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ゲーム作りで私が嫌いなことの一つに「手間の割に不自然じゃないという評価しか受けない」というものがありまして。 たとえば、あるゲームで企画の人が「2週目のオマケ要素としてキャラクターすべてのコスチュームを全キャラが使えるようにしよう」と言うとします。 これ、すさまじいことになります。作業量が倍、とかのレベルではありません。乗算です。 それに対して「この期間と人数では無理だ、システム的にも着回しが自動で出来る作りじゃない。何より、オマケ要素でそんなに時間は取れない。せいぜい主役キャラだけ特定キャラのコスチュームにするぐらいならできるが」と言うと 「このキャラだけだと不自然だろ」 と・・・ これ、すごい嫌な考え方なんです。多大な労力を「不自然じゃない」という評価にしかつなげられない。単に思いつきの領域を出ていない、というか。そういうレベルのものである場合、私は徹底的に反対します。作業者として。 マリオシリーズの生みの親である任天堂の宮本茂さんの言葉。 「アイデアとは複数の問題を同時に解決できる発想である」 それによって売り上げが10万本違う、というなら考えますけど、いたずらに作業量を増やさない勇気も必要なんですけどね。作業が膨大になるというのは、そのまま戦力の分散につながる。バグの原因にもなりやすいし、本来作品の売りである部分の作りこみまで阻害する。無尽蔵に期間と予算と人材があるなら話は別ですが。
ワタミ社員の自殺、労災認定 入社2カ月の女性 これは辛い・・・月に100時間を越える労働、しかも、休日もほとんど無し、特にデスクワークでない、調理場での立ち仕事は過酷でしかない(法定残業基準は45時間、しかも10日以上の連続勤務はNGだから、どう考えても違法労働) で、怖いのはこの社長がツイッターでつぶやいた言葉。転載します。 http://twitter.com/#!/watanabe_miki/status/171926030666309632 ------------------------------ 労災認定の件、大変残念です。 四年前のこと 昨日のことのように覚えています。 彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。 労務管理 できていなかったとの認識は、ありません。 ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。 会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです ------------------------------------- 社長の知らない場所で公然と行われていた過酷労働だ、とでも言いたげだし、事実として自殺者が出たにもかかわらず「労災認定の件、大変残念です。」とはこれいかに?結局残念だ残念だって口にするのは「自分の主張が認められなくて残念だ」ってことじゃないか・・・ 以前、ゲーム会社で過酷な労働に体を壊し、仕事を辞めた元社員が会社側を相手取って裁判を起こしたケースがあり、その時の社長の言葉も「法律は守っている」と・・・へえ・・・毎日泊まりこみ、休日もなく、そうしないと間に合わないのが日常になっているスケジューリングでも「法律は守っている」とはこれいかに?まさか裁量労働で社員が会社側が止めるのも聞かず「好きで泊まっていた」とでも?だったら自分も家に帰らず、その社員並みの給料で会社で毎日寝泊りすれば? 好きで過酷労働するかっての・・・
先日書いた自分のBlogの付随したお話です。 よく、「どうして日本では海外のリアル系ゲームが普及しないか?」を考えた時に、結局「小さい頃からマンガやアニメの絵柄を日常娯楽として生活している」というのが一番大きい気がします。 例えば、FFに代表される日本風RPGなどでも主人公はいわゆるアニメ顔(顔の凹凸が少なく、整っているという意味)のリアルです。が、海外ゲー主人公って、男女関係なく彫りの深い、いかにも実写な人間の顔立ち。体格もマッチョでタフな主人公が多いです。 つまり、手塚治虫先生が作ったマンガ、アニメの文化が幼少時から完全に根付いているこの国だと、ゲームのグラフィック的嗜好がやはりそっちよりの方が好まれる。完全実写な画面は敷居が高く、むしろマニアックなイメージと言うか。あらゆる高度な処理が出来るハイスペックマシンなのに、セル画風の絵柄やアニメの手書き背景っぽい画像をあえて3Dのゲームで表現したり、未だに2Dアニメのムービーにこだわったり。 ですが、私はこれを「技術的に劣っている」とはまったく思わないんです。ガラパゴスと言いつつ、実はとんでもない広さの大陸だったり。むしろ、リアルというのが突き詰めると結局同じ絵になってしまう(リアルカーレースゲームが一見してどのゲームも同じに見えてしまうように)のに対して、マンガ絵というの表現方法は様々な絵柄があり、個性が出せる。 どっちが優れている、ではなく、マンガアニメ文化が浸透しきっている日本の市場では、海外の大ヒットゲームが大量に宣伝してもハーフミリオン行った作品がほとんどない、そういう風土としか言いようがないですねえ・・・
海外と日本のゲーム市場をリアル描写の技術で見て「海外はこれだけすごい!日本のメーカーはこれと同じものが作れるのか?」という論調をきいてふと思った事 日本じゃリアルなグラフィックなゲームが売れてないやん・・・ 例えば、海外のTPS,FPSの超リアルな作品、バトルフィールドとか、CODシリーズが日本じゃあまり売れないってのは一体どういうことなのか? それを考えた場合、日本では「グラフィックがリアルだからすげえ!=売れる」ってのは、恐らく前世代機で終わったんじゃないかと考えてます。だとしたら、その技術競争、物量作戦を追いかけると明らかに破綻は目に見えている。前日もアメリカの大手ゲームデベロッパーであるTHQが大変な事になっていたり。最大手のEAも過去5年赤字であったり・・・ 「超リアルなグラフィックじゃないと売れない」のであれば、日本のメーカーもそちらにシフトするでしょう、が、しかし、それが売れない市場では単に博打要素の掛け金が吊り上がり、こけたら会社が消失するような、そんな危険を冒さないと売れるゲームが作れないのか? 昨今の携帯機の好調さとHDの苦戦を見ると、案外、ハリウッド式の物量製作の方が時代遅れになっている、そんな気さえします。
京町家を「トキワ荘」に プロ漫画家育成、市が計画 まんが道を人生のバイブルとして愛読している私としては、首を傾げざるを得ない案件で・・・ 原作でもそうですが、当時若手の漫画家の梁山泊になったトキワ荘って、別に意図的に作られたものじゃないですよね?最初に手塚先生とテラさんがいて、手塚先生の後にそこに藤子先生、石ノ森先生、赤塚先生、といった新進気鋭の漫画家が集った。そして、実は居合わせた漫画家が多かった期間も意外と短かった。ある者は大ヒット作家となり、ある者は挫折し、ある者は当時のマンガ界に疑問を抱いて去り。 何より、恒久的な漫画家育成の聖地じゃない、ほんの一時交わった交差点のような場所。それを漫画家を育てるためにって・・・しかも、理由が「わが町から漫画家が出ていない」って・・・それ、なんかおかしくね?彼らは自分のマンガを描くために上京してきた人々で。当時と違ってその気になれば今の時代、どこでもマンガは描ける。だいたい、8人の候補生選びって審査をするのでしょ?漫画家になる前に?出版社でも編集者でもない人間が?一体何様のつもりだよ・・・ 今、行政がマンガやアニメなど表現規制する法案を通そうという動きの方が、よほどアホらしい事で。一体なにをしたいんだか・・・ あ!そうだ!このトキワ荘の住人が全員エロマンガ家でも文句はないのですよね?地元出身の漫画家を輩出したいだけないら。それなら賛同しますが(笑) 正直マンガやアニメ、ゲームといった文化を育てる方法は「行政が余計な事をするな」が一番なんですけど・・・行政から協力を得ていない(それどころか厄介者扱いされていた)コミケの方が、どれだけ漫画家を輩出したと思っているんだか・・・
開発者として気になる事を 日本のゲーム開発会社は約半数が赤字、技術を使い回している―海外調査 一見して「?」と思ってしまいました。過去のツールを使いまわすことが停滞なの?という・・・ 例えばシリーズものの場合、逆に過去に使われたツールがすごく有効なんです。と、いうのはプラモデル製作で言う「仮組み」が早い。まずちゃちゃちゃ、と基本構成を組み立てることによってイメージを先行して確認できる。そこからスケジュールを逆算したり、検証が出来たり。 ちなみに、まったく新しいゲームを作る際も過去の社内エンジンを流用します。理由は簡単。「ポリゴンモデルが画面内を動き回って敵を攻撃する」というゲームであれば、表示部分に何を使おうが結果さえ出れば問題ない。むしろ、毎回新しい海外のツールを使う方がプログラマー、デザイナーの負担になる。時には「これ使えねえよ!」って開発中盤にプログラマーが切れてツールを変えることさえある。 私はゲームの技術とは、革新性が内容の面白さに繋がる、売り上げに繋がることだと思っています。だから、どんなにすごい最新技術があっても赤字になるような海外エンジンの値段であるとか(ライセンス料が1作品ン千万とかあります)逆に自社に過去の資産として蓄積されたノウハウを「最新技術じゃない」という理由で放棄する理由は無い。 任天堂の故・横井さんがおっしゃっていた「枯れた技術の水平思考」が、むしろ新しい技術やノウハウを生む。日本人は昔から「制限がある中で高度なものを作り上げる」のが得意な民族ですし。 それに、上の記事でも書いてありますが「約半数が赤字」の日本企業が、どうやって海外のバカ高いエンジンやツールを使って赤字を解消するのかと。ツールはお金で買えても、それを使う人間をもっと増やせ、ということか?(リアルなグラフィックは当然、技術以上に多くの人間が必要)それをやった結果、100万本売れても赤字という訳のわからない状況になっていて日本より倒産企業が相次いでいるのはアメリカじゃないか、と・・・ 私はゲーム作りは革新的な技術より、革新的なアイデアや表現方法の方が大切だと思っていますし、最新ツールやエンジンを使っていない=停滞じゃないと。
自分の経験談なのですが、昔、日本のホラー映画の金字塔である映画「リング」が話題になった時です。 あ、ちなみにここからネタバレありますので見たくない人は読まないでください。 --------------------------- 各所で「面白い」と言われ、レンタルビデオで自分も借りたのですが、すごく怖かったんです!雰囲気も、映像も・・・ ですが・・・ラストのあの有名なシーン、貞子が古井戸から這い上がり、ズルズルとテレビ画面から出てくるシーン あそこで笑ってしまったんです。しかも、大爆笑。なんだろう・・・それまでモニターの向こうで繰り広げられる陰惨で、生々しくじめっとした恐怖が、急に全てコントだったんだよ!みたいな感じで。 そのことを他の見た人に話したら「あそこが怖いんじゃないか!」と言われましたが・・・個人的にはあのオチのおかげでホラーじゃなくてコメディー映画になってしまったというか。 なんだろう?感性がずれてるのかな?オレ・・・
テレビのある情報番組であったことですが。 収入があるにもかかわらず学校の給食費を払わない親に関するコメンテーターの意見で 「ゆとり教育で育った社会的責任感のない、子供のような大人を作ってしまった今の教育システムにも問題がある」と・・・ ・・・あれ? 金を払わない親と、学校教育って関係なくね? 他の99%以上の親はきちんと支払っている。のに、こういう極めて「個人的な問題」を全体の問題にすりかえるレトリックは嫌いです。責任の所在を「みんなが悪い」「世の中が悪い」みたいな薄く広く問題を広げてうやむやにする。 先日書いた20年前のオタクのイメージを決定的に悪くした「宮崎事件」も、ああいう凶悪犯の断罪はあくまで個人の犯罪でしかなく、そこに当時の評論家が言っていた「オタクは危険」な世論で同じ趣味を持つ全体の問題にされた悔しさ。 それは「同じマンションの住人が万引きをした、それを止められなかったのはマンション住人全員の責任でもある」という理不尽が通る話なんですけどね。 当たり前の話ですけど、断罪されるのは罪を犯した犯人のみ。それを勝手に社会問題にすりかえるな、というお話。
本で読んだこんな言葉を 「マンガでスポ根ものの主人公が、苦しい練習や辛い経験に打ち勝って最後に勝利を勝ち得る、という内容のお話に「ご都合主義」とか「そんなに世の中うまくいくわけがない」とリアリティーを感じない人は、自分がそういう経験がない、あるいはそういう経験をする前に諦めてしまった人が多い。なぜなら、世の中で信じられないような大活躍をしている人は、ほぼ皆、そういう「信じられない努力と幸運に恵まれた人」だから。そういう人にとっては苦労し、時には挫折しながらも諦めずに挑戦した人間が栄光を掴む、というのは実体験としてリアルなお話でもある。成功体験がその人のリアリティー感を左右する」 と、いうお話。なるほど、と思いましたが。 私も幸い小学生からの夢が叶ってゲーム業界で仕事してますけど、あの時に諦めていたらいま、違う仕事をしながら「ゲーム作って仕事にするなんてそんなのガキの頃の妄想。どんなにゲームが好きだからって叶う訳がない」と思っていたんだろうなあと・・・ 「信じていれば夢は叶う」という、ありきたりな言葉を歌える歌手や漫画家、小説家や役者なども、それを実体験できたからこそ、皆から注目され、表現の機会を与えられたのでしょうから。
たとえば、自分の会社の、会って話もしたこともないような上層部が何か不正をしてそれが表ざたとなり、会社の評判を下げたとします。 で、それによって会社の経営が悪くなる。結果、ボーナスがなし、とかリストラとか、そういうことになった。自分はまったく何も悪い事をしていない。日々の業務を誠実にこなしていただけ。しかし、この仕打ち。 さて、皆さんはこれを他人事であれば「会社の経営が悪ければ組織に組する人間も責任を免れることはできない」と糾弾できると思うのですが「自分の事として」本当に納得できますか?というお話なんですが。オリンパス然り、大王製紙 然り・・・ │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |