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テーマ:戦ふ日本刀(97)
カテゴリ:戦ふ日本刀
三月三十日。晴れ。 昨今の暖気で季の花が一斉に咲いた。遠景は桜花さながらだ。 竹原軍曹の室へ行ってみると、浅い支那の土器にそれが生けてある。 見事な古流だ。これは東中尉の当番の目付特務兵が生けたのだという。 この兵隊は出雲大社付近の出身で、生花のお師匠さん。 今日も一日無言の修理作業だ。修理を早目に切りあげ、五時頃街の湯に行った。 済寧の浴場と同じ形だが、規模がずっと小さい。 今日は臨時休業で、明日わかす水をくみ込んでいるところだ。 そこを出でてあたりをぶらつく。 街々の住民は、八、九分通り避難していて、ほとんどガラ空きである。 日本兵は良民を殺戮するという逆宣伝に驚いての事だというが、 実際残って住んでいる連中は、かえって日本兵の保護を受け、 物を売ったり、使用人となったりして儲けている。 ほど近い泗水縣庁の前には、昔から由緒の地と見え 『邑侯仁政碑』などという古碑がたっている。 やがて『日本軍仁政碑』が建てられるだろうなどと話しながら東の城壁にのぼる。 外観はがっしりしているが、内部の土壘〔どるい〕は半ば崩壊して礫土が露出している。 城門の上から眺めると、郊外の村々が、遠く近く樹々の間に点綴〔てんてい/てんてつ〕し、 東南北は、水成岩の低い山々に囲まれて、 短い支那の春がまさに酣〔たけなわ〕ならんとしている。 麦の緑、李花の紅、まことに飽かぬ景色ながら、民家田圃〔でんぽ〕には人っ子一人も見えない。 ただあちらこちらに薄汚ない水たまりに、カエルがかいかいと啼いている。 日はうらら泗水の城のをちこちを島のごとくに木の芽青み来る かいかいと蛙なくなりこのしろものどかに春となりにけるらし 門の上に歩哨が立っている。 昨今討伐しているのはアノ山だと、北方二里ばかりの山を指す。 目を南に転ずればはるかに低い丸味のある山が見える。 名を尼山といい、そこの麓が孔子の生まれた処であるという。 西面すれば、赤い太陽は今まさに沈まんとする一歩前で、 ここもカラスの巣がどこの樹々にも黒く見え、 彼らのみは盛んに生きる営みを営んでいる。 この城壁の上を、北側からしずかに一周してみる。崩れて危ない箇所もある。 数町四方、一巡して半里に足らぬ小城である。 ふと城壁の下の土民の家から唱歌の声が聞こえてくる。 しかもやさしい女の肉声だ。炊烟〔すいえん〕がたちのぼって、 前庭には子供が遊んでいる。 ここだけは、こっそりと平和を拾っているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2016年08月23日 03時11分18秒
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