状況も人の心も常に動いている
横田南嶺氏のお話です。沢庵宗彭の「不動智神妙録」という本に「急水上に毬子を打す。念念不停留」とある。これは、流れる水の上に毬を投げれば、決してとどまることはありません。つかまえようとすればするほど逃げてしまいます。人の心もこれと同じで、常に固定しないで動き続けている、という意味です。状況は変わるものです。昨日はこれでいいと思っても、今日はそれが通じるわけではありません。不動の心は動かないのではなく、つねに動きながら対応できるものだと思います。これと似た意味の言葉に「悟りとは永遠の運動である」があります。悟りというのは、「あっ、これで終わった」という到達点ではありません。流れる水の上でとどまらない毬のように、ずっと動き続けていくものです。ですから私たちは、安定して止まってはいけません。安閑としていたら、どんどん流されてしまうだけです。「これでいいのだ」と止まったとたん、流れる急水に押し出され、翻弄されてしまうでしょう。つねに状況を読み、成長していくことが激流を乗り越える智恵ではないでしょうか。(二度とない人生を生きるために 横田南嶺 PHP 130ページ)「変化に対応する」という説明は、岩田真理氏の「流れと動きの森田療法」という本の中で分かりやすく説明されています。これによると人生はサーフィンのようなものだと言われています。サーファーは「波」という、動いているものに乗っているのです。常に波の様子を読まなくてはなりません。波はその日の天候によって変化し、動き、下手をするとサーファーを飲み込みます。サーファーにとっては一瞬一瞬が緊張です。波を読み、波の上でバランスをとり、波に乗れれば、素晴らしいスピード感が体験できます。自分だけの力ではなく、勢いよく打ち寄せる波の力を自分のものにして、岸まで疾走することができるのです。(64ページから65ページに詳しく書いてありますのでご参照ください)神経症は、不安、恐怖、違和感、不快感をなくしようと悪戦苦闘しているうちに、精神交互作用で蟻地獄の底に落ちていくのです。神経症的な不安は、欲望の反面として発生しているものですから、不安を抱えたまま、生の欲望の発揮にエネルギーを投入した方が万事うまく収まります。後ろ髪を引かれるような気持を抱えることになりますが、あえて目の前の変化読み、その変化に飛び乗っていくという態度になると神経症で苦しむことはなくなります。宇宙で起きている出来事は常に流動変化しています。私たちの精神活動も、宇宙の法則に合わせることが大事になります。