常緑樹4 ちゃんとしたお医者さん…タイトル「ちゃんとしたお医者さんに全てを診てもらいたい」(平成12年秋号 2000/9/5) 子供の頃、これが良いことか悪いことか不明だが、おなかが痛くても、風邪気味でも、また手を切ったり、ひざから血を流しても近所の医院に行った。 我が家族と長く付き合ってくれている年配の医師(決して注射は上手ではなかったが)が、父や兄弟のことを話題にしながら、優しく処置してくれた。 もっと高度な設備などが必要となる具合であれば、しかるべき病院に向かうことを進言し、紹介してくれた。 ほとんどの場合優しく声をかけてくれることで治ったような気がして、実際楽になることが多かった。 消毒して赤チンを塗るだけの治療が良かったかどうか、おかげさまで今も生かしていただいている。 先日こんな質問があった。 「親が二つの病院にかかっており、家に戻ることになったが家庭での注意点が異なっている。 どちらを優先したら良いか。また、一つの病院あるいは一人の医師に主担当になってもらい、調整してはもらえないのか、そんな病院があれば教えて欲しい」と。 私たちからすればお医者さんとはすこぶる偉大な方々で、目の前に行くと縮こまってしまうのが常である。 場合によっては医師=強者、患者=弱者という感じがないでもない。 大病で手術が必要だといわれた場合、そのお医者さんに全てを託すことができるかどうかが患者側の最大の関心事である。 自分あるいは身内の身体でありながら、残念ながら内部の難しいことは判らないのだから。 そうした場合、信ずるに値する友人が、気軽に何でも相談できる医師であればこの上ない幸せであるし、看護婦さんや医療技師であっても幸いである。 しかし、そんな僥倖は稀なことだ。 車では整備士に1級、2級などの資格があり、適切な修理をしてくれる。 住宅でも建築士にランクがある。 しかし、自分と同格の「人間」という大切な生き物の生命に、自分の失敗が直接影響を及ぼす医師という仕事に等級がないのは、どういうことだろうか。 できれば1級の医師にまず診てもらい、その後最も適切な専門分野の医師あるいは機関に振り分けていただくことはできないだろうか。 すでにそんな仕組みが存在するならば教えて欲しい。 これからは在宅で暮らしていくことが中心となる。 そうした医師に出会うことが快適な生き方や暮らしに直結すると思う。 今、街を見ると内科(消化器科)、内科(泌尿器科)などと表示が目立つ。 もちろん医学が、そして医療技術が進歩し、より複雑になっているので、相当に専門的かつ高度な知識が要求されるのは判る。 しかし、身体は一つなので、信ずるに足る、ちゃんとしたお医者さんに全てを診ていただきたいものだ。 |