日本に帰り、日本選手の活躍を初めて知った。中国では中国選手を中心とした番組なので、日本選手はチラッとしか出てこなかった。日本に帰ると日本選手のことを詳しく放送している。どの国も自分の国のことに関心が集まる。今回はマスコミの報道にも疑問をもち、映像で操作されていることにも気がついた。日本のマスコミも政府の方針を呑んだ報道をしているのである。真実は心にとどめ、実際に見ないとわからないものだと思う。
タクシーに北京では何度も乗った。その中で、♪南無阿弥陀仏、南無阿弥陀ーー♪というお経のカセットばかり聴きながら運転をしている人がいた。目まぐるしく変わる北京の街にそういつ人がいることを知ったのは初めてだった。同じく戸惑いながら変化を受け入れている。
日本人はまじめなあまり、繊細過ぎて自殺者も多い。日本は、世界の中では幸せな方なのだと知り、大らかな包容力を発揮していく、細かいことにくよくよしない事が大切だと思った。それは私のこともしかりで、頻繁に辞める日本首相もしかりである。
女子マラソンの放送を留守番録画していたのを家で見た。沿道応援の中に、私の振った日の丸扇だけが、それを標した唯一のものであった。
時間は過ぎゆく。人も年を取りゆく。過ぎ去りし日々の中で残るものは少ないが、ひと時を共に過ごした人々の記憶の中には何年も残り、温かい物が外にも伝わる。8年も友情が友人と続いている。もしかしたらもっと長いつながりがあるのかもしれない。日本は中国からいろいろ学んできた。渡来人は日本に住み、私たちの祖先となった。どこかで親戚だったかもしれないのだから。再会!
北京に10泊11日行ってきました。オリンピックをみたり、街のいろいろな人々の様子を少しずつ書いていきます。
まず、北京の人々は日本で起きた冷凍餃子事件を知らされていませんでした。一部のパソコンを見ることのできる若者は知っていました。立派な北京新空港ができていましたが、思っていたより外国の客が来なくて赤字で、高くなったホテル代を半分にしても、客は来なかったそうです。日本からの利用客が少ないことの大きい要素として、冷凍餃子事件があると説明しても、ピンとこないようでした。北京の人は立派な高速道路や風変りな建物の立派さを誇りに思い、学生ボランティアの笑顔の親切なオリンピック運営に感動していました。街のいたるところに、オリンピックを成功させるための応援をすると書かれたおそろいのTシャツを着た人々がボランティアで立っていました。何を恐れているのか、外国人には見張られているようにしか見えませんでした。
入場券の入手が困難と聞いていましたが、公安(警察)の目の前でダフ屋が10倍の値段で堂々と売っていました。公安は見て見ぬふりです。席もずいぶん空きがありました。学生ボランティアには入れるようになっていました。席の決まりどうりでなく空いているところを移動していました。五つ星ホテルに泊まる客には付添の英語のできるボランティア学生が就いて案内し、入場もできるようでした。
町中の茶芸館で、中国茶のレクチャーをしてもらった。清の時代のような作りの茶芸館は地元のしか行かないようなところにあった。入口に茶の字の入った提灯がぶら下がり、中国服の女性が両方に立ち、歓迎してくれる。中は茶を売るところと、池があり金魚がいる。2階へ階段で登るとコの字に小部屋がいくつもある。他ではマージャンをしているグループもある。清の時代の甍の見える8畳くらいの椅子の部屋に入る。まるで、女優コン リーが映画の中でいたような作りの茶芸館である。格子が清の時代のようで、そこで、お茶に詳しい汪夫人が中国茶のレクチャーをしてくれた。
ウーロン茶やジャスミンティーは工夫茶で香りを楽しむ。緑茶は70度くらいの低さで入れる。飲む手は京劇のスターの手のように優雅に美しくする。茶壷から茶碗に入れるときは回しながら入れ混ぜる。水は山の汲みたての水がよい。お茶は啜るように音をたて味わう。味わいの印象をことがで延べ、味を覚える。たとえば、抹茶は若い20歳の男、プーアール茶は40歳の力強い男、、というように、言葉で表す。
清時代にタイムスリップしたような時間は瞬く間に過ぎた。お茶の本場で高級な茶葉で味わうことができ感激ひとしおであった。そしてその茶葉はお土産にもらった。友人たちに感謝したい。
野球の決勝戦は日本がでると思っていたが、韓国とキューバだった。野球が中国に根づいていないからか、簡単に鉄骨を組み上げただけの球場だった。
1塁側の中段の席だったが、周りは韓国からの応援者で、いっぱいだった。中国人の友人に合わせて、キュ-バの応援をした。接戦の結果韓国が勝った。スポーツはどちらかに肩入れして見ると熱も入り、面白くなる。でも、圧倒的に韓国応援が多いなかで、キューバの応援は勇気がいるものだった。韓国は愛国心で熱狂的な応援ぶり。中国人は野球の応援に慣れていず、声も小さい。思わず喉がかれるほど「チャーヨ!クーバ!」と声を上げた。韓国側からは白い目で見られる。ンーー?たかがスポーツなのに国と国の対立?外国で自国以外を応援するのは、少しの感覚的好みだけなのだけれど、、、
中国では教科書にも日本を敵と思わせる記述がある。若い世代はそれを信じている人も多い。日本で4年間小学校とと中学で学んだことのある、中国人高校生は、日本の側に立つことを言ったら、先生も「それはおかしいだろう」と言ったそう。その子は「本当のことを知らないだろう。お前たちも日本にいってみろ!」と言ったそう。日本を代弁してくれる高校生がいることをうれしいと思った。今若い中国人が日本にたくさん留学してきている。今の日本を知り、本国の人に伝えてほしい。同じつらい体験も戦争でしたから、もう日本は戦争はしないと決意している、と、、、
野球観戦をして、異国で自分を表わすことの難しさも少しは分った。フエアープレイを讃えあうスポーツマンシップがアジアでも広く根づいてほしい。恨だけが、生きる源である伝統は過ちであろう。
北京の中心から車で北へ1時間くらいの所に温泉があった。観光バスも来るような大きなレジャーランドになっている。水着に着替えて、いろいろな種類の温泉に入る。日本にない装置があるので台湾系の温泉かもしれない。高血圧にいいとか婦人病にいいとか、魚に垢を食べてもらうのもある。ジャングルのようになり鍾乳洞の温泉のようなのもある。その先には、人口ビーチもあるプールがある。滑り台や、ボートで回遊できるようなものもある。死海のような塩湯もある。女性従業員があちこちで世話を焼いてくれる。昔皇帝たちが来た温泉地に建てられらとのこと。豪華なホテルもあり、青空に蝉は鳴き、空気もいい。
北京にこんなところがあるなんて思わなかった。パラダイスで、さっぱりとした。
北の方は高層ビルが立ち並び、新しい街がどんどん作られている。高級住宅街もできてきている。資本主義の国と変わらない。緑もたくさんある。風水で北の方がいいので、そちらに近代的な街ができているのだそう。南は昔からの町並みなのだそう。
北京の街は大々的変化を遂げている。
北京の庶民の行く朝市や夕市に出くわすと、こちらは珍しさでワクワクする。しかし、スーパーマーケットは大変賑わい、昔ダイエーがどんどんできていたころのことを思い出す。
朝6時ころから運動公園の前は朝市でにぎわう。店のほかに、敷物一つしいて、小物を並べ売る人々や、馬車でスイカを運び荷台の上で売る人、車で生きたエビやシャコを売る人。地元の便利店(スーパー)では豚肉の半身を切りさばきながら売っている。
同じく夕市もたつ。路上人がいきかう道べりに敷物一つしいて、野菜を売る。
しかし清潔な明るい店になるほど裕福な人がいく。日本と変わらないくらいの品揃え。日本にそっくりなイトウヨーカ堂。太平洋百貨店は台湾系だそうだが日本の刺身やすしなど売ってある。サービスの仕方も日本に似ている。だんだんと北京は日本化していくのではないかと思われる。欧米品も売ってある。海外の品を置き売れている店ほど高級スーパーなのである。
服装もかえって日本人より北京の人がおしゃれしている。ほとんど区別がない。だって日本で日本製の服を探すのが難しいくらいに中国製なのだから。
街中で北京縫製公司の作ったシャツを買った。デザインは良かったが、糸が出たままだったり、一か所縫い目が飛んでいたりした不良品だった。なのに立派な品質保証書が付いていた。その辺が信用に欠ける体質なのだと思う。日本で売られる中国製の品はいいのに。
個人旅行で、地元の人の案内でずいぶん本格的料理を食べた。
友人宅での朝ごはんは、パンや野菜饅に、ミルク、ヨーグルト、いろいろなフルーツ、ナッツ、緑茶が多かった。昼ごはんは野菜を炒めたもの色々、海老と冬瓜の塩いため、鳥とピーマン炒め、トウモロコシと胡瓜のサラダ、などなどいつも8種類くらいでる。夕飯は、ジャージャー麺や、ワンタンスープ、五目粥とか割と軽めのものだった。
上海料理は馴染みのものが多い。チャーハンやトマトと卵のスープとか、海老マヨらしいものも、マンゴーを蒸した中にフカヒレの入ったスイートは特に珍しかった。
北京料理は北京ダックや、魚の姿蒸しあんかけ、野菜の料理いろいろ。
華南料理は辛い。シカ肉と野菜の炒めたもの、蕨粉で作ったところ天のようなもの、刺身も凍った鮭や鰊と卵。スイーツはドリアンのパイ。
蘭州料理は羊肉を使ったいろいろ、大蒜を齧りながら羊の酒蒸肉を食べた。エンドウ豆のお汁粉や燕麦のお粥は美味しい。蘭州ラーメンは牛肉スープに花山椒と塩で味付けしたもの、レンズ豆の入った燕の嘴という麺料理も美味しい。
四川料理の火鍋は辛い赤いスープのと白いスープのと2種類が同時に出て、しゃぶしゃぶにして食べる。いろいろな材料が選べる。冬瓜や青梗菜や筍などの野菜のほかに、豚肉や、ナマズ、田ウナギ、牛の胃のどの内臓、あひるの血、、、火を通せば何でも食べられる。スイーツは白きくらげのシロップ煮。甘酒に白玉団子が入ったスイートもあった。日本料理もあちらから伝わったものもたくさんあったようだ。
盲人のマッサージ学校がやっているマッサージサロンに行く。入口で全身か、美容か足マッサージかを、どの人にやってもらいたいかを選ぶ。目の悪い人も普通の人も写真の案内表には載っている。痛いのはいやなので女性に足裏マッサージ60分をしてもらう。薬草の入った桶に足を入れている間、首筋肩をもんでもらう。とても効く。全身の方がよかったかもと思う。足を片方ずつマッサージしてくれる。気持ちよくて寝込んでしまった。痛いことはなかった。
旅歩きの疲れがとれた。
その後漢方のいいものが沢山入った友人手製の薬草酒を1合くらい飲んで、ひと眠りしてから、北京のカラオケに行った。日本のカラオケより豪華な店の作りで、粋な店員さんが案内する。ビールを5本頼んだら10本きた。5本はサービスとなる仕組みに戸惑う。食事も飲み物も食べ放題で選べる。なんか、日本的な味の料理だった。焼きそば、焼き飯、魚のフライ、マヨネーズ味のドレッシング、、、歌はテレサ テンの歌や、日本の歌を選ぶ。昔の歌しか知らないので、「いい日旅立ち」「時代」「踊るポンポコリン」「北国の春」など、、友人たちは日本の風景が映し出されるたびに食い入るように見ていた。カラオケはそういうところがいい。テレサテンは今も中国の人は大好きのようだ。3時間はあっという間に過ぎ、出た。ロビーでは若者が沢山来ていた。11時すぎると料金が安くなるからだそう。カラオケは人気なのである。
昼過ぎ、故宮の後ろの慶山公園に行く。小山に登ると、北京の街が見渡せる。中央には仏様のお堂がある。中国の平和、日本の平和、世界の平和を祈る。見晴らしよく、南は故宮、ビッグエッグも見える。北のオリンピック会場の集まる、高い新しい建物が見える。競技を終えた、選手もいて、砲丸投げのペルーの選手と並んで写真を撮ってもらう。コロコロしてはじけるような体つきだけれど背は小さい。晴れ舞台では皆大きい人に見えていたのだけれど、、、慶山公園は庭としても美しく、人々の憩いあつまる所である。トイレもきれい。その横に、慶山公園の昔の写真パネルが掲示してある。清の末期外国軍が来て、呼吸や慶山公園の宝物を持ち出して、荒れた様子が載っている。日本兵の写真もたくさんある。日本が知らない日本だあ!!北京原人の骨も日本が持ち出し、その後行方が分からなくなっているという。もしかしたら、どこか忘れ去られたまま日本にあるかもしれないそう。
それから、一番の繁華街王府井に行く。銀座のような賑わい。なんでも売っている。珍しい楽器も店員さんが演奏してくれた。大きい本屋をのぞく。受験問題集もあるし、料理本もある。読物では織田信長や徳永家康の本も目立つ所に置いてあった。床に座り込み、本を書き写している若い人が何人もいた。まだ、コピーとか高いのかもしれない。私の関心のある、書道コーナーには沢山の毛筆手本の本があったが、ボールペン字の上手になるための本もあった。なぞりのためのトレーシングペーパーが手本の上に乗った本であった。日本の流行は中国でも同じらしい。漢方の本、東洋医学の経路の本とかは中国らしい。
朝7時半の天安門出発に間に合わなかったので、途中2か所で、沿道応援となる。中村百合香の応援に来たのだから。小雨が降る時もあったが曇り。そんなに空気も悪くない。北京でマラソンはなかったそうで、沿道の応援は人が重なることもなく空き気味。通り過ぎる一瞬に大声で応援する。北京の人はどの選手にも「チャヨウ(加油)!」と言って応援している。日本語が人ごみで聞こえて話しかける。男性2人は入場券がないけれど、やはり中村さんを応援にきたという。ダフ屋の券は偽物かもしれないので買わないという。日本人はマスコミの報道に過敏になっている。意外と空気も、水も、食べ物も安全なのに、、、現実に北京の人は生活できているではないか、、、用心し過ぎが、マラソンの結果に出たのではないかと思った。中村さんは13位、土佐さんは棄権した。