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じゅびあさんのお買い物
精神科医のひとりごと [全264件]
...久々の更新がこんな話題になるとは思ってもいなかった。 福島県、第一原発から3kmにある精神科単科病院F(病床数350)の病院の避難時の対応、その後計21名の患者さんが亡くなったことが問題あるように報道されていた。 一時は「医師ら(患者を)置き去り」というような報道までなされ、その後福島県が発表を取り消したにもかかわらず、誤報を謝罪するような様子もない。 訂正されたところで、大半の人々の心に残るのは、「患者置き去り」というセンセーショナルな部分だけであり、「間違いだった」という記事に関心を向ける人のほうが多いとは到底思えない。 院長が「結果的に残して避難したのは間違いない」と言った、というような記事もあり、ニュアンスを取り違えて伝わる(推定)ような書き方をされているのは、同じ精神医療に携わるものとして、心が痛む。 精神疾患の患者さんが身体疾患を発症した時、受け入れてくれる病院は本当に少ない。 私の近隣でも精神科常勤のいる総合病院があるが、そこが最初に「満床です」と断れば、もう実質打つ手がないのが実情だ。 たとえ実質的には社会的入院、ほとんど問題となるような精神症状を認めない、「大人しい」患者さん、まして身体症状が重篤で、大声を出すどころか、喋ることもできないような患者さんであっても、「精神」というだけで「対応できません」と断ってくる。 「精神科なら●●病院ですよね」と言われ、そこが満床だったと告げると「●●が取らなかったものをどうしてうちが取らなきゃいけないんですか」という言われ方をしたことまである。 救急車が行ってくれる範囲の総合病院に全て断られ、外来受診を受け付けている一般病院に診療時間帯内に職員同伴でどうにか受診させたら「こんな状態の患者を黙って送ってきた非常識な医者の患者は入院させないし、入院させなかったらどうせもたんだろうから、診ない」と怒鳴られ、受け付けてすら貰えず、そのまま介護タクシーで帰ってきた患者さんもあった(当日はまだ本人が話せる状態だったが...)。 身体疾患で転院中に大腿骨骨頭骨折をした50代の患者さんが、本来手術適応であるにも関わらず「正直、普通の人ならやりますけどね、どうせリハビリにも協力できないでしょ」と手術をしてもらえずそのまま「今後車椅子で生活してください」と返されたこともある。 福島県の対応について詳細は知らないが、一般住民や他の身体疾患に対応する医療機関に比べて、F病院だけに最後の要避難者が残っていたというのは、後回しにされたからでは決してなかったといえるのだろうか。 他の医療機関に患者さんを避難・転院させようとしても、通常でも受け入れ先はなかなか見つからないところ、当時のFの場合、電話すら繋がらない状態であっただろうし、お願い先も大混乱だったであろうし、何処の精神科病院もお上の指導で病床削減傾向にあり、そうそうまとまって患者さんを引き受けてくれるところがあったとは思えない。 また、軽症の患者であっても、各避難所がまとまって精神科入院患者を引き受けてくれるか、というと「ノー」のところがほとんどだろうと推測される。 ある避難所で「明日100名の精神科患者を受け入れる」と聞いたら、「ただでさえ休めないのに、その上精神科患者と同じ屋根の下で過ごせというのか」と反対運動を起こす被災者が多いのではないか。 そんな状況と、迫り来る放射能への恐怖の中で、約3分の2の患者さんの避難に成功したF病院のスタッフはむしろ優秀だと思う。 100名前後の患者さんをたった4名で観ていたのか、他のスタッフはどこへ行った、というような意見も出ているようだが、もともと精神科単科病院というのは、職員数を身体より低く抑えられている。 300名規模の病院であればスタッフは多くて220名...これは、外注の掃除のおばちゃん、給食のおばちゃん、事務員、運転手、パートの看護助手←ゴミ集め、おむつ交換など普通のお手伝いの人であって、医療職ではない...の数字であって、これらが交代で24時間勤務をしているわけだから、平日日勤帯であっても130名くらいだ。 さらに医療職といえるのはその半分程度と見ていい。 F病院のスタッフの中には、夜勤明けで休んでいたが交通が寸断されて出勤できなかった人もいようし、避難指示が出てからでは当時指示の10キロ圏内に入れなかった人もいよう。 まとまって避難しているはずもない、約200名の患者さんに付き添って出た職員もかなりあるはずだ。 病院の前に並べて「解散!」というわけにはいかないのだから。 これが「津波で動ける患者さんの手を引いて高台に避難しました、動けない患者さんは逃がす時間なく流されました」だったら、ここまでセンセーショナルでなかったかもしれない。 情報入手手段も乏しい中、「原発が爆発するかもしれないから、退避するよう」指示されて、保護室で暴れている患者さんを職員が1対1で手錠をつけて避難することもできず、寝たきりで動かせない患者さんを、もう時間的に、物理的に、マンパワー的にどうしようもない状態になったとしたら。 いずれ戻ってくる患者さんたちのことも考えて医療従事者がとにかく一度病院から退避したとしても、責められないように思うが...。 TVドラマの「コード・ブルー」の中では退避命令が出ても、「あともう少し」と処置を続けるフライトドクター研修生たちがいたが、あれはドラマだからできること。 ハイパーレスキューだって、余震が起きればその場を一度離れるし、津波警報が出れば捜索を中断して高台に逃れる。 自分が二次的に被災して要救助者になることは絶対にあってはならないと教育されているはずで、それが美談になるべきではない。 これが目に見えない放射能だから、医療従事者が最後の患者の避難が終了するまでその場に残っていなかった、とされるのはどうか。 F病院だって、地震・火災時のマニュアルはあっても、原発事故のマニュアルまでは作っていなかったと思うし。 また、10キロ圏内に避難指示が出た時、すぐに迎えに来た家族がどれだけいたのか。 うちの病院なんかだと「ここに入院していれば、地震が来ても、食べ物と水があるだろうし、困らないから入院しなさい」と患者さん本人に勧める家族もいて、そんな家族が被災時に迎えに来るとは到底思えないから...。 私自身は、子どもたちに「いざとなったらお母さんは多分、ここに残らなきゃいけないから、あなたたちだけでも我慢して、お父さん(別れた夫)のお母さんのところへ疎開するのよ」と伝えている。 日本で今放射能汚染の起きえない地域、というのはないだろうし(沖縄だって原潜とか来るし...)、即死は困るけど、職場に残って多少なりとも被爆して、寿命が3年とか、5年とか、最悪10年くらい縮まったとしても、私自身は仕方ないと思うから...。 そんな話を姉にしたところ、「あんたは今のところ子どもが二人とも健康だからそう言える」と言われてしまった。 そう、子どもに何らかの障害があって、残して死ねない状況、自分が少しでも長生きして面倒をみなければいけない状況だったら、やっぱりそんなことも言えないんだろうな。
少し前のことになってしまったが、これまた大久野島へ行って、目に付いたこと。 うさぎ島学会(1)で書いたように、大久野島はウサギ好きの聖地なので、 ウサギ好きが沢山のラビットフードや野菜、果物を奉納しにやってくることが、よくある。 私が訪れたときにも、5~6名の、おそらく私より若いであろう女性たちが、 カートに大量のラビットフードと飲料水のポリタンク、野菜を積んで桟橋に降り立った。 あまりの量の多さに、一瞬うさぎのために食事を運んでくるボランティアなのかと思った。 だがボランティアであるのなら、休暇村のカウンターでフードを買って与える宿泊客の 多い土日を避けて訪れるだろう。 ウサギが好きで可愛がるのはいいし、沢山のウサギに囲まれて幸せな時間を過ごすのもよい。 ただ見ていて「ちょっとどうなのか」と思ったのは、あまりにも一度に一箇所に 置いていくフードと野菜の量が多すぎることであった。 私は家から持ち込んだラビットフードを少しずつ、島を歩きながらおねだりうさぎたちに 与えて回っていたが、彼女たちが大量のフードと野菜を与え始めるのを見て、自分は それ以上与えるのを止めてしまった。 気温も上がっているから、食べ残された野菜クズはじきに傷むし、次の日になれば はっきり言って生ゴミでしかない(うさぎはそれでもいつか食べるだろうが)。 一部はグラウンドゴルフ場の芝生の上にも散乱してしまっている。 夕方になって休暇村に宿泊している幼い子どもたちが、買ったフードを与えようと 出てきても、「ご満悦」なうさぎが多く、いつもの勢いで集まってこない。 さらに残念なことにその夜は雨が降った。 山積みにされて食べ残されたラビットフードが、あちこちで濡れてふやけてしまっていた。 日帰りした彼女らは、この様子を見ることも知ることもないのであろう。 帰りの桟橋までのバスの中で、小学生くらいの兄弟が残って持ち帰るラビットフードを どっちが持つかでもめていた。 小さいほうの一人は「まだあげたい」と半泣きである。 私の荷物の中にも持ち帰るラビットフードが残っていた。 それをどうしたかというと、実は今月子どもの自由研究がてらもう一度島に行き、 リベンジしたのであった(笑)。
先月、日本精神神経学会学術総会に行ってきた。 学会の専門医を維持するためには5年間で規定のポイントを集めることが必要だが、 他の関連学会等で得られるポイント数はとても少なく割に合わない。 基本的にこの「本会」に参加しないと集まらないようにできているのである。 複数の医者が在籍する病院であれば交代で出席するが、開業医は大変なのだった。 とにかくその結果年に3日ほど、日本中の精神科医が留守になる時があるのを 想像してみてほしい。 神無月に出雲の国に日本中の神様が集まるようだ、と例えたことがあるが、 精神科医を神様に例えるのは神様に失礼だった。 今年の学会は広島だった。 せっかく広島まで行くので、12年ぶりにうさぎ島(大久野島)へ寄ってきた。 私の中で密かにメインがこっちだったことは、言うまでもない。 うさぎ島というくらいだから、野生のうさぎが多数生息している。 12年前より数は増えているだろうか。 船を降りた桟橋のところから、もうあちこちでフワフワの塊が地面を掘り返し、 芝の根っこをハミハミしているのだから、「うさぎ好きの聖地」である。 うちのうさぎたちが好き嫌いして食べなかったラビットフードやら、ペットショップの 試供品やら、広島市内で買ったキャベツやらをスーツケースとリュックに詰めて持ち込んだ。 うさぎへのお土産が多すぎて、今回の学会では人間のお土産を買うことが出来なかった(笑)。 大久野島は、「毒ガス島」「地図から消された島」としても有名なところだが、 今は島全体が休暇村となっている、施設職員以外の住民がいない無人島である。 知らない方のために簡単に説明すると、1929年から太平洋戦争終戦まで、陸軍が密かに イペリット、ルイサイトなどの毒ガスを大量に製造していた場所なのだ。 毒ガスの戦争使用はジュネーブ条約で禁じられていたため、軍は毒ガス工場の存在を 秘匿していた。 そのため、当時の帝国陸軍が発行した日本地図からは、大久野島の周辺だけがすっぽりと 白く抜けている。 広島へ平和学習に行くのであれば、原爆ドームという被害者としての歴史だけでなく、 日本で唯一、戦争の加害者としての歴史を知ることの出来るこの島へも足を運ばないと、 片手落ちだと個人的には思っている。 12年前は北部海岸で発射赤筒のような筒が見つかっただの、土壌から基準値の 数千倍の砒素が出ただの、戦争の傷跡はまだまだ生々しかった。 当時は立ち入り禁止になっていた北部砲台も整備されて遊歩道のようになっていたし、 発電場跡も土塁の内側、建物の前まで入れるように整備されていた。 このような場所であるから、私が訪れた日の夕方も修学旅行の団体が到着していた。 レジ袋のガサガサ音だけで猛スピードで集まるうさぎたちにエサをやりながら見たところ、 近県の中学生。 茶髪の子とか服装の乱れた子もおらず、いかにも真面目そう(勝手に見た目で判断)。 引率の教官の指示にも従って、私語を止めたり整列したりしており、わりと好感を持った。 しかし宿舎近辺の「わらわらズ」が集まる勢いが減り、なんとなーく「ご満悦」ポーズで 寝そべる連中が増えてきても、まだ修学旅行組は荷物を持って宿舎の前で先生の注意事項を 聞いている。 ...おい、まだ部屋に入れてもらえないのか...。 夕食までのひと時、のんびりしようと部屋に上がり、窓を開けると「うさぎビュー」だが、 ついでに「修学旅行ビュー」。 自由行動をさせてもそんなに悪さをする子たちに見えないが、なんでこんなに管理的なんだ? だいたいこの島にはゲームセンターもカラオケボックスもコンビニもないのである。 結局団体は夕食の30分ほど前にようやく解散、荷物を部屋に入れて大騒ぎをするほどでもなく いい感じに賑やかに夕食をとっていた。 夕食後私が部屋に戻ると、またもや宿舎の前に団体が並んで座っている。 ハンドマイクで教諭が何か喋っている。 肝試しでもやるんだろうか? 随分遅くまで外で何かした末、ようやく入浴をしたらしかった。 翌日島内を散策していると、道々で会う夕べの修学旅行生たちが「こんにちは」と挨拶してくる。 どう見ても根本的に真面目で健全なのである。 今日は、修学旅行の団体があまりにも管理的で、ちょっと滑稽なほどだった、という話。
ここのところ、タダでさえ忙しいのに、休日をほぼ産業医研修会に奪われてしまっている。 法律の改正もあって、職場でのメンタルヘルスがトレンディになってきており、 休職中の患者さんに対し主治医が復職可能と判断しても、産業医のところで ストップがかかることが多くなってきた。 その一方、「『精神科へ行って診断書を書いてきてもらえ』と職場の産業医が言ったので 受診しただけだ」と言って、診断確定のために検査を勧めても拒否、次回来院日をきいても 「そんなこと知るか」という休職の診断書ゲットだけが目的の困った患者さん? (彼らは治療を求めていないので真の意味では患者さんとは言えない) もいて、産業医ってのは随分失礼で不届きな輩だと思っていたのも事実だ。 産業医ってのは(時として精神科が専門ではなかったりするのに)何だってそんなエライんだ、 そんなことをこっちに指示してくるんなら、自分で診断して診断書作って、休職も復職も 決めればいいじゃんか! ...で、そんな私が産業医(日本医師会の資格)を突然取ろうと思ったわけ。 私は病院勤務医を続けるつもりで、どこかの企業の専属産業医になるつもりはさらさら無い。 しかし、ここのところ産業医との目に見えないバトルが増えてきており、 産業医の立場ってのをこっちも理解して、手の内を知るのがいいんじゃないかと。 新規に産業医になるには、基礎研修前期14単位、実地10単位、後期26単位が必要。 1単位は1時間なので、トータル50時間の研修を受けなくてはならない。 日常の業務をしながら、診察時間を削らないようにしながら単位を揃えるのだから、 当然土日や祝日を潰して受講するしかない。 しかも地理的に近いところでばかり単位を集めるのは難しい(定員になると地元医師会会員が 優先。一般勤務医はお金のかかる医師会員にはなっていないことが多い)ため、 一気に集める気なら、多少遠方でも国内を移動したり宿泊したりして集めることになる。 50単位揃えるのに期限は無いが、「少しずつ集めればいいや」と思っていると 忙しさにかまけて何年たっても産業医が取れない、ということになってしまうのだ。 かなり頑張って、無理もして、数ヶ月で8割方集めた。 受講してみていろいろ判った事がある。 産業医の先生が自分のためにもっと休んだほうがいいと言ってくれた、と勘違いしている 患者さんは結構居る。 だが産業医っていうのは、実は労働者のための医者ではない。 企業と契約を持っているだけで、労働者個人との間には何の契約も存在しない。 だから、原則まず企業の利益を優先する。 産業医がなぜ、労働者の健康を守るかと言うと、それは労働者が企業の財産であるからで、 労働者の健康を守ることで、企業の利益を上げるためだ。 また、産業医は労働者の健康安全に直接は責任を持たない。 責任を持つのは、雇用主なのである。 そして、企業は高給を払って産業医なんて雇いたくはないが、企業の規模により選任を 法律で義務付けられているので、仕方なく雇用しているのである。 主治医は、まず自分の患者さんの治療を第一に優先して考える。 その人を、職場に、社会に戻すためにどうするのがベストか、心を砕いて考える。 例えばその患者さんが休職を続けることが、本人の治療にかえって悪影響を及ぼす、と 考えれば復職を勧める。 まあ正直、企業の負担とか、周囲の同僚の迷惑なんて知ったこっちゃない(爆)。 極論すれば、最初に面接して雇ったのは会社なんだから、社員の面倒くらい最後まで ちゃんとみな、くらいに思っている。 しかし、そこで登場した産業医が、「この労働者を復職させると他の労働者に迷惑がかかる」 「かえって企業の利益が上がらなくなる」と考えれば、当然復職はさせないということになる。 企業が本音は「むしろこのまま辞めてもらいたい」と考えているような労働者であれば、 なおさらだ。 主治医の診断書があっても、最終的に労務をさせるかどうかを決めるのは今までも もちろん雇用主だったが、主治医の診断書の威力が最近落ちているということは 肌で感じていた。 例えば、復職できずに退職に追い込まれた患者さんが生活の糧を失って自殺をしたとする。 退職後の患者さんのことは、産業医には無関係、知らぬ存ぜぬだが、 主治医は場合によっては治療内容を叩かれる可能性がある。 もし、過重労働などが引き金で、雇用中の労働者が治療を受けることもなく自殺をしたと すれば、企業はその責任を問われるだろうが、休職させ専門医に治療を受けさせてさえおけば、その責任を主治医に投げてしまうことも可能になる。 自殺の可能性がある労働者なんてのは、下手をすれば億単位の賠償が発生するわけで、 企業としては早いとこ縁を切りたいはずだ。 これがトリックなのだ。 だから、ある労働者が本人の人格的な問題もあって他の同僚とトラブルを起こしていたとする。 本音は、「会社にいてもらいたくない」。 「あなたは疲れているようだし、休んだほうがいい。専門の精神科にちゃんとかかったほうがよい」 こう説明して精神科に診断書を書かせてとにかく一度休職させる。 確認したが、産業医は企業側なので絶対にこの診断書を自分で書いてはならないそうだ。 数ヵ月後に復職可能の診断書をもって本人が来ても「本人の復職意思が明確でない」 「まだ治療が不十分だ」「もう少し休んだほうがいいのではないか」と産業医が言えば、 企業は復職をさせないでおくことができてしまうのだ。 そして主治医の手元にだけ、その「困ってしまった患者さん」が残る。 一部の企業や産業医がただ「精神科で診断書を書いてもらえ」とだけ言って、平気で 患者さんを送り込んでくるからくりが、ようやく理解できた。 もちろん、全ての産業医がこのような態度をとっているとは思わないが、 根本的に産業医は企業側の人間なのだ、という立場の違いは理解しておく必要がある。 産業医が送りこんできた患者さんには、主治医としてはやはり注意して臨まなきゃ駄目だ。 復職可能という診断書を何回書かされても、産業医のところでストップがかかる場合は、 「具体的な労務状況についてはこちらでは預かり知ることが出来ないので、貴職にて ご判断ください」とはっきり書いてやろう...。 ちなみに、現在事務職の多い企業において、産業医の仕事のうち約6割が 復職面談を主とするメンタルで占められているそうだ。 精神科で、産業医ってのは確実にトレンディではあるのだった。
随分久々の更新になってしまいました。 昨年秋に、母が亡くなり、それからバタバタしていたし、 暫く何を書いていいか分からない状態だったのもあります。 あんまり亡くなったばかりだと湿っぽくなりすぎてしまうし。 急に呼吸状態が悪化し、もういつ亡くなるか分からない、数日から1週間以内と告知を受けてから、母は3週間も頑張りました。 もう経管栄養も止め、点滴も1日500mlまで減らして絞ることで、かえって頑張れたように思います。 あの人の生きる執念は凄かったな、と思います。 母が最後の入院をしてから、担当の若い先生とすったもんだもありました(笑)。 そんな話も、少しずつアップしていきたいと思っています。 年が明けて、今の病院への勤務も1年を超え、ちょっと落ち着いてきました。 今度の病院は当分辞めなくてよさそうです。 私の仕事の仕方を病棟も外来も事務も理解してくれているのを感じているし、 院長も、他のドクターとも(特に呑み会の席では)ざっくばらんに話せる雰囲気があります。 みんな診療スタイルはそれぞれ違うけれど、お互いにその領域には踏み込まずにやれています。 そういうのを、スタンダード化されていない、と批判することもできるでしょうが、 管理的でないところこそ、今の病院のよさだと思うし、これほどありがたいことはないと思います。 ちょっと、まだ何から書いていいかわからないので、ぽつりぽつりとの更新になると思いますが、またよろしくお願いします。
総合病院に赴任したある精神科の先生に、久しぶりに学会で会い、食事をしながら聞いた話。 総合病院で一番エライ?先生は、内科系・外科系(心臓外科、脳外科、整形外科を含む)・小児科・産婦人科のメジャーと言われる科の先生たち、次点が眼科耳鼻咽喉科皮膚科泌尿器科などマイナーと言われる科の先生たち、その下に精神科、更に下に口腔外科(口腔外科は歯科医師なので、本質的に免許が違う)、が来るそうだ。 新しく赴任して納涼会に出席するので、前で挨拶をするよう依頼され、話す内容も考えていたのだが、会場では一切そんな場は与えられなかった。 そしてその会場に行って、内科や外科のおエライ先生たちは、精神科になど一切目もくれないことに気付いたのだそうだ。 話をしたのは泌尿器科の部長と眼科の若い先生、口腔外科の先生くらいで、内科や外科の先生たちには近づくことさえできなかったと言う。 第一線の公立総合病院であれば、現在ほとんど電子カルテが導入(あるいは導入検討)されている。 私も精神科専用の電子カルテなら、多少なりとも触ったことはある。 が、総合病院の、身体科用に作られた電子カルテは、精神科医からすれば、「全然使えない」のだそうだ。 精神科では現病歴、生活歴、ファミリーツリー、それまでの入院歴など精神科治療歴などがとても重要だから、一目で閲覧できるようなページがないといけないし、自分が新患について書き込みたい時にも困る。 ところが、そんなページはない。 また、精神科では、長期間で処方がどのように変遷してきたか、どういった症状(あるいは副作用)に対して処方変更したのか、処方変更によってどう症状が変化したが、が非常に大事だ。 ところが、身体科のカルテでは、一部の薬剤アレルギー歴などは別にして、ここ1週間何の抗生剤を使ったか、今何の薬をのんでいるか、が重要だったりする。 精神科専用の電子カルテなら、処方変更がどこでどのようになされたか、処方ごとに色分けされたカレンダーを月ごとに一覧表示できる。 身体科用のカルテでももちろん過去の処方を見ることはできるが、それは3ヶ月前の日付を入力するとその日の処方がピンポイントで表示される、という形式だったりして、全く役に立たない。 精神科に副科で依頼される、他科の患者さんをそれぞれの病棟に診察に行く時も、ギャップは大きい。 身体科の看護師さんたちは、患者さんが夜寝ないとか、大きな声を上げたりすることにとてもナーバスだから、夜中に数十分「おーい、おーい」と大声を上げ続けただけで、「大変なんです」と主科の主治医に訴える。 夜間の看護記録にも記事がわんさか載る。 ...この程度では、単科精神科病院で働いてきた私たちにすれば、「不穏」のうちにも入らない。 主科の主治医がSSRI、安定剤、眠剤を使っても、ますます症状が悪化したり、ふらつきがひどくなってしまったりすると、私たちの出番になる。 そういうのを四環系抗うつ剤や少量の抗精神病薬でどうにかするのが私たちの腕の見せ所で、数日後の副科再診の時に、主科の主治医が「いったいどうして(よく)な(った)んだあ?」と書いてあったりするのを見て、密かにほくそ笑むのが楽しみなのである。 ところが、副科依頼を受けて処方を出して、その夜から症状が改善したりすると、看護の観察記録から一切精神症状に関する記載がなくなってしまう。 私たちとしては、「夜間トイレ覚醒のみで静かに自床に戻った」とか、「訴えはあったが大声を出すことなく、視線を合わせて穏やかに話された」とか、よくなったらよくなったで、なんか書いといて欲しい、のである。 数日後に病棟に行くと、看護師は誰も彼も忙しそうにしていて、誰が今日のリーダーかも、誰に話しかけていいのかも分からない。 彼女たちにとって、その症状は改善してしまったら、もう「過去のもの」であり、精神科医がまた診察に来る意味なんて、理解不能なようだ。 やっとリーダーを確かめて声をかけても「ちょっと、精神科の先生が来てなんか言ってるけど、誰か聞いといてあげて!」みたいな扱いを受けるのであった。 ....でも、身体科と全然診るところが違うから、精神科は面白いのよね。 今日の学会だって、参加費が1000円安くなるから事前受付で申し込もうとしたら、診療部長の外科医に「精神科の学会っていうのは、1ケ月も前から参加する予定が組めるような連中の集まりなのか!」と嫌味を言われたんだよね、とその精神科の先生はブツブツ言っていた。
娘が見慣れないノートを持っているので手に取ると、「ダメ!」とひったくられた。 「別に中を見ようとは思わないけど、交換日記?」と尋ねると「違うけど、交換ノート」と言う。 「誰としているの?」と何人か仲のよい子の名前を挙げたが、いずれも違っていて、「クラスで一番嫌いな子。『止めよう』って何度も書こうと思ったけど、書けない。」と言う。 苦手な子が「交換ノートして」と持ってきて、断れなかったそうだ。 家では自己主張のはっきりした娘だが、そこは使い分けているらしい。 「それじゃさ、向こうが1日でノートをよこしても、こっちは3日とか、1週間とか、だんだん間を空けていけば、立ち消えになるかもよ。」 まるで、別れたい男からのメールに対する返事の仕方を教えてるみたいだ(笑)。 「そうだね」と言って娘は少しほっとしたような顔をしていた。 ところが数日後、娘が寝る時間になっても、ノートを2冊床に広げて、「うーん...」と唸っている。 「他の子とも始めたの?」 「ううん、同じ子。」 「同じ子と2冊?」 「忘れた、忘れたと言って持っていかなかったら、今日もう1冊ノートを渡されてしまった。」 ...敵もさる者。なんと交換ノートが増殖するとは! 娘は自分が休み時間に本を読んでいても外に引っ張り出されるし、自分はひとりで行きたいのに「トイレに一緒に行こう」とついてくるし、かなり苦痛になってきていると話す。 ちょっと「いかにも女の子」という感じの相手のようだ。 交換ノートの内容についても 「クラスの素敵な男子ベスト3とか書いてあるよ!全部うるさい奴ばっかり!何を書いていいかわからない。好きなすしネタベスト3とか書けばいいの?かーちゃん。」 とまだまだニュートラルな娘とは話題がかみ合わないらしい。 とにかくノートを2冊書かず、1冊はそのまま返すように言った。 2冊書いたら、毎日同時交換になってハマってしまう。 夏休みでフェードアウトを狙っていたが、この分ではポストにノートが入っているだろうな...。 そういう年頃だと思うので、交換ノートをするなとも言わないが、ちょっと相手の子にも空気を読んでもらいたいものだ。 相手の子を悪く言うのも何なので、娘には交換ノートにあと2~3人自分の中のよい子を入れて、回ってくる頻度を減らし、自分たちの盛り上がりやすい話題に相手を引き込んだらどうかと伝えた。 |一覧| |
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