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私が卑怯だと思う意見の出し方に、責任がある立場でありながら
「自分はいいんだけどこう考える人もいるから自粛した方がいいんじゃないの?」 というものの言い方をする人。 この言葉には3種類の責任逃れがある。 まず「自分はいいんだけど」と、自分としては肯定を装っている。理解があるふりをしている。しかし、「○○と思う人もいるから」と、その反対理由を架空想定の人間の意見の意見を使って代弁している。さらに、「自粛」という形を引き出そうとする。 自分は一切の責任を取らず、何かあった場合「あの時に自分は言ったのですが」という逃げが打てる。さらにはこういう意見を出すというのは元々この人は反対の立場である、しかし、それを表立っては言わず、「こういう人の意見もあるかもしれない」とあくまで架空の人間の立場を代弁するふりをしている。 冷静に考えれば読み取れるのですが、その架空の反対意見を出している人は「存在しない」のです。そういう架空の意見に左右されてはいけない。それが表現規制ならなおさらで。 前に産経新聞で上の通りの意見でのマンガやアニメの表現規制論があったので。この社説を書いた人、自分たちも表現の自由の中で生かされている職業でありながら卑怯極まったな、と思ったり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.08.03 09:25:36
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