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カツラの葉っぱ 大好き!

カツラの葉っぱ 大好き!

お奨め映画1

<お奨め映画1>  
お奨め映画の感想を集めてみました。

・硫黄島からの手紙
・父親たちの星条旗
・フラガール良かった!
・ナイロビの蜂(The Constant Gardener)
・スタンドアップ
・イノセンス
・パッチギ
・隠し剣鬼の爪
・誰も知らない
・ラストサムライ 見たよ!
・白蛇伝
・たそがれ清兵衛
・戦場のピアニスト
・ダンス・ウィズ・ウルブス
・撃墜王アフリカの星



<硫黄島からの手紙>
硫黄島戦で2本の映画を作ったイーストウッド監督ですが、イーストウッド監督そのものが良かったように思います。

渡辺謙さんのプレミア舞台挨拶です。

僕はこの映画は日本映画だと言い続けています。僕たちが忘れ去ろうとしていた日本の歴史を、クリント・イーストウッドというアメリカの監督が撮ってくれる、そのように思っていました。素晴らしい理解をクリントは示してくれました。本当に僕たちの先輩たちの無念を、そして彼らが受けた辛い思いをしっかりと受け止めて、この映画に残してくれました。この映画に参加できて心から誇りに思っています。皆さん、僕たちが少しでも感じた硫黄島の苦しみや哀しみ、そして少しだけの喜びを今日一緒に体験してください。そして、僕らが忘れ去ろうとしていた日本の歴史を思い直すきっかけにこの映画がなれば、本当に僕らは幸せです。ありがとうございました。


せりふは全て日本語であり、役者は全て日本人だし・・・
見終わったあと、これはアメリカ人監督の作った映画だったんだとあらためて思った。
確かな考証があり、日本人が見ても違和感のない“日本映画”であったと思うが・・・・
まず感慨を覚えるのはこのような“日本映画”を作ったアメリカ人とは?
監督とは、脚本家とはどんな人なのか?ということです。

穏やかなイーストウッド監督から、このような戦争映画が生まれたが、監督のこのパッションの元は何なのだろう。
それは、国を守るために戦った栗林中将とか、ともに戦った将兵に対する敬意ではなかったかと思うのです。
日米双方の将兵たちは、好きで戦ったのではないはずである。
やむにやまれず戦ったこの戦争とは何だったのか?

西中佐が負傷したあと、本隊に合流するため副官が指揮をとることになり・・・
部下の移動を援護する際に、手榴弾を投げようとして副官は敵弾に斃れた。
このシーンをサラッと描くイーストウッド流など、いいですね。
役者の演技もいいし、雄雄しさに涙が出ました。

日本では、戦時も戦後も中間官僚の脅威的な頑張りで(今はどうか知らないが)、愚かなトップの尻拭いをして来たのだなーと感慨深いものがありました。
それから、赤紙を配ってきた隣組のおばちゃんの(文字通り)殺し文句のシーンなどあったりして、怖かったですね。

東条英機を描いた映画はあったけど・・・・
日本人監督でこれだけの戦争映画を作る人は、残念ながらいないのではないでしょうか。
いずれにしてもイーストウッド監督の歳をとっても衰えない感性に感嘆してしまいます。

硫黄島の戦いウィキペディアより
「硫黄島からの手紙」公式ブログ
「父親たちの星条旗」

Marines_on_the_beachMarines on the beach

終戦から4年後の1949年1月1日、最後の日本兵2名がアメリカ軍に投降した。・・・・そうです。

ところで、本屋に寄ると栗林中将もの、硫黄島ものの本が5、6冊くらい置いてあって、文芸春秋の最新号でも巻頭を飾るような扱いで、チョットしたブームですね。
私のこのエントリーもブームに乗っているわけか。

閉塞した日本で、皆さんもなんとか誇りとかアイデンティティーを模索しているんだろう。
誇りを云々するなら・・・ホワイトカラーエグゼンプションはどうなっているんだろう。
(公明党が恐れをなして見直しを始めたようです)
硫黄島(1ヶ月余の死闘)
映画「硫黄島からの手紙」小論



<父親たちの星条旗>
コーマン!(衛生兵)という叫びを聞いた気がして、帰還した後もたびたび、幻聴のさきを振り向くもと衛生兵。

帰還後の兵士たちの日常に、悪夢のような記憶が頻出したのでしょう。
映画でも、過酷な戦闘と帰還後の戦意高揚プロパガンダがフラッシュバックしてドキュメンタリーのように描かれています。

硫黄島メモリアル

むかし「硫黄島の砂」という戦意高揚プロパガンダのような映画を観た記憶がかすかにあるのですが・・・・
この「父親たちの星条旗」はプロパガンダそのものを描いた映画でもあり、ストレートな反戦ではないかも知れないが、戦意高揚とは相容れない映画なんですね。

イーストウッド監督が言います。

私が観て育った戦争映画の多くは、どちらが正義で、どちらが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。


硫黄島の戦いは、国単位で争った地上戦としては最も過酷なものだったかもしれないが・・・
この壮大な喪失を描く映画で、何か語るとしたらやはりイーストウッド監督のことばになるのでしょう。
事実を風化することなく記憶することが、双方の死者に対する最善の弔意になるのかもしれませんね。

手荒いダーティハリーとしてのイメージが強いイーストウッド監督は、今では穏やかなおじいちゃんの風貌ですが・・・・
熱いハートで、クールな戦争映画を作ったものです。
戦争の実相を描くには正統な手法と思われるこのような映画作りは有りそうで、あまり無かったようです。

ということで、イーストウッド監督の弁をさらに紹介します。

 確かに両サイドから描いていますが、アメリカ側からの視点は戦闘場面だけではありません。硫黄島はアメリカ海兵隊にとって最大の激戦地でした。でも私が描いているのはあの島で戦った兵士たちが帰還後、どのような人生を歩んだが、戦争のために彼らの人生がどのように変わったかを描くことが主眼です。硫黄島の経験がネガティブに働いた人もいるし、まあまあの人生を歩んだ人もいますが、特にクローズアップしたのは擂鉢山に星条旗を掲げて生還した3人です。彼らはとても有名になり祖国に戻って国債を集めるために政府に利用されたのです。国債を売って戦争費を集めるために利用されたのです。ですから彼らにとってこの戦争は個人的な影響が大きかったのです。心の葛藤さえも与え、戦いのインパクトがその人たちを変えていったということが、アメリカ側のエピソードが描くところです。
 
 日本側は守備の立場でしたが、あの島に行った兵士たちはもちろん生き残って国に帰りたいと思ったでしょう。でも最初から帰ることはできないと覚悟して行った人たちです。私は彼らの気持ちや死を覚悟するとはどのようなことか共感できず、出来る限り日本兵の気持ちになろうと一生懸命自分で勉強し、共感できるように持っていきました。2005年4月に硫黄島へ行ったとき、島を歩いて本当感動しました。多くの母親があの戦争で息子を失ったのです。それは日本側もアメリカ側も同じです。ですからこの映画はどちらが勝った負けたの映画ではないのです。戦争というものが、特に若い人たちの人生を中断させ、あるいは人生を失わせて、どういう効果・結果を及ぼしたかを描くことが日本側のポイントです。 


死傷者2万8千人を出す硫黄島戦にアメリカでは衝撃を受け、空襲を中心とする「味方に犠牲を出さない戦争」へと傾斜を深めていったようで・・・・
日本にはより過酷な代償を払わされる契機ともなった硫黄島戦だったようです。

それにしても、当時のアメリカ人の感覚が現代とさほど変わらないのが興味深いですね。
戦中も戦後も変わらない生活を続けたアメリカ社会の強大さと、価値観を変えることもなく、現代まで戦争を続ける異常さが気になった次第です。

ところで、この映画で多数の上陸用舟艇、実物の戦闘機(コルセアなど)が登場してくるが・・・ものすごい迫力です。
アメリカ映画が求めるリアリズムには、いつもながらその物量に圧倒されるが・・・
このあたりは日本映画が不得意とするところでしょうね。

「父親たちの星条旗(FLAGS OF OUR FATHERS)」
製作報告記者会見レポート
「散るぞ悲しき」
最新クリーストウッド、Flags of Our Fathers


<フラガール良かった!>
「じゃ 踊ってみて」と促されて、ハワイヤンミュージックに合わせて炭坑節の振りが出てくるとは・・・・
笑ってしまうが、前途多難さが思いやられます。

フラガール

映画が始まってすぐに涙が出てきて・・・乾く間もなく、また出てきて・・・
早い話が・・・泣きっぱなしになってしまった。
「親にも隠れて、ストリップもやむなし」と悲壮な覚悟で応募した炭鉱町の娘達のお話なので・・・・
題材そのものが涙無しには語れないものなんでしょう。

それから、「どんなに辛いときでも笑顔を絶やさないのがプロだ」と、炭鉱町の娘達を稼ぐ集団にまでたたき上げた都落ちのダンサー(松雪泰子)のガッツ&ハートが良かった。

この映画のために出演者がフラとポリネシアンダンスを特訓したそうだが、松雪泰子とか蒼井優が踊りに見せるプロ根性が映画ストーリーと二重映しになって、いいですね。

この映画を見る前に、NHKの番組(トップランナー)で蒼井優が出ていて、役作りに独特のこだわりをみせるところが、記憶に残っているが・・・大女優になる予感がします。
最近はCANONのCMにも出ていて、かわいいですね。(特に映画で見せた泣き笑い顔がいいですねー)

夕張市の財政破綻は「第2の閉山」と表現されているが、スパリゾートハワイヤンズ(もと常磐ハワイヤンセンター)は健在のようです。
鉱夫の娘と言えば、古くはアメリカ民謡「愛しのクレメンタイン」とか、最近の映画「スタンドアップ」とか洋の東西を問わず、社会問題のしわ寄せを受た存在でしたが・・・
ハワイヤンセンターのダンサーたちは、わりと幸せな例だったのかもしれません。

ところで、ハワイヤンズの仕事からあぶれた離職者たちは、今どうしているのでしょうね。

フラガール メイキング
フラガール公式HP
フラガールGuide Me!より
Hula Girls

このような、ど素人集団を率いて勝利する「がんばれベアーズ」風のお話は・・・やはりいいですね。
この手のガンバリズムはわりと万国共通の共感が得られるはずなので、この映画はアメリカなんかでもうけるかもしれないですね。



<ナイロビの蜂(The Constant Gardener)>
9日から続く永年勤続休暇の最終日は、くだんの2本立館に行ってきました。
久々に いい映画を観た気がします。

ヒロインの顔は良く知っているが、男優もどこかで見たと思ったが・・・
イングリッシュペイシェントに出ていたんだ。
おっと キャストのことよりも、内容のほうだ。
サスペンス、社会派、映像美の映画なのか?・・・・
やはり公式HPにもあるようにラブストーリーなんでしょうね。

ナイロビの蜂

始まってすぐ、愛妻テッサが殺されてしまうというサスペンス仕立てになっているが・・・・
覚悟に満ちた愛だけが、巨悪に立ち向かう武器だと教えてくれる。(公式HPより)

ラストシーンがいいですね。
巨悪に対して致命的なダメージを与えたうえで、避けることのできない死を従容として受け入れる夫の態度には・・・・
サムライスピリットにも似たジェントルマンシップが覗えます。
そして、穏やかな夫をかくも激しい行動に導いたのは、無き妻への愛だったのでしょう。

原作がいいのか?監督がいいのか?キャストがいいのか?脚本がいいのか?
残念ながら、こういう映画は日本では出来ないだろうなー。

明日から 定年到達日までは仕事が残っているし・・・
仕事だ、仕事!
感想のほうは 落着いたら追記することにしよう。

そういちさんのナイロビの蜂

KUMA0504さんの感想がいいですね。
それに第7官界彷徨さんの感想も。




<スタンドアップ>
先週の日曜に久々にくだんの二本立映画館に行ってきました。

女性監督の描くフェミニズムの映画とは、男としてはあまり食指のわかないたぐいの映画かもしれなかったが・・・・
そこが二本立映画館のいいところで、「ロードオブウォー」のB面のつもりで見たが、B面のほうが良かったのだ。(よくあることですね)

スタンドアップ
目のまわりに殴られた隈をつけて帰ったのでは、学生時代に美人でならしたヒロインも形無しである。
暴力亭主から逃れるアバズレ娘の里帰りは、鉱夫の親父にしては歓迎できないようで、最初は愛想無しであったが・・・・

二人の子を養うため、父親と同じ鉱山の会社でヒロインは鉱夫として働き始めた。
暴力的なセクハラにも、待遇改善の提訴をチクリとしか見ない同僚のバッシングにも耐える娘を母親だけは終始理解していたが、父親との不一致から、とうとう母親は離婚覚悟で家を出てしまった。

会社から首の宣告を受けたあと、組合集会の演台でブーイングのなかでつまりながら発言する娘を見て・・・・・
親父は演台に登った。
「たとえ、ひとりであっても娘を守るのが父親ではないか」という親父の発言には、さすがの荒くれ鉱夫達も、待遇改善の同意を示してひとり、またひとりと起立しはじめた。
こういう草の根規範とでも言うものが・・・いいですね。

バッシングに抗う勇気ということでは、この映画は女の問題ではなく人間の問題を描いているのかも知れないですね。
ということで、近日公開の映画バッシングが気になるところです。

ところで、この映画のもとの題はNORTH COUNTRY となっているが・・・・
荒涼とした自然、全てのサイズが日本より1ランク大きいような鉱山設備、アイスホッケーとディスコで仕事の憂さを晴らす鉱夫の映画にマッチした題名となっていると思うのですが。

<リンク>
「ボクの映画渡世帖 小林政広」
小林監督インタビュー
スタンドアップ
ロードオブウォー
観るべき価値のある、本物の映画




<イノセンス> 工事中です。

押井守監督作品の深奥をただよう偏執的メカ愛好癖
人間は何故、自分の似姿を造ろうとするのか。
漢字のある構図・・・・

イノセンス


「イノセンス」都市の情景展押井守監修のもと、Production I.Gのアニメーション、種田陽平氏のアートワーク、樋上晴彦氏の写真、そして森ビルの都市模型が一堂に会し、決してそう遠くない近未来をご案内します。


「人間は何故自分の似姿を造りたがるのか」・・・。現代を生きるすべての人たちに問う衝撃の問題作、押井守監督の『イノセンス』。その『イノセンス』の世界観を表現する壮大な美術背景-チャイニーズ・ゴシック様式と監督が命名-をバックに、押井守作品ではお馴染みの川井憲次の音楽とジャズボーカリスト伊藤君子の歌を収録した文字どおり豪華なミュージッククリップです。特に、伊藤君子の歌う映画主題歌「FOLLOW ME」、挿入歌「RIVER OF CRYSTALS」は、主人公バトーの心情とともに情景にとけこむ珠玉のナンバーです。


押井監督はタルコフスキーがお好きだったんですね
イノセンス公式HP
WEBアニメスタイル
「プロダクションI.G」の社長として、石川光久が『イノセンス』に込めた思い
アンドレイ・タルコフスキー映画祭




<パッチギ>
年を取って涙腺が緩くなったのか・・・・・
朝高のブラスバンドが部活の練習で「イムジン河」を奏でるとき・・・そして、朝鮮人の園遊会に飛び入り参加した康介がキョンジャのフルート伴奏で「イムジン河」を歌うシーンで、不覚にも涙が流れた。
もっとも、これは70年代にフォークルを聴いた者の懐旧の思いが成せるのかも知れないが、かって歌っていた歌というものはこんなにも魂をゆさぶるものなんですね。

民族を超えた恋といえば大げさですが、番長の妹とわかってもキョンジャをめがけてアタックをやめない康介のちょっと滑稽で一途な無鉄砲さがいいですね。
この作品を手がけた井筒監督、そして製作スタッフの一途な馬鹿さ(若さ)が伝わってくるようで、これこそ青春映画なんでしょう。

この映画でもキョンジャの兄、つまり朝高の番長が北朝鮮への帰還を希望しているシーンが見られたが、当時の日本人も在日朝鮮人も北朝鮮のプロパガンダにまったく騙されていたことを思いだします。
そういえば吉永小百合の清純なイメージしか思い浮かばない「キューポラのある町」にも同じようなシーンがあったようです。

1959年から84年まで北朝鮮帰還運動で、約10万人の在日朝鮮人が海を渡ったそうですが、プロパガンダにはまったにしろ・・・・このときの容共イデオロギーの愚かしさは何だったんでしょうね。

私の場合も「千里馬」?というドキュメンタリー映画(プロパガンダ映画というべきか)を観た記憶があります。
今では内容までは覚えていないが、私の目にも北朝鮮での希望に満ちた国家建設と映ったわけですが・・・・
プロパガンダ、情報操作の恐ろしさを今になって実感しています。

ところで、ワールドカップのあったつい最近(1年前?)の朝鮮関係の図式と言えば日韓vs北朝鮮であったのに・・・・
現在では様変わりして、ナショナリズムに抗しきれない政治家同士のミスリードもあり、南北朝鮮vs日本という図式も生まれているそうです。
北朝鮮の核に対して、韓国ではその危険性より、民族の核という意識が芽生えていると聞いたが、これは恐ろしい悪夢を見るような変化です。

一言居士の小泉さんが隣国民の心情を逆撫でする発言を止めないことも、韓国でのナショナリズムを煽っているようですが・・・・
この映画のように、ナショナリズムを超えた庶民の交流が続くことを望むし
だいです。

パッチギの公式HPから「イムジン河」を紹介します。
日本では1968年に松山猛の訳詞でザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)が発売を予定してシングル盤13万枚がプレスされたが、レコード会社が直前に発売中止を決定した。関係者全員が朝鮮民謡だと思っていたために作者名の明示がないのと日本語詞が忠実でないなどの抗議を受け、政治的な配慮をしたためだ。ラジオやテレビも自主規制をしてこの曲が放送される事はほとんどなかったが、その後もコンサートではフォークルはもちろん多くの歌手に歌い継がれてきた。


どこに政治的な配慮を必要としたんでしょうね。情けない自主規制だったようです。
井筒監督インタビュー
二木さんのイムジン河
朝鮮日報のパッチギ
チョンリマ

「パッチギ!」対談篇 ・・・・・・ 朝日選書
在日朝鮮人として京都に生まれ、70年代の朝鮮高校で喧嘩と映画に明け暮れた映画プロデューサーの李鳳宇。60年代末の東京教育大学附属駒場高校で高校闘争に参加し、サブカルチャーに熱中した批評家の四方田犬彦。国籍も生き方も違う二人が、1998年、青春時代を、映画を、家族を、韓国を、赤裸々に語りあった。そして2005年。二人は再び、思いをぶつけあう。二人が青春時代に見たものとは?日本で韓国映画をいち早く紹介してきた二人が「韓流ブーム」の先に見るものとは?「パッチギ!」とは喧嘩用語「頭突き」をあらわす朝鮮語で、語源は「乗り越える」「突き破る」という意味。朝鮮高校生の青春を描いた映画『パッチギ!』は、本書収録の98年の対談から生まれた。



<隠し剣鬼の爪> 工事中です。
山田洋二監督の時代劇2作目であるが、やはり監督は時代劇を借りて現代の日本に対するメッセージを発している。
と硬い感想から始めてしまったが・・・・・
監督の優しさと怒りが充分に解る作品であり、前作よりくだけた面白さもあり、ほろりとさせてときに笑わせるという筋立てに映画の職人ここにありという感じがします。

多分サムライとはこんなだったのではないだろうか?
前作でもスーパーリアリズムで明治維新前の日本を描いていたが、この映画でも新式銃を与えられ西洋式教練に励むサムライが面白くそしてリアルに描かれていて、サムライのイメージが山田監督によってほぼ固定されたような気がします。

片桐宗蔵は出世したいという野心を抱くこともない欲のない人間です。
現代であればリストラの対象になりかねない、危ういというかどちらかというと負け組に近い心根の持ち主が(階級を越えた愛により)農家出のきえと結ばれて終わるのが良かった。
ふたりは当時の蝦夷(北海道)に新天地を求め



<誰も知らない>
正月休みなので、見逃した旧作をレンタルビデオで観たしだいです。

羽田に向かうモノレールに変わり果てた妹を詰めたスーツケースを乗せて運ぶ明(柳楽優弥)と紗希という冒頭のシーンは・・・・・
飛行機を見せるという妹との約束を、その死後に果たすためでした。

誰も知らない
闇に隠れて空港のフェンスのきわに妹を葬る彼らは、それが死体遺棄罪とか?なんらかの罪になることが分かっている。
だが、おとな社会からなんの恩恵を受けずに暮らした彼らは、おとなの規範から少し外れても許されるのでは?・・・・・
この映画を終わりちかくまで観た我々には、この異常な行為が罪ではないことが理解できる。

ある朝 母は消えていて、代わりに20万円の現金と明に宛てたメモが残されています。
母親が出て行ったあと、しばらくして電気と水道が止められてしまいます。
公園の水道からバケツで水を運んだり、コンビニの裏で店員から期限切れ食品を貰ったり・・・・
少ない金で暮らす彼ら4人の子供の生活は少しづつ苦しくなってゆきます。

妹が無邪気に絵を描く紙は、よく見ると供給停止のちらしのウラというシーンがさりげないけど怖いです。
生活費の無心に、別れた二人の父親を訪ねてタクシー会社、パチンコ店と巡るが、その父親からははした金しか貰えません。

社会や類縁にさえも頼れないとわかっていて、何とか自分の力で暮らそうとする明には・・・・・
絶望にも負けない強さと、優しさがあふれています。

この歳で誰にも頼れないということを経験的に知っていることが、何とも悲しいですね。
明にははっきり説明できないが、おとな社会に対する憤りもどこかに宿っているんでしょう。

異常なストーリーをドキュメンタリーの様に淡々と描くこの映画からは、如何様にも感想、批評が生まれるだろう。
この映画は弱者に対する冷たい仕打ちを声高に表現しないが・・・・・
社会のゆがみを、深い底から糾弾しているのかも知れないですね。

この映画に似た映画と言えば、私の場合は「禁じられた遊び」になるのかな?
それとも、ラストが似てなくもない「真夜中のカウボーイ」かも?

子供たちの演技が外国人にも感動を与え、柳楽優弥が主演男優賞を得たということは・・・
アンデルセンの童話のように、この映画には人種を問わずに人に語りかけるものが有るんでしょうね。

公式HP
是枝 裕和プロフィール
是枝監督がこう言っています。
僕はフィクションというジャンルであっても、映画では極力、心理描写を避けるようにしています。それが現段階でどれほど成功しているか、心許ないところですが、フィクションをドキュメンタリーのように撮るのだというのが僕の演出上のコンセプトでした。それが人の行為<アクション>を描くという映画の独自性<オリジナリティ>を自分なりに模索していくための、はじめの一歩だと考えたからです。




<ラストサムライ 見たよ!>
昨日 大阪出張の仕事を早めにきりあげ『ラストサムライ』を見てきました。
これぞサムライスピリット!という映画でしたね。
武士道となると、重くなり私はちょっと引いてしまうが、この映画が描いたサムライスピリットは素晴らしいものでした。

ブッシュはキリスト教によりアル中を克服したが、オルグレン大尉(トムクルーズ)は異国の地で、武士道に逢うことによりアル中を克服することになる。
(ちょっと無理な対比だったかな?)
また オルグレン大尉の酒浸りはベトナム帰還兵の心の闇とも似ていて、この作品はある意味今日的なテーマかもしれない。

南北戦争で名をはせたオルグレン大尉であるが、インディアン討伐戦で失望し、今ではドサまわりの見世物として暮らしていた・・・・
インディアン殺戮光景のトラウマに悩まされ酒浸りとなったオルグレン大尉にとって 高給での日本行きは渡りに船だった。
殺戮光景のフラッシュバックは劇中に何度も出てくるが、これが
大尉のエキセントリックな選択の理由を暗示しているのかも知れない。
(彼の絶望感、贖罪感の説明抜きには、負けると決まった賊軍に荷担する理由が判らないではないか)
異国の地で同じ魂を見い出した彼は、信念に殉じようとする彼らラストサムライと共に戦うことを決意する・・・・

しかし まーこの映画は、湊川合戦に赴く楠正成ばりのヒロイックな負け戦を描いているが・・・・
『馬手に血刀、弓手に手綱、馬上ゆたかに・・・』そう 田原坂として歌われた西南戦争の美学が描かれているようにも思うが・・・・

このてのヒロイズムは日本だけでなく、洋の東西の共感を呼ぶ普遍性があるのかなあー!との感慨を覚えます。
勘違いして欲しくないのは、明治維新を舞台に“アメリカ人監督”が滅びの美学を描いたことだろう。
(右翼の青年など泣いて喜ぶかもしれない)

維新時の横浜とか、勝元(渡辺謙)の住む村落とか日本人監督の映画を見ているように違和感のないリアリズムが随所にみられるが、これらのシーンにかけた時間と金とスタッフの努力が彷彿とさせられます。

日本の俳優が、手間と物量を注ぎ込むハリウッドの映画作りに驚いたようであるが・・・
何と言っても、月にアポロを送り込んだシス



<白蛇伝>
子供のとき観た「白蛇伝」は、ストーリーまでは覚えていないが、ヒロイン(名前?)の美しさにはかなり強くゆさぶられたように思います。
ウィキペディアの白蛇伝によれば、中国の民話を題材にした異類婚姻譚となっていて、この種のお話は世界各地にあるようですね。
日本では、よく知られた鶴女房があります。

この映画は日本初のカラー長編アニメ映画だったようですが、初にしてはかなりよくできた、突然変異的名作ではないかと私は評価しているのです。
長編アニメ映画といえば、デズニーの白雪姫(世界初の長編アニメ映画)などが完成度が高いかもしれないが、ストーリーの面白さ、ヒロインの美しさでは白蛇伝が上ではないだろうか。
売れる映画を作るのは命題ではあるが、制作に2年を費やしたスタッフの意欲はそれ以上ではなかったかと思います。
(ちなみに、日本初の本格的長編アニメ映画は昭和20年の国策映画「桃太郎・海の神兵」であり、幼き日の手塚治に大きな感動を与えたそうです。)

白蛇伝

画像からも、その妖艶な美しさが見てとれるが・・・・
こういう女性であれば素性が白蛇でも鶴でも、いっこうにかまわないのだ!
子供といっても妖艶な美しさにはまいってしまうのだから・・・・手を抜いてはいけない!そして、ばかにしてはいけない!(笑)

アニメであれば・・・・優しくて貞淑で妖艶で強いという理想の女を描くことができるのがいいですね。


「白蛇伝」との出会い叶精二さんの解説より
 宮崎氏は、中学生頃から学習院大学経済学部在学中まで、ずっと漫画(劇画)家志望であった。高校時代までは、社会に対する不信感や両親からの自立願望から本音や不満を劇画にぶつけて消化していたと言う。要するに、現在の主流「アニメ」と同様に、自分のネガティブな表現欲求に正直な作品を描き続けていたわけだ。
 大学在学中は、漫画研究会がなかったため、児童文学研究会に所属。幾つかの人形劇などを企画しつつ、大長編漫画を描き続けていた。
 ところが、卒業後の進路について悩んだ末に、漫画家を断念し、アニメーションの道を志すことになる。それは、原稿を持ち込んだ出版各社で不採用を宣告されたことで漫画家として生計を立てる自信がなくなっていたこともあるが、基本的には以下のような決意に基づいていた。

「劇画の世界と、東映の長篇アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんですね。」
「劇画はこどものためのものじゃないと思ったから、そうじゃない(こどもたちのためのものとしての)世界として、アニメーションにすごく魅力があったんです。」(「THIS IS ANIMATION 1」小学館/1982年)

 後の氏の人生を見れば、これは人生最大の選択の一つであったろう。「子供たちのために創作したい。それには漫画ではなく、アニメーションをやるべきだ。」この決意の端緒となった体験、それは東映動画の「白蛇伝」であった。
 大学受験期の真っ最中、鬱屈とした日々を過ごしていた17歳の宮崎青年は、恋する青年と結ばれるために生死を顧みずに行動する白蛇の精・白娘(パイニャン)と銀幕で出会った。躍動するヒロインの姿に、宮崎青年は恋こがれ、我を忘れて涙していた。それは、紙に印刷されたコマ画にじっと見入り、自由な想像で膨らませて楽しむ劇画・漫画とは全く違った生々しい感動であったろう。
 基より、アニメーションは複雑な筋書きを語るメディアとして発生したわけではなく、動き(アニメート)自体の面白さの連続によって成立していた。当時の東映動画には、「くもとちゅうりっぷ」(1943年)の政岡憲三氏に代表されるような、リアリズムに根ざしつつ、素朴で心和むフルアニメーションの伝統芸が息づいていた。藪下氏と共に短編「こねこのらくがき」(1957年)を制作した森康二氏の画風・作風は、その直系と言ってよかった。もう一方の雄である大工原章氏が中心となって描かれた白娘のアニメートにも、動き(演技)によって動機や心情を表現する要素が多々盛り込まれていた。宮崎青年を魅了したのも、物語の進行でなくヒロインの存在感であった。氏は当時を以下のように述懐している。

「『白蛇伝』との出会いは強烈な衝撃を残していった。
 マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に、本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。
 それ以来、ぼくは真面目に何をつくるべきか考えるようになったらしい。少なくとも本心で作らなければダメだと、思うようになっていた。」
(「日本映画の現在」岩波書店 1988年)

 しかし、「白蛇伝」には幾多の不満も抱いた。主要キャラクター以外の描写がおざなりで、作品の世界観が実に不徹底であったのだ。このことは、「自分ならこういうアニメーションを作る!」という創作意欲に火をつけることになった。
 以降、宮崎氏は「・劇画・が描けなくなった」と語っている。それまでどっぷりと浸っていたニヒリズムや個人的情念の世界と手を切り、明るさや健全さを込めた物語や人物描写を模索して、改めて・漫画・に取り組んだ。人物よりも建物や周辺設定といった世界観の構築に興味が向くようになったとも言う。

「『白蛇伝』を見て、目からウロコが落ちたように、子どものすなおな、大らかなものを描いていくべきだと思ったわけなんです。しかし、親というものは、子どもの純粋さ、大らかさをややもすれば踏みにじることがあるんですね。そこで、子どもに向かって『おまえら、親に食い殺されるな』というような作品を世に送り出したいと考えたのです。」
「そういう出発点が、20年間たった現在でも継続されているわけです。」
(「自分の原点」アニメーション研究会連合主催講演 1982年)


 これは約20年前に当時の心情を語った発言だが、まるで「千と千尋の神隠し」の冒頭部について語ったような内容であり、その一貫性には驚かされる。
 ともあれ、宮崎氏は子供たちを対象に据え、健全さを求めて4年間の大学生活で漫画と格闘した。しかし、それは返ってアニメーションへの憧れをかき立てる過程でもあったようだ。



日本漫画映画の全貌に初期のアニメの作品が出ています。



<たそがれ清兵衛>
地方の幕末の下級武士の生活と、その息吹がドキュメンタリー映画のように描かれている。

封切り時に見逃していた「たそがれ清兵衛」を昨日 見てきた。
サムライとは何か?という問いに答えるリアリズムの極致ともいえる作品だと思う。

そのリアリズムにより 現在より連続的に繋がる過去の日本人を見たような気がするし、自分が過去にタイムスリップしたら 周りの景色はさもありなんと思えるほどである。
スーパーリアリズムの作品だから手抜き無し!なので注意して見れば驚嘆する拘りが、随所に見られる。
(・屋内の斬合いで 余吾が瞬間 梁との間合いをチェックする上目使い ・目釘を外し小太刀を分解し研ぐシーンなどがあった)
時代劇にしろ、SFにしろ、スーパーリアリズムであれば それだけで感激する私です。
  
時代を読む目を持ちながら出世よりも家族を大切に思う清兵衛が、貧乏クジのような 時代錯誤的な藩命を受け、それを成し遂げるのが凄いところだ。
幕末では、サムライにとってそんなに意味を持たない剣術の素養がある清兵衛だが、現在であれば、国体の剣道で上位クラスの達人だろう。
下級サラリーマンだが、特技が全日本クラスというところが凡人と違うところか。

たそがれ清兵衛

かわいい2人の娘
朋江は綺麗
雪の月山
父を評価する娘の回想

・・・・・良かった。

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<戦場のピアニスト>
昨日は休みを取って、遅ればせながらアカデミー賞受賞の「戦場のピアニスト」を見に行った。

主人公は被占領国の被差別民族の芸術家という劇的な設定ではあるが(実話自体が劇的)、民間人の遭遇した戦争がありのままに描かれていた。
また ワルシャワ蜂起の場面ではポーランド人の悲壮な抵抗が遠景で描かれているので TVで放映されるイラクの市街戦と重なり、戦争の無慈悲な一面がより リアルに感じられた。
ワルシャワを見殺しにしたソビエトの冷酷さと、ポーランド人の抵抗をもっと描きたいところだが、ポーランド人の監督はグッと押さえて話は続く。

この映画は史実に基づいているが、敵味方の双方にいる良い奴、いやな奴が淡々と描かれている。そこに衰弱したシュピルマンが2年ぶりに弾くショパンが流れるので、こらえていても涙がつたう。

シュピルマン役のエイドリアン・ブロディは監督ポランスキーを評して「彼が思うに、役者が演技をしてないと思われるのが、最高な状態であるごとく、監督が仕事をしていないように感じられるのが最も良い。この作品のポランスキーはまさにそんなふうだった。」と言っている。
それでもエイドリアン・ブロディは10kg減量し、ピアノの猛特訓をこなして役作りしたそうだ。
 また この映画に登場する1200人の老若男女のエキストラは、実に監督の意を体現していたが 誰もお金の為にやったわけではないそうだ。

ところで ユダヤ人が 今パレスチナで行っていることは 過ってナチスが行ったことに似ているが、皮肉な類似と言うものだ。

長谷川二郎さんのワルシャワ蜂起の事情より紹介します。
「蜂起」終結の翌年1月17日、ソ連赤軍がワルシャワ市内に入城した際、戦争が開始された時点で、128万人を数えた市民の内、生きていた住民は誰もいなく、即ち、無人で、廃墟(戦前の建物の93%が完全に破壊されていた)になった町であったと言われています。 デイヴィスは、この破壊のひどさははレニングラード、広島、ドレズデンに比べて更に悪かったと書いています。

戦場のピアニスト

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viafmさんの解説
ワルシャワ蜂起
イエジキ部隊
「戦場のピアニスト」はユダヤ人なのだろうか? ポーランド人なのだろうか?




<ダンス・ウィズ・ウルブス>
ケビンコスナー初の監督作品が主演、監督、製作の「ダンス・ウィズ・ウルブス」であるが、役柄のダンバー中尉と共にケビンコスナーその人にほれぼれしてしまう。

3時間もの長い映画であるが、ダンバー中尉が如何にして白人社会からネイチブアメリカン側に身を投じたかを描くには、そしてコスナーの思いを伝えるには このゆったりした時間が必要なのかもしれない。

インディアンを描いた映画は数あるが、「ダンス・ウィズ・ウルブス」はインディアンの立場に立った初めての映画だそうだ。
映画の3分の1がスー族の部族語(ラコタ語)であることも、リアリティの追求とともに、インディアンに対する監督の敬意が感じられる。

現在も 居留地に暮らすインディアンは世界一豊かな国で、一番貧しい。
ラコタ語も久しく禁止され、話せる人は少ないらしい。
(薄情な日本人もアイヌ民族にここまで冷たくはない)
インディアンたちは、この映画で威厳を持った過去のインディアンを見て泣いたという。
ちなみに“ダンス・ウィズ・ウルブス”はダンバー中尉のインディアン名であり、恋人役の女性には“拳を握って立つ女”という素晴らしい名がつけられている。

変人とも思われるダンバー中尉が、映画の中で愛してやまないものは、歴史の中でアメリカが失ったものばかりである。
この映画はアメリカが失ったものへの愛惜、憧れが描かれているのかもしれない。

バッファローの大群の疾走、野生オオカミ、紅葉する木々の美しさ、はだか馬で疾走するインディアンなど・・・
解説者の川本さんがいみじくも言った“エコロジーウェスタン”であり、過って自然をこれまで美しく描いた西部劇は無かったように思う。

自分の望むものを造るためには製作、監督まで努め、はだか馬に両手を離して乗る訓練も厭わないコスナーには素晴らしい拘りがある。
また スペクタクルでありながら人間のデリケートさも描いた映画としては「アラビアのロレンス」と双璧でないかとも思う。

コスナーが演じる映画に共通するのは、彼の演じる人物すべてが、本人像を反映しているらしいことである。
優しく、鋭い感性を持つコスナーにはアメリカ人の素晴らしさが凝縮しているように思うが・・・・

片や原理主義的なブッシュも存在するのがいかにも多様なアメリカらしい。

ダンバーダンバー中尉(ダンスウィズウルブス)




<撃墜王アフリカの星>
これは、ある女性のお好み映画であるが、私の好みとかなりかぶっていて驚きました。

『鬼火』『ルシアンの青春』『とどめの一発』
『マリア・ブラウンの結婚』『鉛の時代』『パリ・テキサス』
『バクダッド・カフェ』『愛する時と死する時』『橋』
『Uボート』『撃墜王アフリカの星』『スターリングラード(ドイツ映画)』

特に『バクダッド・カフェ』、『橋』、『撃墜王アフリカの星』というかなり偏執的?な、みっつの組合せがかぶるのは確率的にありえないと思うが、有ったんですね。

ということで・・・・
『あなたは、前世で私と繋がりがあるのでは?・・・』に近いような書き込みをした覚えがあるが・・・なしの礫でした(笑)

この3本ともドイツ人監督の映画であるから、ドイツ好みといえば理由のひとつになるのかも知れないが・・・・
それにしても世の中には同類がいるものである。

アフリカの星

『橋』も『撃墜王アフリカの星』も映画館で見た古くからの戦争映画オタク?の私としても、『撃墜王アフリカの星』は名画だと評価しているのです。

砂漠に墜落したメッサーシュミットの残骸のシーンでも、テーマミュージックの「アフリカの星のボレロ」が流れるが・・・・
これがいいんだなー。
哀愁を含んだ軽いこの曲が流れるモノクロのシーンは・・・・
ハードボイルドな映像詩とでもいうんでしょうね。

ところで、エル・アラメインとか、トブルクとか、北アフリカの地名には、砂漠の激戦地を連想するが・・・・・
イラク戦争などと違い、軍人だけで消耗戦を戦ったことで、どこか救われる?気がして・・・
行ったことがないのに、これらの地名にはノスタルジーを覚えるんですよ。

「エル・アラメインの戦い」ウィキペディアより
DER STERN VON AFRIKA撃墜王アフリカの星
Uボート
Muss i denn
ドイツ映画といえば・・・
4月公開の「ドレスデン、運命の日」を観にいこうかな と思っています。


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