カテゴリ:治るとはどうゆうことか
この言葉はなかなか理解されない言葉です。
神経症は治るのか治らないのかはっきりしてくださいと言いたくなります。 今日はこの言葉の意味するところを考えてみたいと思います。 一般的に病気が治るということは、薬物療養、手術、放射線治療、リハビリなどによって病気になる前の状態に戻すことを言います。 大けがをしたときも、キズを修復させてケガをする前の状態に戻すことを言います。 病気やケガの場合は、原状復帰が目標なります。 目標を達成した時点で、病気やケガが治ったと宣言できます。 では神経症になった場合、神経症になる前の状態に戻すことができるでしょうか。 不安にとらわれる前の状態に戻すことが可能でしょうか。 例え一つの不安をなくしても、様々な不安が泉のようにこんこんと湧き出るのでイタチごっこになるのではないでしょうか。 神経症というのは、主に神経質性格を持っている人が発症します。 そこで、神経質性格を別の性格に変えてしまえば、神経症で苦しまなくなると考えます。 神経質性格以外の人を見て、それを目標にして、気質を変えようとします。 例えば、小さな不安にクヨクヨと悩まない、外交的で何事にもあっけらかんとした発揚性気質に変えてしまおうと考えるようになります。 それが達成できると、不安や恐怖が激減して、自由自在な生き方を手にすることができる。 つまりこの目標が達成できた時点で、神経症が治ったと実感できるはずだと考えるようになるのです。 この気質改造・性格改造は果たして可能なのでしょうか。 神経質性格の人が、豪放磊落な人間に変身できるのでしょうか。 表面的には可能かもしれませんが、それは一時的で、付け焼刃のようなものだと思います。 つまり、神経症にかかりやすいという、神経質気質は変えることができない。 一生付きまとう本体に対する影のようなものだということです。 それでは神経症は永遠に治すことができないように思えます。 しかし実際には神経症を治して、有意義な人生を送っている人がたくさんおられます。 その人たちにはある特徴があります。 神経症をもたらす神経質性格は変えることはできないということがよく分かっているのです。 性格改造にエネルギーを投入するというバカバカしい。 そして神経質性格は、他の性格者にはない優れた特徴があるということも分かっています。 鋭い感性を持っている。粘り強い。責任感がある。分析力がある。夢や希望、目標達成に対する欲望が強い。などなどです。これらは他の性格者には希薄であることも分かっています。 神経質性格のマイナス面とプラス面を過不足なく分析している人です。 この性格のプラス面に磨きをかけていくことに注意や意識が向いている。 つまり神経症は嫌な面があるが、それを治そうなどと大それたことは考えていない。 神経質性格が持っているプラスの面を最大限に伸ばしていこうとしているのです。 そういう方面の学習を森田理論で深耕している人たちなのです。 その努力を継続するとどんなことが起きるか。 主観的には神経症は治っていないが、客観的に他人から見ると、完全に神経症を克服しているように見えるのです。これが治らずして、治っている状態です。 神経症が治ったかどうかは、自分で主観的に判断して判定してもよく分かりません。 神経症を克服した人が、客観的な立場に立って、判断するほうが間違いが少ない。 その方法で今どの程度治っているのか、判定することが大切です。 他人があの人は神経症で苦しいというけれども、規則正しい生活ができている。 凡事徹底の生活になっている。家事、育児、日常茶飯事、仕事、勉強、趣味などに真剣に取り組んでいる。そう判定したら、本人がいくら主観的にまだ神経症は治っていませんといっても、その段階で治っているのです。これが治らずして治っている状態なのです。 言葉遊びのようですが、真実はこういうことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.10.15 06:31:06
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