図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・
なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪
【タンタンの冒険 その夢と現実】
マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊
<商品の説明>より
本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。
<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・
なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪
amazonタンタンの冒険 その夢と現実
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訳者の想いを「訳者あとがき」に、見てみましょう。
<訳者あとがき>p204~205
タンタンとエルジェと私:小野耕世
私がタンタンの生みの親、エルジェに会ったのは1972年11月3日のことだった。私はイタリアのルッカ市で開催された第8回国際コミックス=アニメ大会(LUCCA8)に、日本からの初めての代表として招待されて来ていた。
初めてタンタンのマンガを手にしたのは、1960年のことで、東京・神田の古本屋で「レッド・ラッカムの宝」の英語版(1959年にロンドンで刊行されたもの)を見つけて買ったのである。現行の版と同じハードカバーだが、背中の部分が赤色だった。
読み始めると、すぐに夢中になってしまった。こんなにおもしろく深みがあり、楽しく美しい品格のあるコミックスがあったのか。それから私は「タンタン」の英語版を次つぎと洋書店(丸善)に注文しては、届くのを楽しみにしたものだ。
この本を訳しながら、タンタン・シリーズのなかでも、この「レッド・ラッカムの宝」が最も売れていると知ったのだが、私は偶然、最も人気のある本を最初に読んだことになる。それは幸いだった。私はまっさきに、大酒飲みのハドック船長が大好きになってしまったのだから・・・。
ルッカのホテルでエルジェに会ったとき、私はあこがれの人を前にして、すっかり緊張していた。
(中略)
そのとき私は、手に小型カメラを持っていたのだが、なんだか恐れ多いような気がして、写真をとらせて下さいと言うことができなかった。いまにして思えば、もちろんエルジェは喜んでカメラに収まってくれたにちがいないのに。その代わり私は、スケッチブックをさしだした。
たいていの人がエルジェニサインを頼むとき、タンタンとスノーウィの絵を描いてもらうのだろうが、「ぜひ、ハドック船長もいれて描いてください」と私は頼んだ。彼は、そうしてくれた。その絵のなかでハドック船長は「コンニャローのバーロー岬!」と(フランス語で)言っている。
私はこの年の10月、東京からまずサンフランシスコに行き、1960年代の末から70年代初めにかけて西海岸を中心に盛んだったアンダーグラウンド・コミックスの旗手ロバート・クラムに会っていた。クラムは最新作のマンガ「フリッツ・ザ・キャット」の原画16ページ分を私に託してくれた。それで私は、さらにニューヨーク、ロンドン、パリ、バルセロナをまわってルッカに至る旅のあいだ、ずっとその16枚の原稿をスーツケースにいれていた。
その話を私がすると、エルジェは身をのりだすようにした「その原稿、いま持っているのかね?」「持っています」「見せてくれないかね?」「もちろんですとも」私はすぐに原画をとりだして、エルジェに渡した。彼は1枚1枚、ゆっくりと目を通していった。「おもしろいね。実におもしろい」と彼はつぶやいた。「クラムは偉大だね。すばらしいよ。いいねえ」。
私はエルジェの反応に感激していた。タンタンのマンガとクラムのいわゆる<アンダーグラウンド・コミックス>とは、いわば正反対の描法である。エルジェは保守的だと批判されていたという話も、私は読んだことがあった。そのエルジェが、新しい価値観をひっさげて登場した時代の最先端を行くロバート・クラムのマンガに目を輝かせている・・・。
ああ、そうだ、これが本当のエルジェなのだと、私はそのときさとったのだった。
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『タンタンの冒険 その夢と現実』4:紅海のサメ
『タンタンの冒険 その夢と現実』3:燃える水の国
『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ
『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮