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昨夜寝る前に書いたブログ・感謝状について、全く説明がしてないのに気付いたので、説明する。
LBHS(ラグナ・ビーチ・ハイ・スクール)は、現在では南カリフォルニアでも天候にも経済的にも恵まれた環境にあり学校も公立でありながら、多くの寄付で私立並みの設備があるので、一見誰もこまっていないように見えるが、実は遠い海辺の田舎町、海水浴場、景色はよいが不便な町、と呼ばれていた昔から住んでいる人々は、都会では家賃が払えなくて逃げてきたような人とか、都会の人の掘立小屋みたいな別荘とかがあっただけの頃からの住民で、貧乏な人も多くいるわけである。 私が最初に訪れた1965年は、まだそういう時代の名残が70%で、サーファーとかのたまり場であった。ちょっと南に行ったデーナポイントや、サン・クラメンテなど海辺の町だがもっとへんぴで、大きな土地付きの家でも今なら半年分の給料で買えるような時代だった。フリーウェイができ、性能のよい車が出来た今では億という値段で手が出ない家ばかり。 LBHSでは大学に行く生徒が80%いるのだが、年々値上がりする大学の学費が払えない子が大勢いるので、カウンセラーの二人の先生が商工会議所などに問い合わせて寄付を頼んだのが始まりで、たまたまその時PTAの学区長をやっていた私も相談されて手伝うようになったのだった。聞いてみれば、大変な仕事に驚いて、私は何人かの有志を集めスカラシップ・ファンデーション(寄付団体)が出来上がったのである。それが1988年の事。結局は選ばれるも何も、自然に私が会長になってしまったグループである。 「会長など、名前だけは格好いいでしょうがおしゃれした物乞いみたいなものでしたよ」・・・と、昨日のパーティーでも説明して爆笑を受けたが、本当にロータリー・クラブやら、ライオンズ・クラブ、銀行の数々、電気会社、大きな商店まで寄付集めに歩いたのである。 「その年は、$100,000(10万ドルというの?)くらいしか集まらなかったのですよ」と言ったら、参加者から、うわ~すごい。。。というため息がでたが、その団体が28年後の今ではその十倍以上の資本があると聞いてびっくりした。 それにも、少し理由がある。二年会長をやったが、二年目の時、こんな物乞いみたいなこと続けるの今後の会長も大変だから、寄付金の一部を投資したらどうだろうといいう意見がでて、リタイアーした専門家のボランティアーがふたり加わり投資を始めたのが始まりである。それがいまでは、町には長者番付にのるような人がどんどん増え、個人の寄付も増えたうえに資本の利子もあるので、多くの卒業生に大学の費用の補助金やらメリット賞などを与えることが出来るようになったらしい。ちなみに、1988年の卒業式のあとの奨学金授賞式などは1時間もあればよかったものが、今では3時間くらいかかるので、卒業式と別の夜にやっている。 「最初のご苦労はいかばかりか・・・」というわけで28年後に我々初代三会長に感謝状が贈られたのである。(28年前の写真も楽天に載せた事があるのですが、みつかったら、ここに載せますね) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ぬかしんぼ8689さん
>凄くいいお話ですね。 > >日本ではそういうことは絶対にできないと思います。 > >アメリカ万歳ですね。 ----- 絶対にできない。。。のではなく国民性もあるでしょうね。奨学金と言うそのものの持つ意味も暗く考える傾向がありませんか? (2016.09.18 04:30:22) |
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