生きていること、自分のいた世界とは違う。
何よりも、魔法という力の存在を認めなければならないのなら、単純思考で、ここが異世界、平行世界であると仮定しなければならなかった。
アンナはあくびを一つ「何だ平行世界って?」
「えっと」整理と説明を同時に行い、とりあえず説明をしてみる。「私がいた世界とは別の未来を歩んだ世界で、隣にずらっ!と、あるわけで近いほど近くて、遠いほど遠くて……つまりは~……う~ん。上手く説明できないよ」
「へぇ。で?」暇そうに聞いていたアンナは、あくびをまた一つ。
「で、と言われても……。だけど、平行世界にしては違いすぎる気が……。やっぱり、トラックにはねられた衝撃が強すぎて、私のいた世界から遠い平行世界に飛ばされたのかな……。って何を私は冷静に分析してるの」
ぶつぶつとエリがつぶやいているとアンナが訪ねてきた。
「それよりも、お前の名前と、何でアルマが使えるのか教えてくれない? ちなみに私はアンナ。アンって呼ぶ人もいるから好きに呼んで」
アンナは手を挙げ簡単な挨拶をした。
やっぱり無愛想だ。
「あ、私はエリ。キンジョウ・エリ。……アルマ? (アロマの一種か何か?)」
「ほら、私はアリスじゃない! って叫んだときのヤツだよ」
そう言われてもエリには見当がつかない。この世界に迷い込んだ時と同様に、憤慨した直後の記憶がスッポリと抜けている。
とりあえず、思い出そうと努力してみたが思い出せるはずもない。
「だから――」アンナはエリの顔を見る。演技ではなく困惑して言うのが分る「……その顔じゃ、覚えてないみたいだな。めんどくさい、この件は終わりだ」
アンナは真実を探るのを中止したようだ。どうも面倒くさいことは嫌いなのだ。
人の話を聞かずに、攻撃してきたの分る気がした。
アンナは、思い出したように立ち上がると「何か食べるか? ブラックシチューなら得意だけど」
「ぶ、ブラックシチューってな――」
強烈な打撃音と共に、部屋の戸が蹴破られ、黒い集団が大挙して乗り込んできた。
エリとアンナは予想外の出来事に動くことを忘れている。乗り込んできた集団は2人を取り囲み動きを止めた。
黒い集団はまるで黒子のように、一切声を出さず、黒い外套をまとい、顔は布で覆われ表情を窺い知ることが出来ない。
手にはアンナが手にしていた杖のようなものをもち微動だにしない。
まさに異様な光景である。
エリはただ呆然とすることしか出来ず、アンナが何かを口にしようとしたとき、集団の一人が一歩前に出た。
「赤竜魔法騎士団所属、アンナ・ド・グラス。 密偵を匿った疑いで身柄を確保する。ならびに、そこにいる者を密偵と断定し共にマテリア様の御前へと連行する」
言い終えると、周りを囲んでいた者たちがエリとアンナに迫った。言葉が出ないエリは、目線をアンナに向ける。アンナは抵抗するそぶりを見せず、囁くように言った。
「大人しくしていればいい。何か手違いがあったようだ」
2人は後ろ手で縛られると物々しい雰囲気のまま連行されていった。
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薄れかかっている赤い霧の空を中を箱が飛んでいく。周りには箒やスケートボードのようなモノに乗った者たちがカラスのように沿って飛んでいる。
遠目に箱に見えたそれは、小さな檻だった。檻は周りにいる者たちから伸びるロープのようなもので吊され、中にエリとアンナがいた。
「……何か、また質問事項が増えたんだけど」
ポツリとエリは漏らした。
「言いたいことは分かる。隠しているつもりではなかったのだが、私はこの魔女の国『ソルスィエ』を守る魔法騎士団の所属だ」
「それから――」エリが訪ねるより先にアンナは答えた。
「お前を保護したことは、あね……いや、アナト様にご報告したはずなのだが……」
「で」テンポ良くエリの催促は続く。
「あのなぁ、テキパキしてるのは嫌いじゃないが、なんだか……」
「あいつらは何者なの?」
マリーの件と、この件と、自分の方に勝ち目がないと知ったアンナは不満を飲み込み、質問に答える。
「守護騎士団よ」
「守護騎士団? 何それ」
「簡単に言えば、国を守っている騎士団。最近は国を守護すると言うより、国を治める『グランマ』や『マテリア様』の身辺警護をしている」
またもや増える固有名詞に、エリの脳内はいよいよショートを起こしそうである。
しかしこれもまた仕方のないことで、幼少から蓄積しさせていく当たり前を、突然覚えろと言われているようなもの。拒否することも出来るが、それは当然賢い選択ではない。
強い光が差し込み、質問攻めのリズムが崩れた。
集団は赤い霧から抜け出し、青空へと抜け出した。正確には抜け出したと言うより、赤い霧が引いていく。視界は鮮明になり、眼下に巨大な街を出現させた。
ヨーロッパ風の建物が広がり、間を縫うように水路が張り巡らされている。水路にアーチを描く橋が連なり、何かのアートを表しているようで、とても幻想的な雰囲気である。
幾重にも伸びる水路は、街の中心部と思われ場所で大きな噴水のような円形の水路へ合流し、多くのゴンドラが集まっている。そこはパリの凱旋門のようにも見えた。
さらに水路の奥には西欧風の城が見え、脇にはとても大きな木が立っている。
遠方には、牧場(まきば)が見え、近くの建物には風車や水車が見えた。水が大半を占める街は、まるでベネチアだ。水が溢れる麗しい街を上空から確認したエリは感激している。
まさか霧の中に、これほどまでの水の都があったなどは想像もしていなかった。
「凄い……」
ありふれた言葉だが、凝縮された感嘆が含まれている。
「凄いだろ。これが俺たちの街だ。200年戦争でも1度も被害を受けてない」
「200年戦争?」
「いや、今のことは忘れてくれ」余計なことを言ってしまったという表情をし会話の流れをバッサリと斬り捨てた。
面倒だから答えたくない、という表情ではなかった。どちらかというと深く聞かないで欲しいという感じだった。ここまで質問攻めしてきたエリも、流石に出かかった言葉を飲み込んだ。
まもなくして、集団は巨大な城の中庭へ着陸した。それと同時に、檻は光の粒子となって消え、一瞬の落下の感覚のあと、羽が生えたかのようにふわりとエリは地面に降り立った。
黒い集団は相変わらず囲むように位置を取っているが狭苦しい感じもなく、辺りに目を配ることが出来た。
エリは西洋風の城を外観からしか見たことがなく、場内を見るのは始めてだ。
ただ漠然としたイメージ、先入観で噴水があり花壇があり、などと想像していた。けれど実際は、芝生が敷き詰められ、植樹されたと思われる巨木が3本、小さな木が見える限りで数本植えられている。森の入り口のような中庭は、小さな公園という方が合っている。
集団の一人が集団に声をかけると、二人の前後に一人ずつ、脇から挟むように二つの列で取り囲み正面の大門から場内へと向けて歩き出した。
場内は静まりかえり、集団の足音だけが繰り返され、全くと言っていいほど人気を感じない。ここに何があるのか見当がつかないままエリは歩かされ、白黒のチェック模様の廊下を抜け、大きく開けた場所を通り、延々と階段を上り、感じ的には5、6階くらいの場所で再び廊下へと出た。
するとここで、両脇にいた集団は捌け、前後の者だけとなった。捌けた者(右列の者たち)は階段付近に待機した。残りの者たちは後方に回っただけで、まだついてくるようだ。
廊下をしばらく歩くと、大きな扉の前へと辿り着いた。よく映画やRPGで見る『○○○の部屋』と言う名称がついた扉と同じだ。
城と言えば、王様や御姫様が浮かぶが、まさにエリはその類に、緊張を余所にして心が躍っている。もはやこの世界を満喫しようとしている。
先頭の者が何か口にすると、扉の形に添って光が走り、耳をつんざく木と木が擦れる嫌な音と共に開かれた。
ここで先ほどのように、後方にいた集団が扉の前で止まり待機した。どうやら厳重に警戒しているようだ。やはり、ここにいるのは凄い人。そう思えば思うほど、今置かれている現状を忘れていく。
部屋は殺風景で、ただ部屋という形だけが存在しているだけだ。2人が部屋の中央まで行くと、先頭にいた者が振り告げる。
「我々はここまでだ」
告げたと同時に姿を消しエリは「に、忍者?!」と思わず口にしてしまった。
「にんじゃ? なんだそれ?」
聞きなれない言葉にアンナは質問する。
「えっと忍者って」
『確か、東洋の近衛兵……いや少し違いますね。忍者という者は、暗殺などを任務にしていると聞いたことがあります』
何もない部屋の正面の壁が開き、杖を手にした綺麗な女性が現れた。見た目は20代くらいの女性だ。桃色の長髪がとても美しい。
「忍者をご存じなんですか? この世界にも知ってる人がいたんですね~……って、この世界にも忍者がいるんだ?!」
女性が微かに笑う「こちらの方は面白い方ですね、アンナ」
「マテリア様! 今回の件は……」
アンナが申し訳なさそうに深々と頭を下げようとすると、マテリアは制止し代わりに話し始めた。
「先ほど、アナトから事情は聞きました。『客人』を保護しただけとか。情報の遅延による誤解。こちからこそ失礼しました」
マテリアの謝罪にアンナは赤面し、気の抜けた返事と深々と頭を下げることしかできなかった。
一方のエリは、マテリアの美麗な容姿、それに似合う柔らかく暖かい品格に感動していた。この世界に来てから感動続きだが、こればかりは無理もない。現代において希少な自分物であることに変わりないのだ。むしろ絶滅してしまったに近いだろう。そんな人物を目の前にしているのだから気持ちが高ぶるのが普通である。
「では、2人の拘束を解きます」
マテリアは2人の前まで行くと杖の先で2人を軽く叩く動作を見せ、同時に何かをつぶやくと手を拘束していた魔法が解け解放された。
「さて、客人の方は私についてきてください。お話ししたいことがあります。アンナはアナトの元へいきなさい。用事があると言っていましたよ」
「は、はい。了解いたしました。失礼いたします」
アンナが退室するのを見送ると、マテリアはエリを導いて正面の扉へと進んだ。扉の奥はひたすら真っ暗な場所で、洞窟の中を進んでいるようだ。エリはマテリアに張り付くように進んでいく。
「怖いですか?」
マテリアが気遣う。
「いえ。そうじゃなくて、この世界は不思議なところが多いなと思って……あ、思いまして」
マテリアは再び優しく笑う「本当に面白い方ですね。普通なら、混乱したり、動けなくなってしまう筈でしょうに。それに本当にアリスに似ているわ。そうだ、まだお名前を伺っていませんでしたね」
「あ、そうだった! えっと、私はエリです。キンジョウ・エリで――イタッ!」
マテリアが歩を止めたことでエリは背中に衝突してしまった。
タンコブが良い具合にぶつかり痛みが駆け抜けた。
「いたたぁ……ど、どうしました?」
「いえ、何でもありません。ごめんなさい」
振り返り謝るマテリアの顔が少し強ばったように見えた。
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