カテゴリ:身近な社会問題
今年に入ってコロナウィルスが大発生しました。
連日テレビでは感染者数と死亡者数が発表されています。 11月8日現在感染者数107086人、死者数は1812人、回復者97197人と発表されています。 感染しても、ほとんどの人は回復しているというのが現実です。 対策としては、感染者の隔離、マスクの着用、アルコール消毒、不急不要の外出の自粛、学校の休校、自宅待機、在宅就業、イベントなどの中止、経済活動の中止、外国人の渡航禁止などがありました。これ以上の拡大を防ぐために、コロナ対策一点に絞って、官民挙げて必死に闘っているのが現状です。 この対策について、渡辺利夫氏は次のように発言されています。 日本におけるコロナウィルスによる重症者や死者数は、外国と比べると少ないのが現状です。 また、季節性のインフルエンザ、交通事故、自殺者数と比べてみると特段に多いということはない。季節性インフルエンザの死者数は、2018年度は3325人でした。 また2015年の交通事故の死亡者数は4117人でした。2018年は3523人です。 そして毎年2万人から3万人の人が自殺しています。先進国で1位といわれています。 こちらの方の死者数の方がはるかに多い。 これは驚くべ数字ですが、コロナ対策のように大騒ぎされることはありません。 こちらの対策はどうなっているのか。 マスコミというのは、そこにしばしば登場する専門家と称する人々を含めて、事態がいかに深刻であるかを事実以上に深刻に伝えるのが「仕事」となっているようです。 事態の深刻さを訴えれば訴えるほど、人間の移動は止まり、経済がたちゆかなくなり、それによって生計が維持できなくなって、生存さえ脅かされている人々が現に増えています。 (生活の発見誌 10月号 5ページ) これはコロナウィルスを予防するためには、経済活動はどうなっても構わないという考えになるのではないでしょうか。健康でありさえすれば、命はどうなってもよいという考え方と同じです。一見正しい考え方のようですが、本末転倒の考え方です。 これは森田理論でいう「防衛単純化のメカニズム」が働いているのではないでしょうか。 この言葉の意味するところは、私たちは生きていく中で、様々な解決困難な問題が出てきます。 それらの数が多くなると、どこから手をつけていけばよいのか判断できなくなるのです。 そこで、その中から一つを選択して、当面の闘うべき相手としてみなすことです。 コロナさえ防ぐことができれば、後は何とかなる。 何としてもコロナウィルスだけには打ち勝って見せるという考え方なのです。 コロナウィルスの撲滅に注意や意識、エネルギーを集中させていく考え方です。 これは特に政府や行政にその気持ちが顕著です。 コロナウィルスの動向だけは、報道や対策が途切れることはありません。 その結果、国民の生活が破壊されるようなことがあってはならない事です。 運転資金がなくなり、事業の廃業に追い込まれることはあってはならない事です。 政府はこんな時は、自粛協力した人たちには、粗利補償して下支えしなければならないのです。 現在のGDP550兆円が、350兆円台に下がると、取り戻すことは至難です。 何しろ一旦廃業すると生産設備も技術もなくなってしまうわけですから。 GDPが下がると国民所得が減って生活困難者が増加してくるということなのです。 むしろこの機会を利用して、菅首相のブレーンの一人のアトキンソンさんは生産性の悪い中小企業はどんどんつぶすことを真剣に提言しているのです。 これに対して森田理論は「無所住心」の考え方です。 一つの不安や恐怖などに、ことさら注意を振り向けてはいけない。 今の時期、コロナ対策の比重が多くなることはやむを得ない。 ところがその事しか考えないというのは大問題だということです。 国民の生活がどうなろうと構わないという風潮が蔓延することは大変危険です。 それは森田でいえば、一つの症状と格闘し過ぎて、精神交互作用で蟻地獄の底に落ちていくということになります。神経症は大変苦しいものですが、その不安と戦いながら、自分たちの生活や仕事を何とか回していくことを忘れてはならない。 コロナは豊かな生活を維持するための障害の一つに過ぎないという考えに立たないと、今まで積み上げてきた生活や生活基盤が、根こそぎ破壊されてしまうような気がしてなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 20:23:46
コメント(0) | コメントを書く
[身近な社会問題] カテゴリの最新記事
|
|