カテゴリ:生活の発見会・集談会
稲盛和夫氏が老師の話を紹介されている。
地獄と極楽には同じような大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。 ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートルほどの長い箸を使うしかないのです。 地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。 しまいには、他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることは出来ない。 おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。 それが地獄の光景だというのです。 それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。 そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんをとってあげます。 ですから極楽では全員が穏やかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版 176ページ) これに関連して、私が集談会で教えてもらったことは次のような事でした。 神経症で苦しい人が、悩んでいる仲間のことが心配になり、「自分のことは明日考えよう」と先送りしていた。 その明日が明後日になり、明後日が明明後日になって、いつの間にか自分の症状を治すことを棚上げにしていた。 そんなことをくり返しているうちに、自分の症状は軽くなっていたというのです。集談会参加者の世話活動に力を入れていると、社会体験不足を補うとともに症状も軽快する。不思議なことがあるものだと思っていました。 以前は集談会で森田関係の図書をある程度ストックして販売していました。 その図書の管理や運搬は、すべて図書係がやっていました。 不足すれば、次の開催日までに補充するようにしていました。 実は私もその図書係をしていたことがあります。 なにしろ無料で森田の本を読めるというのが魅力でした。 私は図書係にのめり込みました。 集談会が始まる前にはきちんと並べておくのです。 どんな本が初心者に役立つのか。 対人恐怖の人にはどんな本がよいのか。 森田理論を深めるためにはどんな本があるのか。 とりあえずストックしてある本はすべて読みました。 その後は、それ以外の本にも手を広げて読むようにしました。 よいと思った本は、新たにストックに加えるようにしました。 次に自分がここがよかったという部分をまとめた紹介文を作り配布しました。 自分が勧めた本を買ってくれる人がいるのはうれしいものです。 私は図書係という仕事にやりがいを感じるようになりました。 集談会に参加するのは、自分の症状を治すということと並行して、役に立つ本を多くの人に紹介するという目的がありました。 一時期は、自分の症状の事よりも、図書の売れ筋が気になるようになりました。 集談会に本屋さんが来ているのかといわれたこともあります。 その後は図書係を他の人に譲り、幹事として集談会の運営に加わりました。 参加者が多く、来てよかったという集談会にするためにはどうするかということに力を入れました。一泊学習会、野外学習会、花見や懇親会の企画や実施にも取り組みました。 それらの貴重な経験は、すぐに会社の中でも役立つことになりました。 人の為に始めた世話活動が、最後には自分のためになっていたのです。 神経症を克服するには、こちらから入るという道もあるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.05 07:24:18
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