以前、任天堂の宮本茂さんとお笑いタレント、ダウンタウンの松本人志さんのトークで、この人は冷静に見ているなあ、と感じたのが
「スーパーマリオが大ヒットした際、いろんな人から「あれはすごいですね」「どこからああいう発想が生まれたんですか?」と聞かれましたが、あのゲームでやっていることの半分は既存のゲームですでにやっていることだったんです。でも、スーパーマリオで初めてゲームに触った、という人が多い頃だったから、余計にみんな新鮮に驚いてもらえたと思う」
これは確かに。スーパーマリオは確かにすばらしい、当時としても群を抜いている完成度のアクションゲームですが、それ以上に始めてゲームを触ったゲーム人口を一気に増やす役割を果たした、という意味で大きなものだったんだと思います。
ゲームに限らずどんな娯楽もそうですが、まったく新しいもの、というのを0から作れる人はいません。過去があったからこそ、その過去を利用し、時にはそれを真逆のものを作る事によって大ヒットさせる。で、その大ヒット作を見て「似たようなもの」を作っても、すでに「新鮮さ」というものが失われているから、出来がよくてもパイオニア以上の評価は受けない。
だから64マリオとかマリオカート、ピクミンといったパイオニアになれる作品を常に作ろうとしているんだろうと思います。当然、失敗もあるでしょうけど。
逆に言えば、「ゲームはかくあるべし」と、ゲーマーと呼ばれる人種が定義つけてしまったら、そこで発展は終わってしまう。同じく任天堂スマッシュブラザーズの桜井さんもインタビューで「スマブラを作った時、いわゆる格闘ゲーマーからかなり批判があった」と語っています。しかし、発売された当時、複雑な操作や素人お断りの格闘ゲーム業界はかなり煮詰まっていた状態でした。
2匹目のドジョウを狙って大量の釣り人が同じ場所に釣り糸を垂らしている様な、そんな光景になってしまうんだろうなと。
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