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ふと昔のコミケのカタログ(晴海会場の末期)をパラパラめくっていて思い出したことがあるのでツラツラと描いてみようかと・・・ちなみに晴海会場(後期)の頃の思い出なので、それ以前のことはもっと年寄りの方に聞いてください。
1:昔はブロックノートというのがあってね。各島ごとにノートを回して、1サークル1Pずつイラストやメッセージを描いて回覧する制度がありました。(回った後はスタッフが回収)でも、場所によって全然まわってこなかったりで、いつの間にかなくなってしまいました。 2:当時はサークルカットに大半の人が住所を書いていた。これはサークルカットの台紙にも〒マークがあったように、実際は書かなくてはいけない、ということでしたが(後期は規制無実化してましたが)ネットのない時代、今ほど個人情報やらが厳しく言われなかったおおらかな時代、連絡手段が手紙か電話しかなかったからですが。 3:18禁同人誌は無修正だった。これは有名な話ですが、当時、商業雑誌にあった性器の表現規制が同人誌ではありませんでした。ですので同人誌=無修正が当然であった時代で。確かでも、宮崎事件を機に世間からの注目を集めた結果や、世間的な風潮である年から見本誌チェックが入り、今では商業雑誌よりコミケの規制の方が厳しい、と言われるようになりました。 4:行列が今よりひどかった。有名なのは晴海会場で朝の8時に並んで入場できたのが午後の1時過ぎという(W.当時はまだ誘導の効率化などのノウハウもなく、場所的にも条件が厳しくて今の半分程度の参加者でもすごい行列があったものです。 5:大手サークルだけ別の施設(館)に集めていた。これは体育館のステージ側にサークルを横一列に並べ、残りのスペースは全て行列待機用という(W.恐ろしいまでの優遇だった訳ですが、そうでもしないとあの当時の晴海会場では大手の行列が他のサークル運営に迷惑をかけるので。いわゆる壁際サークルを一箇所に集めたようなものです。 6:らき☆すたのこなた先生の語っていたホテル浦島に泊まるのは半年以上前から予約しないと無理。私も上京組だったのでココに泊まるのは本当にステータスで。旅行会社にかけあって常にキャンセル待ちを狙っていました。また、都内の宿泊施設も軒並み満員だったりで。今のように漫画喫茶に泊まる、なんてことも出来ない時代でした。 と、まあ思い出話をしてみましたが、これだけは言える!と、断言するのは「今のコミケ&ビッグサイトがどれだけ環境的に恵まれているか」ということ。正直、昔の倍以上の人数、サークル数を大きな事件なく、死なない程度に快適に過ごせるのは本当に幸せです(特に、夏のビッグサイトは空調がそれなりに効いている事が実感できるだけでもありがたさがわかる) それに、あの当時も「最近の新参者はコミケのルールを知らない・・・」という新人叩きやバカなオタクの暴走はありました。いつの時代も問題はあって、それを一つ一つ乗り越えてきたのがコミケの歴史です。 私は「昔はよかった」とはコミケだけは思いませんね。あの当時から考えると、今が本当にありがたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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