最近よく「物の値段」というものを考えるのですが。
たとえば、今までタダで利用できていたサービスが運営が厳しくそれではやっていけないとなり、利用者に一回500円の料金を徴収するようになると必ず「がめつい」だの「儲け主義」といった言葉が出る。
それは今までタダだから利用してきたわけではない、ということでもあります。そこに何らかの利用価値を認め、使っていたからであり。もし、これが100円でも、10円でも、下手をしたら1円でも「高い」と文句が出る。
実際、他に代用の効かないサービスの場合、相場というものがない以上、運営する側が決める料金が「正規の価格」でしかないのです。
不思議なもので一ヶ月500円でその会社のアニメが見放題、という正規の有料チャンネルも、ネットの違法視聴になれたアニメ好き人間にとっては「ぼったくり」に感じる。こういう人は別に500円程度が払えないのではなく、単にタダである、という環境に慣れすぎた結果、本来違法である入手経路が相場になってしまっている、この人は昼食にラーメン屋で一杯700円のラーメンには金は出すけど、月々500円のアニメ視聴の料金には価値を見出せない、という話で。特にリアルな「物理的なもの」という実感がないネットサービスの場合、急に高く感じるケースは有ります。
これはゲーム業界でマジコンが流行った時も子供達の間に急速に広がった恐ろしい思考でもあるのですが。
不正なネット上の番組視聴や雑誌スキャンでマンガを違法にアップしているのがタダである理由は「正規の手続きを踏んでいないからタダである」というだけで。野菜ドロボウが盗んだものを市場価格より安く売れるようなもの。そこには正規の価格はなく。そっちに慣れてしまう人間は恐ろしいです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう