カテゴリ:邦楽
演歌は、”不幸”というネガティブな状況を売り物にした作品が存在する貴重なジャンルだ。 オトコに捨てられ、本人は酒におぼれながらも、オトコの帰りを待っていたりして、再会後、また捨てられる・・・みたいな世界観は、ある一定の女性層や 「こんな殊勝なオンナがいたらエエな・・・」 と鼻の下を伸ばすオヤジ層に受け入れられている事実がある。 演歌と呼ばれるヴァーチャルな世界のなせるワザ、といったところだろうが、冷静に考えれば、殊勝などと評価するべきではなく、学習効果を持ち合わせていない女性にすぎない感もある。 また、一般的に女性は我々が考えているほど(ここで言うところの)殊勝ではなく、現実的で強く、たくましい。 オヤジが望んでやまない対応など、微塵も期待できない。 ボロ雑巾のように捨てられて、安酒に逃げ、またまた騙され、トホホ・・・と嘆くのはオヤジの方である。 ■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■〓■ ジャケット上に”演歌”と銘打ったのは、藤 圭子が最初だそうだ。 様々な歌い手が、これでもかと不幸な作品を残している中で、藤 圭子の作品は光っている。 不幸なのではなく 「幸せには、なりません!」 という強い決意のようなものを感じる。 最近再発されたベスト版もいいが、やはりお勧めはファーストアルバムだ。 また、♪藤 圭子ポップスを歌う♪というわりに、まったく”ポップさ”を感じさせない異色作品も捨てがたい。 不幸な状況の自身を投影して泣く、という聴き方ではなく、むしろ大音響で環状高速を飛ばしながら都市を移動するシチュエーションに最適な音楽だ。 前川 清と大恋愛して、破局し、藤 圭子は”不幸”になったが、結果的にウタダヒカルの母となった。 災い転じて福となす・・・だろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.05.09 04:59:01
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