カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
形外会で浜さんが、次のように森田先生に質問された。
庭に犬の糞を見つけたとき、汚い、イヤだというのが、純なる心ではありませんか。 これに答えて森田先生曰く。 それはもとより純なる心である。自然の感情である。 しかし、庭の糞なり、台所の洗い残りの皿など、静かに見つめていれば、そのままに捨てておくことができなくなるのである。 君はいやなものは避けるというが、そんな言葉は屁理屈である。 通るたびごとに、庭先の犬糞が目に付いては、決して、そのような理屈は、成り立たないのである。(森田全集第5巻 260ページ) 森田ではどんな時でも、「純な心」から出発することをお勧めしています。 犬糞が汚くてイヤだというのは、当然「純な心」です。 ただその気持ちや感情を優先して行動すると、犬糞を見て見ぬふりをする。 誰かが処理してくれるまで待つという事になります。 自分では何もしないことになります。 これは不快感に振り回されて逃げ回っていることになります。 気分に振り回されている。流されているのです。 不快感、不安、恐怖、めんどうだ、やる気が起きないなどという気持ち自体は「純なる心」ですが、それに振り回されるというのは「気分本位」の態度です。 「気分本位」というのは、自分に湧き上がってきた感情や本能に従って行動するというものです。 人間にはそのような感情や本能が湧き上がってきたときに、それと対立する考え方も同時に湧き上がってくるようになっています。森田では「精神拮抗作用」といっています。 普通の人は、この特徴を兼ね備えていることを思い出すことが大切なります。 犬糞が汚くて気持ちが悪いという感情は当然大切にしないといけません。 しかし不快な気分に一方的に振り回されていると、不快感はいつまでも残ります。 不快感にとらわれて、それこそ神経症にまで発展してしまいます。 その気持ちはあるがままに認めて受け入れることが肝心です。 次に、何とかして処分したいという気持ちも大事にしないといけません。 いやいや仕方なく自分で片づけるのか。あるいは人に処分してもらうのか。 いずれにしてもそのまま放置するのではなく、解決に向かってどうするのかを考えてみることです。気分本位の感情や本能に流されそうになった時、森田の「精神拮抗作用」を思い出して踏みとどまることは極めて大切です。 「精神拮抗作用」が人間に備わっていることで、気分本位に振り回されることや欲望や本能の暴走を抑止することにつながっているのです。 「精神拮抗作用」の役割を認識して、そのバランスを整えていける人が、自分の生活を発展させて、社会に適応していける人となります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.06.17 06:20:06
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