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Free-Style FARM

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「逃げ切れ!ローエングリン」

「逃げきれ!ローエングリン」(2005年6月作品)

ローエングリン、ドイツ語でlohengrinと書き、白鳥の騎士の事である。
1999年6月8日にこの世に生を受ける。
父・Singspielは世界最高峰のドバイWCを勝ち、
日本でもジャパンカップを優勝した名馬である。
母・カーリングもまたジャパンカップに参戦した事のあるフランスオークス馬だ。

そんな彼は綺麗な栗毛の馬体を持った、ちょっと真面目な王子様に育った。
彼はその血統からくる期待に見事応え、ダービーまでに3勝し、
ダービーでも有力な候補としてとりあげられていた。

しかし彼には想像だにしない悲劇が待っていた。
なんとダービーの抽選、それも1頭しか落選しない抽選でまさかのソレを当ててしまったのである。
彼はダービー当日、同じ東京競馬場で行われる駒草賞、通称:残念ダービーに出る事になった。
もちろんここで彼に敵う相手などはいなかった。
彼は一体、その後行われた本物のダービーの歓声にどのような気持ちで耳を傾けていたのだろう…

しかし彼には休む暇はなかった。
素質を見込まれた彼はその後、3歳ながらにして古馬の春のグランプリ・宝塚記念に出走した。
結果は3着であったが果敢にも逃げ、最後の直線では更にスパートを見せた。
誰もがこの馬はいずれG1をとると思った。

その後、彼は秋から連勝を続け、翌年の春には重賞を連勝。
初めて挑戦したマイラーズCでは阪神競馬場のレコードを記録するなど、
その栗毛の快速っぷりは留まるところを知らなかった。

そしてまたG1がやってきた…
春のマイル王決定戦:安田記念、そこには一番人気で堂々とした彼の姿があった。
ファンファーレが鳴り響く府中競馬場
ざわめく数万人の歓声と集まるテレビの奥の視線
彼は得意の逃げでその歓声を更に沸かした。
逃げ馬には不利と言われる長い直線をものともせず王子様の行進は続いた。
…ゴール50m前までは

その夏、彼はついに海外へと渡った。
目的地はヨーロッパ最大の競馬先進国・フランス。
同じ社台グループの僚馬・テレグノシスと共にヨーロッパ夏のマイルG1に挑戦した。
初戦のジャックルマロワ賞は敗れた。
しかし2戦目のムーランドロンシャン賞では大外からのスタートにも関わらず
彼は母の故郷でもそのスピードを見せつけ先頭を奪った。
彼のスピードは衰えるところを知らず最後の直線になっても彼は先頭のまま
後ろからはヨーロッパの強豪・ネブラスカトルネード。
王子様は観客の目の前をひたすら先頭で進んだ、
またしてもゴール50m前までは。

彼は違う距離のレースにも出たしダートにもトライした。
しかし彼はまだG1をとっていない。
人は「彼の旬は過ぎた」と次々に言う。
でも私は信じている、彼がG1がとることを!



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