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2011年12月14日
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カテゴリ:實戦刀譚

  昭和刀
   
  “昭和刀とは、洋鋼を赤めて延し焼きを入れただけの刀である”という意味は、
 まだ充分に徹底しておらぬと同様に、
 戦線には、昭和刀以上に危険な“つぎ中心(なかご)”や、
 雨細工のように曲がる“焼け身”やらが偽装されて、
 数多く出ている事も知られておらぬ。
  昭和刀は一撃直ちに折れるもの、という宣伝が一時相当にあって、
 官憲がこれを禁止するかにも見えたが、いつしか沙汰やみとなって、
 戦地の○の○○には、純然たる関の昭和刀(ただし在銘)が、
 立派に外装されて、一振り五十何円かで出ており、
 ○○協会の○○○○奉仕団の人たちも、そうした刀を持って行って、
 現地の希望者に領(わか)っているのを見た。
  こうした事実状況がある限り、いくら呼号してみたところで
 禁止されるべきものでない。それならば、
 いっそ方法をもってそうした製刀者を善導すべきでなかろうか。
  無垢鍛(所謂一枚物)に焼刃深きは、
  腰強なる候へども腰強しとてよきにも候はず(中略)
  事ある時は忽(たちま)ち其身に危き害あり、
  又其折れ易きを知り乍ら造る鍛冶は不仁と可申候
 と水心子は書き残している。昔もそうした刀があったものらしい。
  刀剣家の一概に昭和刀とけなしているものの中に、
 相当研究したらしい刀のある事を第一線の陣中で知った。
 決して昭和刀を推奨しようというのではないが、
 昔の『軍陣用数打物』に匹敵する昭和刀については、
 研究を要すべきであると考える。
 佩刀については、命のやりとりに使用する刀であるため、
 わからずながらも皆相当に吟味して行ったと見え、
 同じ昭和刀にしても出所のたしかな、そして作者銘のある物で、
 無銘はあまり見なかった。
 ただ二、三古い偽銘を切ったものはあった。
  那須部隊某大尉(特に名をあげない。以下同じ。)は
 『不錆鋼以作之』と切った某氏作銘のいわゆるステンレス刀を以て
 黄河渡河以来随所で戦ったが、大きな刃まくれが出来ても刀身は折れなかった。
  安田部隊の某騎兵上等兵は、洋鉄素延べの錵も匂いもないやつで、
 一挙に敵兵六名を斬って捨てたが、刃こぼれもなく刃曲がりもなかった。
  後宮部隊の某少尉は、美濃の関で出来た、
 在銘の素延刀(すのべとう)二尺三寸三分反り四分五厘の刀で戦ったが、
 相当に曲がったのみでこれも折れず、
 同部隊の某部隊長某隊長は、銘のある一枚物を用いていたが、
 両者ともこれまた曲がりと小刃こぼれはあったが、
 折損もせずに戦闘を継続する事が出来た。
  前野部隊某准尉のは、古い偽名を切った昭和刀で、
 これで激戦中武装した敵とわたり合ったが、
 切っ先に巾深さ共に一分ぐらいの刃こぼれを出かし、
 刀身が左へ曲がったのみであった。
  これらの事実は他にも沢山あるが、このくらいにしておく。
  この外に陸軍の工廠(こうしょう)でつくる造兵刀、
 即ち新村田刀が相当使用されていたが、これも洋鋼素延の軍刀であって、
 刀剣家にいわせると、昭和刀の定義内に含まれ、錵も匂いもなく、
 砥石で磨ってそれをあらわしたもので、研ぐと直ちに消滅してしまう。
 この造兵刀は相当数に達し、部隊長級にも二、三見受けたが、
 やはり折損したものはなかった。
  こうした刀の持ち主中には、かなりな激戦を経てきた者が少なくなく、
 まったく天佑であったかも知れぬが、内地での悪評判ほどではなかった。
 ただし、切れ味とかその他は別個の問題であって、
 ここには折れる折れぬを述べたまでである。
  右のごとき実例をあげたからとて、昭和刀を賞賛する次第では決してない。
 世間同様左様な刀は持ってもらいたくないのであるが、
 事情やむをえず承知の上で所持している者のためには、
 自分は時に本人の承諾を得て?元(はばきもと)の焼きを戻したり
 その他安全な処置を講じてきた。
 焼きのビンと硬い、たしかに折れそうだった刀はたった一振りだけで、
 それも刃部に四角に切った芋をかませ、
 アルコールランプで全体に焼きを戻してやった。
  自分の派遣出張を命ぜられた部隊は、前述のごとく大小三十二に達し、
 各所で相当激戦を展開した諸部隊ばかりであったが、
 折れた刀はしばしば述べるごとく一振りもなかった。
 実際日本刀が、新古を問わず、いかに強靭であるかを如実に物語ると見てよい。
  某部隊には完備した兵器工場があって、
 そこである将校の持っていた『昭和刀』を色々と実験してみた。
 それは、敵を数名切った跡、金鞘のまま砲車にはさまれて、
 約六十度ぐらいの角度に曲がったもので、
 刃のところにあるかなしかの横疵の出来たのは性質上是非もないとして、
 その他は何の故障もなかったので、ため木で延ばして真っ直ぐにした上、
 木台にのせ銅槌で叩いて直したが、すなおに直ったのが研究の第一歩で、
 だんだんしらべてみると、
 地刃境(じばざかい)から鎬棟(しのぎむね)へかけて
 地鉄はごく柔軟できれいな光彩があり、それでいて刃は相当粘硬で、
 中直刃(なかすぐは)に焼きが入っていた。
 工員中に多少作刀の事を心得ている者がいて、
 「質のよい軟鋼に土どりの工夫をすればこうした刀になるでしょう。」
 などといっていたが、傾聴すべき事で、水心子なども、
 急場に質のよい数打ち刀を得んとするには、地鉄や鍛えは第二として、
 火かげん一つで相当に戦える刀は出来ると述べている。
  かつて虎徹の丸鍛えだというものを見た事がある。一種の精良な既製鋼に
 土どりと焼きの工夫を凝らしたものではなかったかと考える。
 こうした点、虎徹の作には上作下作のむらがある。
 一概に昭和刀をこき下ろす事をやめて、昭和刀を改良し、
 それから逆に工夫のヒントを掴もうとする者はないであろうか。
  右の昭和刀はどうも『銅鉄鍛』などという類ではないかとも思われた、
 古書にある。鋼鉄三百匁に銅一匁ぐらいをまぜて延ばすという鍛法で、
 水心子の書簡の中にも、
  銅鐵鍛と申すものは少しやわらか成方に相成候物にて
  又肉御座候へば堅物も能く切れ候物に御座候
  古人の意味は深き事に御座候刃味の儀申候も段々有
  之鎌庖丁の類と鉈鉞(なた・まさかり)の類と大いに違申候事に御座候
  先ず刀はなた、まさかりの類と同類にて
  鎌庖丁の刃味より柔らかなる物に御座候

 とある。玩味すべき事と思う。
  日本は今乾坤一擲(けんこんいってき)、
 国運を賭して有史以来の大戦争をしているときで、
 軍刀用の刀剣も日増しに需要を増加しているのであるから、
 昭和刀の作刀家も一番奮起して、
 スプリング鋼のような粘硬度の強い鋼を用いて、
 適度に焼きを戻す事を工夫研究し、
 あるいは銅鉄鋼を実験するなどして、
 本当に戦える“昭和の数打物”を製作し、
 堂々と責任を明らかにした住所の裏銘を切るぐらいの心意気をもって、
 大量実用刀の本道を進んでもらいたい。
 





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Last updated  2012年04月26日 22時53分13秒



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