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光陰矢の如し~♪

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Jul 22, 2013
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カテゴリ:カテゴリ未分類
久しぶりに ここに帰って来た。。。


最後に書いたブログが、母だった事が それからの私の人生を 変えるとは思わなかった。。。

2011年 私はほぼ部屋にこもっていた。。。

父が老いて行く事を見たくなかったのと 母と会わない様にしていたのとで。

でも、心の中で「こんな生活 長くは続かない」

そう感じてはいたが 親が寝る頃 部屋から出て ご飯を食べ 

親が居る間は 部屋にこもっていた


それは 夏の終わり いきなり来た。。。

母が倒れたのだ。

正確には 腰痛がひどく 立てなくなり 救急車を呼んだのだ

でも、家には 何も自分の事が出来ない 父が残るので 急いでヘルパーさんに来てもらい

見てもらっていたと思う(この頃の記憶が 曖昧)



幸い 母の腰は 圧迫骨折で 1ヶ月寝ていれば 完治するとの事で 家に帰る

が、そのたった1ヶ月の間に 石が坂道を転ぶ様に 母に認知が出始める。。。

父の介護と 母が毎朝 何かしら起こす事や 初めての 父の世話。。。


毎日、めまぐるしかった。。。

しかし こんな生活 長くは続かない。。。 私が慣れなく 倒れた。。。

ケアマネさんやヘルパーさんと相談の結果 母の主治医に頼んで 母を一時的に入院させる事にする

たった1ヶ月で 母は 朝 下半身を丸出しにして 畳の上で 失禁して うつろな目で 私を見ていた。。。


それから おっかなびっくりの 父との介護?生活が始まる


大好きな 大好きな 父だが もう話せなくなっていて 嚥下が困難になっていたので ご飯は 介護食だった

いきなりの 生活のリズムが変わり 適応できず 毎日 私は泣いていた。。。

でも、父は 大人しく 何も出来ない代わりに なにもしないでくれたので 安心だった

徘徊する事も無く 奇声をあげるでも無く まるで大好きな私と居る事が楽しいかの様に。。。

毎週のスケジュールは 月曜と木曜が デイサービスで その時 私の身の回りの買い物をする

後の日は ゴミ出しや 父のおもらしのパジャマの洗濯が 毎日で それに 父のご飯を3食作って

自分で食べてもらい お薬を飲ませる これを繰り返し 夜 8時30分にヘルパーさんが 父のおむつ交換やら

身支度させて 9時に父が寝ると帰って行く

そして 月の第2週目〜10日間 父がショート・ステイに出かけている間に 家の雑務や 母に会いに行っていた


でも 皆が 我慢している生活が 長く続く事は無い

去年の長い夏が終わり 秋が来た11月の父のショートに出かけた時 私の 季節鬱が出て 父のお泊まりを 延ばした

その分の 父の薬を持って ショート先に行くと 父は 寂しそうに こっそりと 居間に座っていた

「お父さん ごめんな! 私 しんどいから もう少し 泊まっててな。。。」

そう言って 後ろ髪を引かれながら 父の元を去る

11月22日 ショートから 電話。。。

「お父さんが 足が痛いと言っておられるので 救急で 病院に行きますから すぐ来てください!」

そう言われた。。。

病院で会う父は 元気だったが どうやら 股関節の骨を折っていたらしい

次の日が 祭日で せんせが 休みなので 24日手術をする

手術は成功したが そこは外科の有名な病院なので リハビリはしてくれず

リハビリ専門の病院に12月12日 転院する。。。

しかし 要介護4の父に リハビリは耳に入らず 歩けなくなってしまった

でも、自分でご飯をペロリと食べ いすには座れたので 元気にしていた

だから 家から あまり近くない病院には あまり見舞いには 行かなかった


そして 年が開け 2013年 ここにいても リハビリも思う様にならないので 認知用のリハビリ病院に転院を

迫られた。。。

1月の末 病院から 電話

「お父さんの熱が下がりません」と。。。

それでも 元気な父だったので 大丈夫だろうと思っていた

と 又 電話 「肺炎になり 酸素入れてます 近いうちに来てください」と言われる

慌てふためき 不安が満タンで ケアマネさんに電話すると

「明日、つき合うから 病状を聞きに行こう! 夕方の4時に病院に来てね!」

ケアマネさんはそう言ってくれた

心配だけど 明日行けば 何とかなる。。。そう思って 寝ようと 用意した夜中 病院から電話。。。

「お父さんが 息をしてません 血圧をあげる注射をしました すぐ来てください!」と。。。

私は、”ああ。。。父 亡くなったわ” そう思って タクシーを呼び 夜中の病院に。。。


父は 元気な頃の6人部屋から 肺炎の人ばかりの4人部屋の 入り口の左側に ひっそりと寝ていた

いや 正確には 寝ている様に 穏やかに 亡くなっていた。。。

父に「お父さん 起きれ!! 帰るで!!」そうささやいても 動かない 冷たくなっていた



病院から 見えない圧力で ”早く出て行ってくれ”的にされ 元気な頃から親から言われていた 葬儀社に電話する

霊柩車が来たのが 夜中の3時40分。。。

会館の霊安室でその日のお通夜やら 細かい事を決める

父の側に居れる 嬉しさと 動かない 不思議さに襲われながら 淡々と 式の準備を決めてゆく

普通は 母が喪主なのに 母も要介護5なので たった一人で喪主と成る

家族葬にしたが 伯母や従兄弟たち デイの介護者さん達や ショートの人達 それに毎日のヘルパーさん達。。。

父の人生の最後に関わった人達は みんな来てくれた



本当に 父の顔は 安らかで 穏やかだった。。。


人の人生は あっけないものです。。。

相変わらず 毎日の様に 父が恋しいと 泣いている

母と生活出来ると思っていたが 母が歩けないので ウチのマンションでは無理なので 施設を探す事に成り

いきなり たった一人の生活を今は送っている


毎日 生きる事が 辛くて しんどい

母の認知は 父とは違い 話せるし 元気ではあるが もう、この家では一緒に暮らせない。。。


最後に 私は父と母を選んで生まれて来て 本当に 本当に 幸せだった。。。

もっと早く その事に 気づきたかった。。。





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Last updated  Jul 22, 2013 10:49:32 PM
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