付で生き続けたことだ。
~中略~
この連中は異口同音に言う。
「特攻は本人の愛国心の表われであり、あくまで志願によった」
と。前半にはある程度の真理があるが、後半についてはこれほどのウソはない。一部の例外的なケースを除いて、特攻への道を歩まざるを得ないように仕組んだ結果なのだ。希望か否かを問うたり、特攻以外に勝機は得られないと訓示するのも、間接的な強制である。
 特攻は至上の行為、どうせ戦死は必定と言ったムードにはあらがいがたい。まして上官から望むか否かを問う紙を渡されて、「希望せず」とかけるはずはなかった。そんな選択を許される時代ではなかったのだ。
 特攻の悲惨さを表すには特攻攻撃そのものよりも、送り出した側の掌を返したような敗戦後の生き方を記すのが、あるいは効果的なのかも知れない。だが、本書中にもいくつか出てくるが、そんな連中の名前を書くことすら不愉快だし、読者も気分を害されるに違いない。
 それならば、特攻の対極にあった戦闘組織を描いてみたらどうだろう。努力と苦心をかさねつつ、正攻法を採り続けた舞台を記述することで、特攻推進者たちの愚考や卑劣を表現できるのでは、と考えた。


 この著者のもくろみは先日紹介した本の中で十二分に達成されていると思う。また、特攻には今も続く官僚制*2の無責任体質が表われているのも理解できると思う。

*1 光人社NF文庫「彗星夜襲隊~特攻拒否の異色集団~」渡辺洋二
*2 よく、「戦前の軍部」と一くくりされることが多いが、職業軍人の幹部クラスというのは現在のキャリア官僚とまったく変わらない。特に陸軍士官学校や海軍兵学校といった幹部養成学校は授業料免除という特権もあったので、全国から文武両道の者が受験した。どれだけ優秀であったかというのは、戦後に多数の海兵、陸士出身者が旧帝大に進学したことからも推察できる。
 軍隊といえども、平和時の昇進を決めるのは「ペーパーテスト」の成績や行政処理能力であることも忘れてはならない。戦記ものを読んでいると海軍のハンモックナンバーというキーワードに当たる。これは海軍兵学校卒業時の席次のことで、平時にはこの席次どおりに昇進が決まることも珍しくなかった。

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