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他人を疑うという行為について。
たとえばネットで突然過去の凶悪事件の殺人犯扱いされたスマイリー菊地さんの本の中で、執拗に、それこそ何年も粘着して「こいつは犯人だ!」と言っていた人間のその犯人であるという証拠が ・当時その地区に住んでいて、犯行グループと年齢が同じだった ・ネットで彼が犯人であるという情報を聞いた ・事務所が過去にその地区で有名な不良であったという売り方をしていた(そういう売り方は結局されておらず、これもネットでのデマ) ・犯人が当時未成年であり、名前が公表されていないが、当時リークした雑誌の名前の中にスマイリー菊地の本名があった(実際は書かれておらず、これもネットのデマ) ・この事件をお笑いのネタにした、という情報があった(これも全くのデマ) とまあ、結局上の根拠はネットの匿名掲示板で知ったデマがすべてであり、しかも何年にもわたって中傷した側は警察での取り調べの際「ネットに騙された」「こういう疑われるようなことをする方が悪い」といった無責任の塊で。 他人を疑う場合、たとえば「お前は昨日の夜おねしょをしただろう!」という疑いを「していない」と本人が立証するのはどんなに馬鹿げたことであっても悪魔の証明論法に持ち込まれる。おねしょをした証拠を出さず、していない側に困難な「していない証拠を見せる」行為を強要し、それができないのであればおまえはおねしょをしたんだ!と。たとえ本人が証拠として自分の布団の写真を見せたとしても「これは欺くために新品の布団を撮影したんだろう、こんなのは証拠にならない」「ムキになって否定するところが余計に怪しい!」と、もう滅茶苦茶な論理になる。 こういうのはとくにまとめサイトのコメントによくあって「ステマじゃないことを立証しろ」とか「在日だろ」とか「関係者が火消しに必死」とか「あからさまな炎上商法」といった、立証の仕様のない絶対に負けない立場から一方的に石を投げる、なんとも矮小な、さもしい行為でストレスを発散する。 実際「こんなコメント無視すればいいのに」という言葉がありますが、たとえば芸人が自分の名前をネットで検索したらほぼ並列で上記のような大量のコメントが出てきた場合、人気商売のタレントとしては死活問題。いや、タレントだけでなく一般人であっても、たとえば就職活動などで最近は企業側が本人のフェイスブックやツイッターなど名前をネット検索し、本名である場合そこから普段のネット上の発言を調べる、などという素行調査を行っているケースもあります。 「屁理屈と膏薬はどこにでもくっつく」という諺がありますが、本人が公式に流している情報以上に出所不祥な情報に信頼を置く基準がよくわからない。本人が嘘をつく以上に匿名の赤の他人が嘘をつく割合の方が高いのになあ。 もっとも、この手の連中はとにかく棍棒をもってぶっ叩く相手が欲しいだけで町中をウロウロしているネット情報の野蛮人であり、むしろこっちの方がよほど危ない人間であることには気が付いていないんだろうなあ。 だから、こういうことを日常的に荒らしとしてやっている人間が自分がまともだ、とか他人に対して常識論を語っている姿に戦慄します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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