暇になれば、あいかわらず蔵書録つくりに励んでおります。(暇なこっちゃで)
<フランス関連の本>
若かりし頃、集中的にフランス語に取り組んだ大使であるが・・・・
傲慢なアメリカにどこかしら反発していたんでしょうね。その反米スタンスは今も続いております。
・出世をしない秘訣(1960年)
・L'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege(1963年)
・Le Petit Prince(1968年)
・LAROUSSE analogique(1971年)
・Le Francais Commercial Manuel(1971年)
・おしゃべりフランス料理考(1975年)
・フランス三昧(2002年)
・
フランスあれこれ
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【出世をしない秘訣】

ジャン・ポール・ラクロワ著、理論社、1960年刊
<「BOOK」データベースより>
ニヤリ、クスッ、ムフフ、なるほど納得。フランスのエスプリと毒。文字で書かれた漫画本。
<大使寸評>
Amazonでもこの本(旧版)はヒットしないと思ったが、古書ジャンルで扱っていた。なお、表紙、内容データは新版のものを使用。
Amazon出世をしない秘訣
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【L'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege】

Marabout社、1963年刊
<裏表紙説明>より
En 500 photos et 100 000 mots, cet ouvrage uni-que en son genre nous presente la -guerre 1940/45 comme une experience humaine complete, tant a l'echelle des nations que des individus. Chacun des quatre volumes forme un tout, mais, ensemble, ils tentent une exploration en profondeur de l'epoque contemporaine. L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale donne une vision immediate et saisissante des divers aspects de la plus complexe, la plus tragique et la plus heroique epopee que l'humanite ait enduree.
Ce deuxieme tome de l'histoire vecue de la seconde guerre mondiale s'ouvre sur la resistance acharnee de la Grande-Bretagne contre les as-sauts de la machine de guerre nazie. II se pour-suit par les hostilites dans l'Atlantique Nord et la Mediterranee, l'invasion des Balkans et de la Grece, le combat-poursuite dans les deserts d'Afrique, l'attaque-suicide de l'Allemagne contre la Russie et l'inhumaine cruaute des batailles d'hiver. Pearl Harbour et la suite des victoires japonaises en Extreme-Orient terminent le volume.
<大使寸評>
第2次世界大戦シリーズで日本にも言及しているので、軍事オタクにとって見過ごせない本である。
フランスの書籍ECは古書に関しても、いけてるやん♪
bibliopocheL'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege
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【Le Petit Prince】

Antoine De Saint-Exupery著、HEINEMANN EDUCATIONAL、1968年刊
<「BOOK」データベースより>
ふるさとの星を出発した星の王子さまは、命令好きの王さまの星や、うぬぼれ男の星などを旅します。最後に地球にやってきて、サハラ砂漠で飛行機を修理中のパイロットに出会います。心をとらえて離さない不思議な物語。
<大使寸評>
私が買ったのはHEINEMANN EDUCATIONAL社(英国)のハードカバーであるが、さすがにこの本はアマゾンで出なかったので、アマゾンのMariner Books社の情報を載せました。
AmazonLe Petit Prince
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【LAROUSSE analogique】

仏仏辞典、LAROUSSE社、1971年刊
<大使寸評>
Amazonでは1971年版は見つからないので、2007年版データを載せました。
お気に入りの仏仏辞典であるが、有効活用できているとは思えません(汗)
AmazonLAROUSSE analogique
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【Le Francais Commercial Manuel】

Mauger×Charon著、LAROUSSE社、1971年刊
<大使寸評>
商業仏語にトライしかけたが、途中で挫折しております。
この本については、アマゾンに出ているので、息の長い本なんでしょう。
AmazonLe Francais Commercial Manuel
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【おしゃべりフランス料理考】

なだ いなだ著、平凡社、1975年刊
<内容説明>より
アマゾンでは古書扱いとなるので、内容説明がないのです。
<大使寸評>
フランス滞在中は赤貧洗うがごとき生活であり、学食とかセルフの料理しか食べることがなかったので、憧れを持って読んだ本です。
Amazonおしゃべりフランス料理考
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【フランス三昧】

篠沢秀夫著、中央公論新社、2002年刊
<「BOOK」データベース>より
日本人がもてはやす、きらびやかな「おフランス」は、はたして真実の姿でしょうか。世に満ちる誤解の表層土をかき分けて、フランスという国の真の姿をお目にかけます。「フランスと日本は似ている」という驚くべき発見。フランスにとりわけ関心がない人も、フランス語を習ったことがない方も、上っ面なガイドブックを飛び越えて、一気に真相へ。気っ風のいい篠沢節が冴える、教授流フランス学の“実に愉快”な集大成。
<大使寸評>
この本も蔵書録に入れておかないと、図書館で借りたり、二度買ったりしそうな本ではある。
Amazonフランス三昧
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なお蔵書録全貌については
蔵書録作成中5に入れておきます。
暇になれば、あいかわらず蔵書録つくりに励んでおります。(暇なこっちゃで)
<食料、料理関連の本>
蔵書録のテーマに食料、料理関連を追加するものとします。
人生の楽しみのひとつに、食う飲むがあるわけで、テーマを立てるしかないですね♪
・あやしい探検隊焚火発見伝(1998年)
・もの食う人びと(1997年)
・野生の呼び声(1984年)
・おしゃべりフランス料理考(1975年)
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【あやしい探検隊焚火発見伝】

椎名誠著、小学館、1998年刊
<「BOOK」データベース>より
タヌキ汁はなぜうまいのか?猪肉はなぜ牡丹というのか?タケノコの地獄焼きとは何か?古くからなじみの食材をめぐっておなじみの焚火集団が大研究、大満足、大激論!!ご存じ椎名隊長率いる“あやしい探検隊”その料理長リン(林政明)さんとともに北は北海道から南は沖縄、果ては海外雄飛モンゴルまで土地土地の食材、焚火料理を求めて東奔西走南船北馬。タヌキ、巨大アンコウ、モンゴル羊、地ジャガ、タケノコ、アブラアゲ、猪、ニンジン、バカ貝と喰いに喰ったりあの味この味。リンさんの料理実践記、喰えばわかった座談会と、面白くてためになるとは本書のことだ。
<大使寸評>
椎名隊長の焚火に対する思い入れとか、「何でも食べてやろう」とする好奇心がいいですね♪
Amazonあやしい探検隊焚火発見伝
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【もの食う人びと】

辺見庸著、角川書店、1997年刊
<出版社からの内容紹介>より
人は今、何をどう食べ、どれほど食えないのか。人々の苛烈な「食」への交わりを訴えた連載時から大反響を呼んだ劇的なルポルタージュ。文庫化に際し、新たに書き下ろし独白とカラー写真を収録。
<大使寸評>
なかなか哲学的な本である。
Amazonもの食う人びと
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【野生の呼び声】

開高健×C.W.ニコル著、集英社、1984年刊
<カスタマーレビュー>より
日本を代表するナチュラリスト作家の対談集。
立木義浩の美しい写真が入っているので、それだけでも楽しめるが
しかしこの二人は良く食べるし、良く飲む。
対談というより晩餐の談話という感じてこちらも呼ばれているような気分になる。
<大使寸評>
この対談集のテーマは野生もさることながら、食うこと飲むことも、なかなかやでぇ♪
Amazon野生の呼び声
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【おしゃべりフランス料理考】

なだ いなだ著、平凡社、1975年刊
<内容説明>より
アマゾンでは古書扱いとなるので、内容説明がないのです。
<大使寸評>
フランス滞在中は赤貧洗うがごとき生活であり、学食とかセルフの料理しか食べることがなかったので、憧れを持って読んだ本です。
Amazonおしゃべりフランス料理考
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なお蔵書録全貌については
蔵書録作成中5に入れておきます。
申込みが遅れたので、泊まりは1駅離れた諸寄のユースホステル兼民宿であった。
2食込み5千円だから文句も言えないが、料理がいまいちだった。(やはり8千円の民宿がお奨めです)
10人の大部屋では、知らぬ同士で夜半まで酒盛りとなり、観光目当ての猛者ランナーが多いのもこのレースの特徴なんでしょうね(二日酔いの酒気をレースで抜くという意味で猛者といいます、蛇足かもしれないけど)
レース結果は2時間20分という平凡というか、むしろ嘆かわしいタイムであった。
だけど、右ヒザはレースに耐え、レース後も異常無しということで、ギリギリの調整は奏功したことになり・・・・
私を褒めてあげたい♪

早朝の諸寄漁港
ちなみに、記録詳細です。
60歳以上男子順位:110位台/164人
(ラップタイム) (1K換算)
スタートライン通過22秒
1K 6’04 6’04
2K 11’54 5’49
4K 23’48 5’57
5K 29’54 6’06
10K 63’03 6’43
15K 96’09 6’31
残3 125’36
20K 132’14 7’13
残1 133’01
ゴール 140’23 7’22
3000円のエントリー費で、無料前夜祭(酒盛り)、Tシャツ、弁当、海産物パック、温泉利用券がつくこのレースのコストパフォーマンスはもしかして、全国一なのかも♪
昨日の調整練習の結果は、微妙ですね。
今回はレースは二の次、浜坂観光がメインになるけど・・・・
予定どおり、10時発のマラソンバスに合わせて行ってきま~す。
なお、パソコンは持参しないので、しばし音信不通となります。
<調整練習は吉と出るか?>
27日の浜坂ハーフマラソンには、参加料、バス代は振込み済みだし・・・・万全でなくても、浜坂までは行くつもりである。
問題は、右ヒザ痛の復調具合である。
右ヒザ痛が続くので、レース直前まで走れない状態が2週間も続き、やっと今日25分程度の調整練習を、1か8か試みたのです。
今のところ、まあまあの感じなのだが・・・明日の痛みは賽の目しだいやで?♪
調子が良ければ、ゆっくりと景色でも見ながら走れるかも知れませんね。
思えば・・・・・腰痛のままトライアスロンに出走し、最後のランでは歩き通したこともある大使である(アホやで)
まあ 長くやっていれば、絶好調のピーク時での故障は、よくありました(笑)
11月の神戸マラソンにはエントリーしているが、2万人の抽選枠に7万5千人が応募していると今日のニュースが伝えていました。
ランネットからも次のような、勧誘メールが届いているし・・・・このマラソンブームは定着したのかも知れませんね。
<5/23RUNNETメール>より
今秋のフルマラソン エントリーするなら今!
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11月25日に開催される大阪マラソンのエントリーが締め切られ、大会の広報事務局からフルマラソンの応募者数が14万5254人との発表がありました。前回の第1回大会は15万4822人でしたから、約9500人の減少ということで、「マラソン人気に陰りが出た」と判断してしまう人もいるかもしれませんが、それは早計です。というのも、11月25日は、全国各地で大規模マラソンの開催が重なっているのです。お隣、兵庫県で開催される神戸マラソンも同日開催となるほか、関東ではつくばマラソン、富士山マラソン(旧・河口湖マラソン)が行われ、その2日前の11月23日には、福知山マラソン、大田原マラソンも行われます。
この6大会、前回の完走者数を足すと、その数7万5000人。ランナーズ編集部が集計している「全日本マラソンランキング」のデータを見ると、2004年度には、1年間で開催された49大会の完走者の実数が7万9000人でしたから、2012年はわずか3日間で、その数に匹敵するランナーが走ることになるのです。
マラソン人口の増加には改めて驚きますが、この6大会以外にも、10月から12月にかけては、全国でフルマラソンの大会が多数開催されます。注目大会の申し込みは、5月から6月に集中しますので、お目当ての大会がある方はもちろん、マラソン挑戦を検討している方は早めの決断&エントリーを!
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<ソウル、釜山の歴史>
近々、韓国旅行を計画しているので、旅行プランを立てる必要があるのです。
旅行プランも旅行の一部であり、これはこれで、けっこう楽しいものであるが・・・・
ソウル、釜山の歴史から始めるのが、大使の拘りというかピント外れ?なところなんですね(ちょっと堅かったかも)
たまたま、父の本棚で見つけた新・韓国風土記(第一巻)という本を読んでいるので、紹介します。
【新・韓国風土記(第一巻)】
(画像は第4巻)
安宇植編、読売新聞社、1989年刊
<「BOOK」データベースより>
朝鮮王朝の都として発達したソウル、海の守りの要衡釜山、収奪に耐え観光立国を実現した済州島。檀君神話の昔から「漢江の奇跡」の現代まで、ソウル、釜山、済州島が歩んだ独自の道を俯瞰する。
<大使寸評>
父の本棚で見つけたこの本もアマゾンで出ないので、古書ということだろう。
80年代のソウル、釜山を韓国人が綴った内容となっています。
webcatplus新・韓国風土記(第一巻)
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この本のエッセンスを紹介します。先ず戦時、戦後のソウルの変化を見てみましょう。
<植民地下での変化>p38~40
1910年の「日韓併合」によって、それまでの朝鮮統監府が朝鮮総督府になると、韓城府は京城府と改められることになった。そして翌1911年には、部・面制度が実施され、城内は五部に、府下は八面に分けられた。さらに1914年に実施された市域の変更に伴い、若干の面が京畿道高陽郡に移され、京城府内の一部の洞は統廃合されて「町」「通り」「丁目」などと日本風の地名に改められた。
このような市域の変更は、植民地下の朝鮮の首都を、旧城内と現在の龍山区の一部を加えた地域に限定することによって、それまで韓城府としてしっかりと根を下ろしてきた基盤をなし崩しにしながら、朝鮮半島を統治する構想から生まれたものであった。その後、1936年に永登浦と鷺梁津が新たに京城府に編入され、旧韓城府のほとんどの地域がふたたび首都に加えられた。その後も1944年に京城府はいくらか拡張されたものの、45年の日本の敗戦によって「京城」府としての歴史は幕を閉じた。
いわゆる日韓併合以前、朝鮮総督府はいち早く京城府の都市計画に着手しているが、それは道路網の整備や拡張など市街地の整備といった程度のものに終始したにすぎなかった。例えば都市計画の名のもとに1907年に実施された道路の改修作業は、城郭や城門をやみくもに取り壊し、古い歴史をもつソウルの景観を破壊するもんでしかなかった。道路の改修は、1912年から36年にかけて行われたが、京城府の本格的な都市計画といわれるものが発表されたのは30年のことで、その具体的な実施案は36年に用意された。それによれば計画の実施機関は1936年から59年までとなっており、ソウルの居住人口を70万人と想定していた。さらにまたこの案には、はじめて地域用途計画や公園、風致地区、街路網、区画整理地区などの計画も含まれた。
けれども、結果的にいえばこの実施案は、10年先の展望すらもたないものであった。最近ではかなりの道路の拡張がなされたとはいうものの、それでもまだ他の都市に比して道路比率が低いという不平が絶えない。つまり人口70万人程度の都市ならば路面電車だけで大衆交通の手段はこと足りると判断して、自動車の大衆化時代の到来までは予測できなかったのである。
(中略)
植民地時代の京城における際だった変化といえば、何と言っても朝鮮人と日本人の居住地が別々になったことと、永登浦などの下町が工業地帯になったことだろう。日本人が住みついた地域は和風あるいは西洋家屋の立ち並ぶ新興市街地と化し、また京城府のど真ん中、龍山地区には大規模な軍事基地がつくられて、武力統治の拠点が出現した。
ちなみに、このかっての日本軍基地は、いまでは韓国陸軍本部と駐韓アメリカ第八郡によって使用されている。敗戦によって日本人が引き揚げていった龍山区内の一部地域、梨泰院洞や韓南洞には、その後新興富裕層が住みつき、またいっとき「開放村」と呼ばれた龍山洞などは、北韓38度線による南北分断と朝鮮動乱が産み落とした難民たちの居住地となり、ソウルでも代表的な貧民街と化したことがある。
昔ながらの都市景観をそなえた旧城内と、日本人の新興住宅地として発展した龍山や工業地帯となった永登浦など府下地域とは、その機能や形態の面でおのおの異なる構造をもっていた。これは、ひとつには朝鮮人と日本人の居住地が分かれていたことにもよるが、それにもまして南山につくられた朝鮮神宮や、朝鮮総督府、京城府庁舎など、威圧的な建物が建てられた例に代表されるように、日本文化を朝鮮に植えつけるためであった。その結果、京城は二重の性格をもつことになった。日本文化を朝鮮に植えつけるためのこうした努力は、ミニ東京駅でもある京城駅や、ミニ東京帝国大学ともいうべき京城帝国大学の建築様式にもうかがえる。
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次に釜山の変化を見てみましょう。
<港町の宿命>p153~155
近代的な都市のほとんどがそうであるように、釜山もまた商工業都市である。しかし、国内の他の都市に比べて、製造業を中心とした第二次産業の比重が大きくなっている。他の都市がおおむね行政都市から出発し、近代化の過程で商工業都市に生まれ変わっていることからすると、釜山ははじめから商工業都市として発達してきたことが特徴といえばいえるだろう。このように、釜山がはじめから商工業都市として発達してきたのは、日本から距離的に最も近い港湾都市であったことと密接な関係がある。
釜山が近代的な商工業都市として成長するようになったのは、1876年に江華島条約(日朝修好条約)が結ばれ、維新直後の日本に対して港を開いたのがきっかけであった。当時の開港は朝鮮人の主体的な意思によるものではなく、日本から強いられた結果であった。とはいえ、開港によって通商が始まると、距離的に近く、良港を持っている釜山が重要視されたのは当然のことであった。1945年8月、朝鮮半島が植民地統治から開放されると、日本から帰国した朝鮮人の多くがここにとどまるようになった。さらに1950年6月に朝鮮動乱が勃発すると、避難民がなだれを打ってこの地に逃れてきたことから、釜山は急速に大都市に成長した。
朝鮮動乱の際に釜山が戦争難民の集積地になったのは、朝鮮半島の最南端に位置していることや、首都が一時的にソウルからここに移されたことだけが理由ではない。市内のあちこちにつくられた国連軍=アメリカ軍の基地や、港を通じて運ばれてきた大量の軍需物資の荷役作業が、戦乱を逃れて釜山に来た難民たちに職場を提供したからであった。
1953年、停戦協定が結ばれて戦火がやんでからも、釜山における経済は小康状態を保っていた。しかし、1963年の経済開発計画の実施に伴って、釜山の経済は急激な変化を体験することになった。その激しい変化ぶりを具体的に示す例は数え切れないが、なかでも郊外地域の目を見張るばかりの様変わりはその代表的な例と言えよう。1070年代前半までは閑静で奥まった田園地帯であった下端洞を中心とする長林洞、新平洞、沙上地区など釜山市の南部地域や、盤如洞、釜谷洞、錦糸洞など北部地域が、いつしかすっかり工場地帯に変わってしまったのである。さらにまた、これらの工場地帯が次第に周辺地域にまで広がっていき、それにつれて釜山近郊の地価がにわかに跳ね上がり、1970年代後半に土地に対する投機ブームの引き金にもなったのである。
いっぽう、工場の増加に従って環境汚染も大きな問題になっていった。広安里や水営の海水浴場は工場廃水によって汚染されて死の海となり、葦原が広がり渡り鳥の飛来地として有名であった洛東江河口の乙淑島も、公害のせいで鳥影もなくなってしまった。
(中略)
ところで、釜山は経済開発計画が推進されるに伴い、馬山をはじめ新たに工業団地がつくられた蔚山、昌原、巨済島の一部地域や、釜山の衛星都市の性格を帯びるようになった梁山や金海地域など、いわゆる南海岸臨海工業地帯における中心地として重要な位置を占めてきた。親会社を釜山においている多くの大企業が、これらの地域に系列企業や工場をもっているばかりでなく、地域の行政、保健、文化、娯楽などの中心的な役割を果たしているからである。
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中華思想には反発するが、漢字文化圏という括りが好きな大使である。
それでは「日本古代語と朝鮮語」という本で、漢字文化圏の成り立ちについて見てみましょう。
【日本古代語と朝鮮語】

大野晋編、毎日新聞社、1975年刊
<大使寸評>
中国に過剰適応してしまった朝鮮が見えてくるが・・・つくづく日本という辺境の有りがたさが解りますね。
Amazon日本古代語と朝鮮語
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この本の漢字文化のあたりを紹介します。
<漢字文化>p120~121
いったい日本、あるいは朝鮮が、なぜ漢字文化を必要としたか。それはご承知のとおり、中国からこの政治の仕組みを学ぼうとしたのです。日本の各地にはたとえば紀の臣、葛城の臣、播磨の臣・・・などと呼ばれる豪族どもがおりました。それぞれの豪族がみな私民を持って独立支配をしているわけです。ところが、そのうちの有力豪族にかつがれた大君というのが起こってきて、各地豪族の持っている私民を取り上げて自分の直轄支配の中に置こうとする。あるいは朝鮮や中国から渡ってきた人たちを職業団体として受け入れ、それをまた朝廷の直轄支配のもとに置いて、品部(しなべ)とし、それから貢物を取り立てようとする。そういう時代になってきて、いよいよ政治の制度が必要になってくるわけです。行政制度が必要になった時代というのは、おそらく倭の五王のころでしょう。そこで倭の五王が、あれほど頻繁に中国に使いをやる。何を学ぼうとしたか。何はともあれまず、この官僚制度を学ぼうとしたのです。
それの具体的なあらわれは、後のトヨミケカシキヤヒメ(推古)のときに、いわゆる「十六階の官位」を制定し、そして「十七条の憲法」を発布して、「私民を廃して公民とせよ」「この世の中に二人の王があってはいけない、大君が全国を統一するのだ」そういう意図をはっきり「憲法」としてうち出します。さらに下って、「大化の改新」に至って初めて「律令制」を日本に取り入れるということになってくるわけです。だから中国の文化を必要としたというのは、要するにそういう全国支配の官僚体制、政治の知識がほしかったわけです。でなければ、万里の波濤を越えてあんなに頻繁に使いを出すものですか。漢字文化というのは、漢字文化というのは、徹底的に「政治的なもの」であるということを、日本の歴史のがわからもご理解いただきたい。
なお、ここでちょっと申し上げますが、「律令」の律というのは刑法のことです。漢の刑法のことを「漢律」と申します。そして令というのが、いまいいましたような、官庁の組織法です。ですから中国の律令制度は、秦の始皇帝に始まり、漢の時代に大躍進を遂げ、魏の時代に完璧になった。その律令制度を六朝の宗の国へ行って学んできた、これが倭の五王が使いを出した原因です。またそれを隋の王朝へ行って学んできた、それがトヨミケカシキヤヒメ(推古)のときに遣隋使が行った原因です。同じように、遣唐使を出した主たる目的も、やはり唐の行政組織と行政のやり方を輸入する、それが最大の目的でございました。
同じことは百済についてもいえます。百済が五世紀から六世紀にかけて、「郡県のごとし」(魏書にみえる言葉)といわれる地方の役所を置くようになります。それから宮廷の内部にも「内官」というものを置くようになります。それから冠位の制定も決めます。やや遅れて新羅も冠位の制定をする。そういう時期になって百済も新羅も盛んに中国の文化に取り入れるわけです。その主たる目的は、いうまでもなく律令制を取り入れるということにあったわけです。そのほかの、たとえば暦だとか、天文だとか、薬草・食品だとかは付随的に入ってきたのであって、主たる目的はあくまでこの官僚制を導入することにあったわけです。
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日本古代語と朝鮮語では、漢字をどう読んだのか?・・・・
文献はあるがテープレコーダーが無かったので、学者の間で好き勝手な推論が飛び交っています。
<漢字の訓読み>p159~161
鈴木:ところで、朝鮮では漢字の万葉仮名的な一時一音的な表記がありますね。それから、かなり早い時代に、漢字の意味をそのまま朝鮮語に当てはめたり、あるいは訓読みのような形で使ったりしていますが、これについてお話ししていただけませんか。
大野:「郷歌」の文字の使い方は、「万葉集」の巻一、巻二などの古い書き方に非常によく似ていますよ。むしろ一時一音という「古事記」の表記は新しいんですね。そして意図的にきちっと整理して使ったものです。「万葉集」巻五は、大伴旅人の歌に、当時唐の都に留学したという山上憶良の歌などを収めたものですが、これは一時一音になっている。それから東国の歌を集めた巻十四--これがまた東歌で大和地方とは非常に言葉が違っているものだから、手直ししてある。これは時代にどうも問題点があります。
巻十五が新羅に遣使された人たちのもので、これも一時一音、巻十七~二十はそれぞれ用字法が違っているので、これはおそらくさまざまの書き方がしてあるのを四人の人に一時一音に直させたんだろうというのが私の見解です。ともかく「古事記」のほうが新しいんです。むしろ「万葉集」だけについていえば、巻一、巻二などは音もあり訓もあり、その他いろいろに当てて使う点で、郷歌の書き方と同じなんです。ともかく場合によっては、「万葉集」の古い時代の書き方は、朝鮮から習ったものであり、それを日本的に当てはめたものであると考えます。
梅田:鈴木先生のおっしゃった一時一音表記というのは史読や吐のことだと思いますが、史読というのは文書類に用いられた表記法で文を書き表す時にその実質的な意味を表す部分は主として漢語で表記し、助詞や助動詞などの文法的要素に当たる朝鮮語を漢字の音や訓を借りて表したものであり、また、吐は漢文につける送り仮名のことでこれも漢字の音や訓を借りて表記されました。吐には漢字の略体も使われ、日本の片仮名と形が同じものもあります。
しかし、史読にしろ吐にしろ、いわば漢文表記の補助手段ですが、郷歌は朝鮮語の文全体を漢字を使って書き表している点でちがっています。おっしゃるとおり、成立は郷歌のほうが恐らく先行すると思います。ただ史読の前身ともいえるような漢字使用法が新羅の金石文に見られますが、これはかなり古いといえます。なお、史読と吐について言えば、それに含まれている語法から考えると、史読はかなり古い語法を含んでいてその成立が吐よりも古いことを思わせます。前述の郷歌式の表記法はその後用いられなくなりましたが、史読や吐は近世まで使われました。
鈴木:そうすると、中国から朝鮮へ漢字が入ってきたときに、それを最初に表記したときは最初から一時一音と訓読みの両方が入っていたのかどうかということですが。
大野:最初は漢文ですよ。
鈴木:固有名詞の読み方なんですけれども、たとえば新羅の王子の名前が波珍(ハトリ)という形で出てきます。珍という字にトリという音を当てていて、これは三品彰英さんが訓読みだということをおっしゃっています。ですから、いわゆる訓読みのようなものと音読みとが、最初からごっちゃに使われたのか、それともどちらが先なのかということについてお聞きしたいのです。
大野:それは中国語に習熟している人なら全部漢字音で、漢字で書くでしょう。ところが、十分中国語に習熟していない者は最初から混同して書きますよ。漢語に習熟するということはたいへんやっかいなことですからね。
長田:『古事記』については成立上そういうことが考えられるかもしれませんが、いわゆる推古朝遣文の仮名書きは一時一音です。それから『古事記』の序文で例の有名な、一時一音で書くと趣旨が長くなるからやめるというくだりを見ると、一時一音のほうが先にあったというふうに考えられる。
鈴木:『古事記』の序文は、日下(クサカ)とか帯(タラシ)はそのままで使って一時一音にはしないとも言っていますね。
大野:一時一音にすれば、倭国の言葉を倭国の言葉としてはっきり書くことはできる。しかし、それは、今度は長々しくなるからわずらわしい、そういう意味じゃないですか、序文のあのくだりは。
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大使が蔵書録作成を思い立ったのは、アマゾンが広く充実したデータを持ち、グーグル検索との連携もよくて、蔵書録作成を快適に補佐してくれるだろうと思ったせいでもあるのです。
あと、気になるのはせっかく作った蔵書録のデータをアマゾンはいつまで保存してくれるのか?ということだが・・・・・まだ先のことだし、ま いいか。
スマートフォンや電子書籍の販売合戦が本格化する昨今であるが・・・アマゾンCEOのジェフ・ベゾスさんが朝日のインタビューで「我々が提供したのは選択肢。押しつけはしない」と説いているので、紹介します。
ジェフ・ベゾスさんへのインタビュー
<歴史揺さぶるIT革命の巨人>
(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、5/12朝日の「フロントランナー」から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)
世界最大のオンライン書店を育て上げ、クラウドコンピューティング・ビジネスを開拓し、電子書籍端末「キンドル」で電子書籍市場を一気に立ち上げた。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと並ぶIT革命の旗手の一人だ。
この人に是が非でもしたい質問があった。紙の本と電子書籍の原理的な違いが、社会に与える影響について、だ。
話は2009年7月中旬の「事件」にさかのぼる。
電子版『1984』『動物農場』(オーウェル著)を購入した人のキンドルから、この2冊が突然消えた。販売権のない出版社が謝って売り、販売停止に。その際、データも遠隔操作で消された。買った本が棚からなくなる――紙の本ではあり得ないことが起きた。アマゾンは謝罪、電子書籍の課題も鮮明になった。
独裁政権が生まれたら、都合の悪い本の回収や改変も可能になる。電子化を進めるなら、備えも必要でないか――意気込んだ質問への答えはシンプルだった。
「民主国家ではまず起きない心配でしょう。私たちが提供するのは選択肢です。紙の本を望む人は紙を買える。電子版限定の本も受注印刷に対応している。それでも電子版が伸びているのは便利さゆえでしょう。『1984』のミスは繰り返しません」
Q:書籍販売から始まったが、最近は家電や食品、ファッションと扱うジャンルが広がっている。
A:イエス!欲しいものをオンラインで簡単に見つけて買い、すぐ届く。世界最大の豊な川の名のとおり、最大の品ぞろえをするのが我々のビジョンだ。
Q:顧客満足度の追求が成功の鍵だったと思うが、その内容は?。
A:第一は欲しい商品を見つけられること、その意味で品ぞろえは大変重視している。品がなければそもそも見つけられない。次はレコメンド(おすすめ)機能などで、見つけるのを容易にすることだ。
発送のスピードも重要だ。「もっとゆっくり届けてくれ」なんて言う人はいない。日本は物流が発達しており、世界でも最も早く届けられる国だ。アプローチは国によって違い、中国では自前の自転車配送ネットワークを作り、自分たちで届けている。
Q:2月、仙台にもカスタマーサービスセンターを開いた
A:今回の来日の目的の一つが仙台のセンター訪問だ。被災地にも足を運び、多数の子どもたちが亡くなった学校にもお邪魔した。被災地の厳しさが伝わってきた。
Q:話題の電子書籍だが、日本での参入は?
A:「今年の動向を楽しみに」というのが今は精いっぱいだ。
Q:キンドル版『1984』のデータが持ち主の知らぬ間に消去された例に見るとおり、クラウド型電子書籍は、購入済みの本を消したり、中身を改変したりすることが容易にできる。例えば政府が弾圧して、都合の悪い本の消去や改変を求めたら、はね返せるか?。
A:『1984』の件は大きな判断ミスで、厳しい教訓になった。ただ、指摘の重要さはわかるが、民主国家では、現実問題としてなかなか起きにくいだろう。同じ技術を前向きに考えれば、内容に誤りがあった場合、電子書籍は後から訂正しやすいといえる。
Q:訂正する場合、利用者への告知は?
A:もちろんしている。訂正があることを通知し、反映するかどうか、利用者が選べる仕組みだ。
Q:クラウド型電子書籍は客の本棚を預かっているのと同じ。従来の物販という売り切り事業とは異なり、長期保存の責任を負う。その点については?
A:先行した音楽のダウンロード販売を見て、問題点に気づいた。再生機やデータをなくしたり壊したりしたら、おなじ曲を買い直さなければならない。これは望ましくない。そこで、キンドルを紛失しても破損しても、本を買い直すことなくずっと読み続けられるようにと考えたのが今の方法だ。
Q:アマゾンとキンドルが存在する限り読めるのはわかる。だが紙の本は出版社が倒産しても手元に残る。紙と同様に内容を百年単位で残せるのか非常に気になる。
A:私は残せると思っている。電子書籍は今後さらに改良され、安定していくとという感触を持っている。百年単位なら著作権も切れていくので、権利が切れたものから自由に読めるようになるだろう。
我々が提供したいのは選択肢だ。押しつけはしない。それが最も重要な点だ。紙の本を選びたい人は選べるし、実際、紙の事業も好調だ。
Q:音楽ダウンロードではDRM(著作権保護技術)をかけないものが売られ始めている。電子書籍でのDRMの扱いは?
A:出版社に決めてもらうというのが我々の立場だ。海賊版を警戒する出版社はDRMをかけるし、なしでいいという出版社もある。
Q:クラウドコンピューティングについて、物流の会社が、なぜこのサービスを思いついたのか。
A:(身を乗り出して)社内のネットワーク部門とアプリケーションソフト開発部門のエンジニア同士が、あまりにもたびたび綿密な打合せをしているのに気づいた。互いの部門のデータの受け渡しが複雑すぎるのが原因で、非常にまずいと思った。そこでやりとりがスムーズにできるようルール(API)を作った。他のウェブサービス事業者も同じ悩みを抱えるようになると予想できたので、外部の企業に提供できるようさらに整え、サービスを立ち上げた。
クラウド技術によって、従来は設備投資の対象だったインフラ費用が、時間単位でレンタルできる変動費に変わった。ビジネスとして非常にうまく行っている。
Q:今20歳前後の若者だとしたら、どんな分野を目指すか。
A:いい質問だ。今とてもエキサイティングだと考えているジャンルがある。バイオテクノロジーだ。
例えば太陽光をエネルギー源に微生物で合成油を作るなど、生物の力を利用してクリーンなエネルギーを作る道が、人類史上初めて開けはじめていると思う。もともと生物は、酸素という副産物を出しながら二酸化炭素を木材にするという不思議なこと(光合成)をやってのける。その能力を活用できる入り口に来たのではないか。専門家でないので詳しいことは分からないが、自分が今から専攻を選ぶなら、この分野だろう。
Q:一番楽しいと思う時は?。
A:ブレーンストーミング。さまざまな人と会い、いろいろな方向のアイデアを出すことだ。公私問わず、問題解決が一番楽しい。
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「変化を自分で作りたい」 村上龍氏が出版社と組まずに電子書籍を出す理由が興味をひきます。
なお蔵書録全貌については
蔵書録作成中5に入れておきます。
公民館と図書館でブログ更新を試みたが、えらいこっちゃ!
書き込み禁止、読み取り専用に設定されているのです。で、最後の手段ということで一軒しかないインターネット喫茶に繰り出して記入したのです。
(記入といってもUSBメモリでコピペですけど)
図書館で「日本と道教文化」という本を借りたが、大使の動機は「漢民族の本質を知りたい」ということに尽きるわけです。
つまり、尖閣諸島沖の漁船衝突事件があって以降・・・
彼の地の孫子の兵法に則り、「不可解な敵を知っておこう」という意識が働くわけですね。
【日本と道教文化】

坂出祥伸著、角川選書、2010年刊
<裏表紙紹介>より
長生きをしたい、金持ちになりたい、幸せになりたい、日常的な願望をかなえてくれる神さま、それが道教の神々だ。仏教でも神道でもない宗教的な風習、吉凶を占う「おみくじ」や疫病除けの「おふだ」も道教が起源。薬草を発見した神農、七福神のひとり福禄寿、邪気を払う鐘軌、疫病除けの神獣・白沢など奇怪不可思議な神々に彩られた道教の世界を日中にわたり紹介し、日常生活に溶け込んだ多様な道教文化を再発見する道教入門書。
<大使寸評>
道教とは漢民族独自の宗教であり、その成り立ちは日本の神道と似てなくもないわけであるが、「福禄寿」への拘りが、お茶漬けサラサラの日本よりは強いように感じられたのです。
Amazon日本と道教文化
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この本のエッセンスの一部を紹介します。
<はじめに>p8~9
私たち道教研究者の理解と一般人の道教理解とはかなりかけ離れていると思っている。さきほどフランス人の道教理解の例を挙げたが、おそらく日本の文化的背景が妨げとなっているからであろうが、一朝一夕に「中国は儒教の国」という固定観念が消えることはあるまい。そこで本書では、われわれが今見聞きしている風俗・慣習の中に、道教的要素が隠れている、私たちは気づいていないだけのことだ、という点をあれこれ取り上げて、道教に親近感を抱いていただこう、道教になじんでいただこう、という願いをこめて角度を拡げて考えてみた。
まず、最初に道教というのは、どのような宗教なのかを、不十分ながらも概略的に説明しておいた。これまで、ともすれば仏教は高尚であり、深遠な教理や哲学をもっているが、道教は迷信的であり、低俗なものであると見なされがちであったが、道教も正当な宗教であることを予め知っておいていただきたいのである。
次に横浜、神戸、長崎などの華人街に、なぜ関帝廟とか馬祖像が置かれているのかを考えてほしいのである。海外に移住する中国人は郷土から自分たちの守護神をたずさえてきて、集団自治の中心である廟を先ず建て、これを中心に街が形成されるのが一般的である。あたかもヨーロッパでキリスト教の教会を中心に市街が形成されているのと同様なのである。
パリの13区にある華人街には玄天上帝(真武神)を祀る潮州会館がある。ベトナム難民であるパリの華人は本来は潮州出身者なのである。しかし、海外の華人街の守護神として最も多いのは、馬祖廟(天皇廟とも)だといわれ、次に多いのが関帝廟だという。
(中略)
日本文化が取り入れた道教的要素は神農、鐘軌、福禄寿神、泰山府君などのような吉祥をもたらし災禍をしりぞける種々の神格、あるいは、十二直説、九星説などのような運勢を知って禍を避ける占いであるが、こうした呪法は現在の日本ではほとんど消滅してしまったようである。しかし、今なお残っていて根強く信じられているのが、仏滅、大安などの六曜説であり、あるいは家屋を作る場合の鬼門説であり、さらには、若い人々が半ば遊び心で、しかし半ばは本気で信じている「おみくじ」「おふだ」である。「これも道教ですか」といぶかるお方は、どうかそれがれっきとした道教起源であることを本文を読んで知っていただきたい。併せて各地で出土している木簡呪符をも紹介したので、日本文化史の研究の立場とは別の角度から木簡呪符についても解説をしておいた。
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<道教とはなにか>p11~13
道教とは、どのような宗教なのか。はなはだ答えにくい問いであるが、私見では、その根底にあるのは中国思想一般と同様に「道」の観念であり、特に道教にあっては「道(タオ)」とはすなわち「気」だと考えられる。
そこで道教は「気の宗教」であると定義しておきたい。「気」という視覚では捉えられない存在、それは人間をも含んだ万物を生成する根源的なエネルギーであり、道教では、その「気」を操作することによって仙人とか真人とか称される最高の境地に到達することを目指すのである。こういう定義には当然多くの反論が予想されよう。儒教でも「気」の観念に依拠しているのではないのかと。
儒教が最終的に目指しているのは、社会の経済的安定であり、そのために為政者(士大夫)は「修身」つまり、強い意志によって自分の「気」を暴発させないように身体を修練し、ついで「家をととのえ、さらには国を治め、最終的には天下を平和にする」。こういう政治的目的のための「気」の修練である。そこで、道教的な修練は、「独善」すなわち独りわが身を善くするだけであり、他者を救済しようとしないという非難が儒教側から出るのである。
それでは、「気」とはなにか。これもまた説明がむつかしいが、身体を流れる「気」をトレーニングするという健康法としての「気功」が日本でも市民権を得ているので理解していただけようが、中国では古代から生命をもつ存在は運動して止むことのない「気」から成り立つと考えられている。
ところで、道教は創始者つまり誰かが創始した宗教ではなく、自然に発生し展開した宗教である。キリスト教はイエス・キリストを創始者としており、仏教は釈迦(ブッダ)を創始者としている。イスラム教はムハンマドを創始者としている。日本の神道は天照大神を最高神として尊んでいるが、これを創始者だとは誰も言わない。ただし、神道は万物に生命力とか霊力を認めていて、万物それぞれを神とする多神教である。道教はこれと極めて似ている。道教について老子が創始者ではないかという疑問や指摘を受けることがある。たしかに道教では老子が非常に尊ばれている。けれども後漢末ごろに組織的教団として初期道教が成立した時、それは老子が創始したのではなくて、いわば権威付けにかつがれたのであり、じつは数えきれないほど多数の神格を持つ多神教なのである。
さらに道教は、仏教やキリスト教、イスラム教のように国境を越え民族を超えて信仰されているような、世界的宗教ではなくて、その信仰は一部の少数民族を除けば、ほとんど漢民族に限られているという意味では民族宗教と考えてよい。
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<なにを目指している宗教か>p13~14
道教の目指すものはなにか。「福・禄・寿」という現世利益を得ることである。とりわけ寿、すなわち永遠の生命の達成を目指すのである。そこで「気」を操作して「永遠の生命」を獲得しようとする宗教だともいえよう。儒教は宗教ではないとされるが本来は祖先祭祀を行っているので、一種の宗教的性格を備えているが、一方では政治的倫理的色彩が強くなって宗教的側面は希薄になってしまった。元来、『論語』によると孔子は、「生きている世界のことも分からないのに、どうして死後のことが分かろうか」と述べていることで分かるように、死後の世界とか霊魂のありかたについては非常に冷淡であり、その代わりに「経世済民」、つまり社会の安定と物質的豊かさという現実的な救済を目的としているのであって、死者の霊魂の救済には無関心であった。そこで中国に仏教が伝来した時、貴族や士大夫たちは中国仏教特有の霊魂観にもとづいて来世意での救いに安心の境地を得ようとしたのである。ただし、儒教は古代社会の基盤となっていた宗族制という男系血縁共同体を祖先祭祀の根幹としていて、親から子へ、さらに孫へ、というような生命の連続性を重んじている。これこそがいわゆる「孝」である。
(中略)
なお、中国社会が儒教によって代表されているように、男性中心の社会システム(宗族制)の中にあって、道教では早くから西王母をはじめとする多くの女神が重んじられ、魏華存、鮑姑のような女仙、詩作に秀でた女道士・魚玄機の名も知られている。天皇(馬祖)とか碧霞元君などの女神は今でも崇拝の対象とされているし、また全真教では女性司祭者が高啓、経師などとして儀礼を主宰している。このように、男女平等とまでは言えないが、道教では女性が古くからきわめて重んじられているのに注意したい。
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<道教の将来像>p21
儒教が滅んでも道教が滅ぶことはない。なんとなれば、漢民族の民族的宗教であるからである。近代文学の巨人・魯迅は、「中国の基礎は全て道教にある」と喝破している。現今の中国も少子化、近代化(工業化・都市化・人口の流動化など)の進行によって儒教のよって立つ存在基盤が崩れつつあるが、まさにそのために為政者は儒教の権威の回復を図ろうとするが、崩壊を止めるのが次第に困難な状況である。一方、道教は中国共産党による弾圧、その後の文化大革命による破壊にもかかわらず、急速に復活し、その信仰はますます広く深くなっている。民衆の生活に深く根ざした宗教にほかならないからである。
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<関帝>p25~26
横浜の中華街には道教の神さま―関帝が祀られている。横浜の中華街といえば、東京近辺の人ならたいてい中華料理を食べにいかれるから、良くご存知ことであろう。そして、そこに「関帝廟」という中国風の大きなお寺によく似た建物があることもしっていることであろう。ここの案内パンフには、「発財の神さま」とお書かれていて、華僑はお金が儲かりますようにと祈ると書かれている。
(1日文字数制限の関係で削除、全文は左のページ「孔子批判5」に入れておきます)
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<おふだの種類・目的効用・材料・霊力>p173~178
(1日文字数制限の関係で削除、全文は左のページ「孔子批判5」に入れておきます)
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中国共産党が国家威信を賭けて儒教の再興を図っているが、中国通の学者は儒教の崩壊を止めるのが困難な状況と喝破しています。その一方で道教の復興が指摘されています。
為政者が男神(儒教)を奨励するが、民衆は女神(道教)を尊ぶという構図も見られるわけで・・・親しみを覚えるというか、興味は尽きませんね。
それから大使が毛嫌いしているのは儒教であり、中国人民ではないので、そこのところを宜しく!♪
インターネット喫茶の営業用のパソコンは、我が愛機(4万円のネットブック)に比べるとメチャクチャ速いで♪
大使は、故郷でのバイオマス発電、林地残材に関心があるのですが・・・・
高知県HPに「木質ペレット燃焼灰からの放射性物質の検出について」という広報が出たので、気になったのです。
5/16木質ペレット燃焼灰からの放射性物質の検出についてより
<木質ペレット燃焼灰からの放射性物質の検出について>
木質ペレット燃焼灰から放射性セシウムが検出されたという情報が県内取扱業者からあり、本日(5月16日)、県として安全性の確認を実施している中、銘建工業(岡山県)から「自社でヨーロッパ材を使用して製造した木質ペレットの燃焼灰について自主検査を行った結果、高知県で使用した木質ペレットの燃焼灰からも放射性セシウムが検出(3,890Bq/kg)された。」という連絡がありました。
1 県内での流通状況等
平成23年度の入荷は、約3,000t(見込み)、県内のバイオマスボイラー144台で使用しています。流通経路については把握可能であり、個別の追跡調査は可能です。
2 人体や周辺への影響
・今回放射性セシウムが検出された燃焼灰は、ビニールハウス内などの空気を暖めるため、ボイラーで銘建工業が生産した木質ペレットを燃焼したものです。
・木質バイオマスボイラーは、燃焼灰と仕切られた別の部屋の空気又は水を温めて施設内を加温しているので、放射性セシウムを含んだ空気が施設内に放出されることはなく、農作物への影響はありません。
・燃焼灰周辺への影響については、本日サンプル調査を行った結果、安全性には問題ないレベルとなっています。
・なお、燃焼灰そのものやハウス内の農作物についても念のため放射性セシウムの検査を行っています。
5 今後の対応
(1)納入ハウスの悉皆調査
(2)灰の処理状況についての現状把握
(3)灰の処分方法の検討
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ヨーロッパ材を使用して製造した木質ペレットの燃焼灰から放射性セシウムが検出されたという状況のようですね。
高知県の林地残材が放射性セシウムに汚染されているわけではなくて、ひとまず安心したが・・・・ヨーロッパでのチェルノブイリ汚染が今でも続いていることが驚きです。
大使がバイオマス発電に拘る理由なんですが・・・・・
林地残材による地産地消の燃料、発電ができれば、持続可能な森林保全が可能ではないかと期待するわけですね。
ところが、経済原理が働き、木質ペレットの輸入という動きがあるわけで、これは本末転倒ではないか!と危惧するのです。
関西電力が木質ペレット3%混焼の石炭火力バイオマス発電本格稼動とのことであるが、関西電力は輸入材、四国電力は国産材と違いがある。地産地消で持続可能を堅持すべきではないか!!
また、
平成22年木材需給表から木質ペレットの輸入動向を探るのは、シロウトには難しいのでは?(この統計には森林保全という観点はないようです)
諸々の情報から分かるのだが、高知県は、まだ岡山県産の木質ペレットを使用しているのか!・・・・高知県の森林の有効利用は、いまだ成らずなのかもしれませんね。
ところで、母の介護の関係で今日から25日まで、田舎に帰ります。
例の如く、デジタルデバイドに陥るので・・・・ブログ更新はままなりません(泣)