カテゴリ:「かくあるべし」の発生
自愛と自己愛は違う。
自愛とは、自分の存在や状態を、是非善悪の価値評価することなく、あるがままに受け入れていくことです。森田でいうと事実、現実、現状を素直に認めて、受け入れることです。 先入観や思い込みで事実を歪曲し、否定することはしません。 事実にできるだけ近づいて、真実を知ろうという態度です。 事実に基づいて分析すれば、より正確に問題点や課題が見えてきます。 そこを出発点にして行動することができます。 森田でいう事実本位の態度です。 自己愛を辞書で引いてみると、ナルシシズムとある。 ナルシシストとは、自己陶酔型の人。うぬぼれの強い人のことをいう。 水面に写った自分の美しい容姿に陶酔して、どこまでも美化してしまう。 例えば、頭髪を念入りにセットし、きちんと化粧し、ダイエットや運動で体を引き締め、ブランド品を身に着けて、鏡に写った自分に自己陶酔しているようなものです。 それが容姿だけではなく、能力、学歴、資産、地位、身分、体力、力、持ち物などあらゆる分野に及ぶ。自己愛の強い人は、優越感を持つことに喜びを感じる。 あるいは完全、完璧を求める。理想主義者となる。 森田でいうと「かくあるべし」の立場から物事を優劣を判断する人間になる。 しかしすべての面にわたって完璧というわけにはいかない。 プラスの面があれば、必ずマイナスの面があり、バランスが取れているのが現実だということが分からないのである。それをいったん見つけると、イライラして我慢できなくなる。 忌み嫌って無きものにしようとする。せめて人前にさらさないようにする。 ごまかすために偽装工作をするようになる。自己否定、他人否定をするようになる。 すると日常茶飯事、仕事、家事、育児などに向けるべきエネルギーが枯渇してくる。 生活が乱れてくるのです。神経症に陥ると、生活が不規則になり、依存的になります。 自己愛を満たすために、エネルギーを使っていると疲れます。 現実と理想は常に乖離し、その溝をふさごうとすれば、また別の溝が顔をのぞかせてくる。 イタチごっことなり、最後には収拾できなくって、投げやりになってしまう。 あれぼどの潔癖症の人が、いつの間にか部屋の中がゴミだらけになってしまうようなものだ。 自己愛は「かくあるべし」を優先する態度であり、葛藤や苦悩を発生させてしまうものであることを認識したいものです。 私たちは貪欲に自己中心を貫くのではなく、自分の今現在の状態に寄り添う態度を持ち続けたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.16 06:20:05
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