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佐遊李葉 [全768件]
堀河は出来るだけ車を急がせて、三条西殿へ戻った。 御殿の中はしんと静まり返り、人っ子一人姿が見当たらない。遠くの西の対で残り仕事をしているらしい工人が槌(つち)を振るう微かな音が響いてくるだけだ。 堀河は車宿りで牛車を降り、自分が呼ぶまでここで待つように言い置いて、自分の局のある東北の対へ向った。 先程会ったあの老僧。逸(はぐ)れた従者だという者が現れたと言ったら、獅子王はどんなに喜ぶだろう。ずいぶん世話になったと懐かしげに話していたから。 そうだ、これからすぐこの御殿を出て、西山へ行こうか。どうせ誰もいないから、夜遅くなるまで待って人目を忍ぶこともあるまい。 そう思って、堀河はにっこりと微笑みながら、自分の局の妻戸を開けた。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
堀河は声をひそめて言った。 「確かに、わたくしはあの男を匿もうておる。じゃが……」 その時、どやどやと音がして、大勢の官人たちが車宿りにやって来た。どうやら、両院がこの法金剛院を退出されるらしい。 車が立てこみ、人に見咎められぬうちに、ここを出なければ。 堀河は手に持っていた桧扇を老僧に渡して言った。 「わたくしは待賢門院様にお仕えする女房で、堀河と申す。これを持って、西山にあるわたくしの山荘へ行くがよい。この扇にはわたくしの手蹟(て…筆跡のこと)で歌が書いてある。山荘の留守番の者ならわたくしの手蹟を知っているから、そなたを無碍(むげ)に扱いはしまい。その山荘で待っていておくれ。いずれ、そなたの主をそこへ連れて行こう」 そう言い残すと、堀河は牛車の後簾を下ろし、舎人に命じて車を出させた。 門の前でそっと振り返ると、老僧は桧扇を握り締めながら、牛車に向って深々と頭を下げていた。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
「いい加減にせぬか!」 堀河が止めるのも聞かず、舎人は二人して老僧を突き飛ばした。そして、埃まみれの地面に押し倒す。 それでも老僧は堀河の牛車に這い寄り、舎人たちに足蹴にされながらも、堀河に向って両手を合わせて哀願した。 「どうか、お願いでございまする。若殿に、一目……」 その目から涙が溢れ、日に焼けてひどく皺ばんだ頬に流れ落ちる。老僧は涙を拭こうともせず、堀河を伏し拝んだ。 「止めなされ!」 堀河は舎人に命じ、桧扇を閉じて老僧を手招きした。 「もう良い。その涙に偽りはないようじゃ。そなたは、あの男の従者か?」 「はい、藤原資通と申しまする」 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
「お隠し下さいますな。私はあの夜、このまだら模様の牡牛に引かれた牛車に若殿が乗せられるのを、辻の角から密かに見ておりました。私はずっとこの牛を探していたのです。今日は都中の名だたる方々がこの法金剛院にお集まりになると聞いて、きっとあの牛が見つかるのではないかと、この車宿りで探しておりました。いや、私は決して怪しい者ではございませぬ。若殿に長年お仕えして参った者でございます」 そう言えば、獅子王は東国でずっと従者と一緒だったと言っていた。これが、坂東で逸(はぐ)れたというその従者だろうか。 いや、もしかしたら獅子王を探している敵方の者かも。 「何か証拠でもあるのか?」 「それは……何もござりませぬ。ただ、この顔を若殿に見ていただければ。どうか、資通が来たとお伝えくだされ……」 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
やがて日が暮れ、全ての行事も滞りなく終了した。 両院が席を立たれたどさくさに紛れて、堀河はこっそり御堂を出て車宿りに向った。 車宿りには法金剛院へやってきた大勢の貴顕(きけん)たちの車がひしめき合っている。堀河は苦労して、いつも供をしている二人の舎人(とねり)と牛飼い童を見つけた。そして、一人で三条西殿へ戻る旨を伝えて車に乗り込もうとしているところを、誰かに呼びとめられた。 「もし、御上臈様……」 堀河が振り返ると、そこには汚い身なりをした老僧が立っていた。供の舎人が咎(とが)めようと近づくと、老僧はさっと車に駈け寄り、いきなり堀河の唐衣(からぎぬ)の袖を捉(とら)えて言った。 「若殿はいずこにおわしまする? どうか、若殿の居所をお教え下さりませ。お願いでございま……」 「無礼者!」 皆まで言わせず、舎人が乱暴に老僧を押し退けた。堀河は手に持っていた桧扇(ひおうぎ)で半ば顔を隠しながら言った。 「若殿? それは誰のことじゃ? わたくしにはそんな心当たりはない」 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
ちょうど良い機会だ。このまま一人で三条西殿へ戻ろう。 今なら御殿には誰一人残っていない。この盛大な落慶供養を一目見ようと、局の半物(はしたもの)に至るまでこぞってお供に付き従ってきているのだから。人目を気にする必要もないし、自由に車も引き入れられる。 もうしばらく獅子王を自分の局に匿っておこうと思っていたが、思いきって西山の山荘まで連れて行こう。あそこなら、人里離れているし、母から自分に譲られたものだから、自分の許可なしでは誰も訪れない。 三条西殿は確かに良い隠れ場所ではあるが、いかんせん人目が多すぎる。いずれは誰かに見咎められるだろう。特に、兵衛はよく局に出入りするし好奇心の強い女だから、いろいろ厄介なことになるに違いない。大事を取って早めに動いた方が良いかもしれぬ。 待賢門院は今宵白河北殿へ還御した後、四日後にまたこの法金剛院に御幸される。この池の向こうに見える新造の御所は、待賢門院が自らの好みにこだわって造らせたものだ。数日間はあそこで過ごされるだろうから、十日ほどは三条西殿へは戻らない。それまで自分は自由の身だ。 獅子王を連れて西山へ行き、そこでしばらく二人だけで暮らそう。 堀河は袖の陰でまたふっと微笑んだ。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
堀河ははっとひらめいたことがあったので、また殊更に深い溜め息をつくと、兵衛に言った。 「ええ、さきほどから少し頭が……。何やらめまいもするようじゃ。これから両院のお供をして白河北殿へ参ることになってはおるが、途中で倒れたりしたら女院様にご迷惑をかける。このまま皆とそっと別れて、三条西殿へ戻ろうと思うが……どうであろうか?」 兵衛は心配そうに堀河の顔を覗き込みながら言った。 「まあ、そうでしたの。もちろん、構わぬと思いますよ。今日は女房たちも残らずお供をしておりますから、人手も足りるでしょう。わたくしは誰か他の方の車へ乗せてもらうことに致しますから、姉上様は里の牛車で三条西殿へお戻りあそばせ。姉上様のことは、後でわたくしが但馬殿へお話しておきます」 「皆が心配するといけないから、そなたは何も言わずに皆のところへお戻り。わたくしは折りを見て、さりげなく退出するから」 兵衛は頷くと、また元の席へ戻って行った。堀河は大儀そうに柱に寄り添い手でこめかみを抑える振りをしていたが、その袖の陰でにんまり微笑んだ。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m ↓ 現在の法金剛院は、平安の昔とはほとんど変わってしまっています。大きな池はありますが、これも当時のものとは違うそう。ただ、この写真の奥に写っているほとんど水の枯れかけた小さな人工滝だけが、当時からある遺構なのだそうです。待賢門院もこの滝だけは目にしたのかな(*^_^*) |一覧| |