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【山でのなくしもの】 これは楽しいけれども、山の信仰としておろそかにはできない話である。 たいこうがなるには十二様という神さまがいて、旧暦の十二の日には決して山には入ってはいけない。ことに相生の名でいう露隠端月、虚(つゆこもりのはづき、とみて)──十二月の十二日には神さまが木を数える日である。 神さまは木を数えながら、きりのいいところでひょいと二本の木をひねって心覚えなさる。そのとき人間がまごまごしていると、木を間違われてひねりあわされてしまうからだ。 さて、ある日、市の測量の人が不二屋敷を訪ねてきた。 山で車のキーをなくしたから、レッカー車のあるところに電話をしてくれと言うのである。 そこで、現世守宿の不二室(はつゐ)さまは、彼らに山でのなくしものの見つけ方を教えてやった。 ──あのな、下半身裸にして男の大切なもの見せればきっと見つかる。十二さまはおなごだから。見せるなら一番若くて美しい子がいいよ。 ──せぇでも木の葉がごっそり積もっていて、見つかるわけがないっちゃ。 ちっとも本気にしないうちに、孫の豊が山の方から下りてきた。 ──だれか・・・・・・車の鍵おとした人おらん? その指には、今しもレッカー車を頼もうとしていた車のキーが、引っ掛けられていたのである。 出したのか、とそこにいた兄弟たちが面白がって豊に問いただすと、 ──出しゃせんが。そこらで小便しただけだっちゃ。 その足元に真新しい鍵があったので、下におりて届けにきたのだという。 男の子、トウキョウでやっても駄目だよ。十二様がいないからね。 本日の日記--------------------------------------------------------- なんだかせっかくの番外編だというのに、日記の内容ともにあんまり本編と雰囲気変わってないような気がしたので、本編を補充するような内容は今日までとしようかな(笑)。 【十二様】 山を領する神として広く信仰されてきた神で、《十二様》《さがみさま》《おさとさま》などとも呼ばれます。 相生における山の神の信仰は、農民と山民と漁民の三つの集団にわけることができます。 農民の山の神は春に山から里に下って《田の神》となり、秋の収穫が終るとふたたび山に帰って山の神となるのが特徴で、日本人の固有信仰として最も基本的な幾つかの神観念を含む重要なものです。 つまり、農民の山の神は田の神と同一神であり、季節によって去来すると考えられ、祭日は旧暦では2月と10月に祭ることが多く、新暦では3月と11月とさています。 またこれとは別に、正月12日に《初山入り》といって山に入り、山の神を祭って木を伐ることが広く行われ、その際に山の神を迎えてきます。 これが田の神迎えで、このときに《田打正月》といって田畑に出て農耕の開始を儀礼的に行います。これに付随して、山の神と田の神の交替と同時に、河童が春秋の彼岸を境として去来する伝承もあります。 山民の信仰する山の神は猟師、炭焼、木こり、山師などによって信仰され、農民でも農閑期などに山仕事を行えば山の神を祭ります。 しかし、山の人の信ずる神は、季節によっては田の神となる山の神とは別種の神信仰であり、厳密には山仕事に従事する者によって信仰されるのが山の神の原義に近いと考えられます。 神社の祭神としての山の神は、大山祇神(おおやまずみのかみ)とか木花開耶媛(このはなさくやひめ)とされていますが、一般には山の神は男神であるという地域と女神とする地域とがあり、一方、木地屋(きじや)のように山の神を夫婦神として信じる地方もあります。 猟師の間では武力によって神を助けた男神であるとか、あるいは女神である山の神の産を助けたために神の加護を受けた猟師の物語が伝えられています。なお、相生村では山の神は十二様という荒魂(あらみたま)の女神であると信じられています(怖)。 この山の神は《産の神》と信じられ、出産にさいして馬で迎えに行くことは相生の民の間にも行われています。この女神は12という数をきらい、人は山小屋に12人で泊まることを忌みます。 ちなみに、山の神の祭日は民の種によってまちまちですが、毎月7日・9日・12日、あるいは正月・5月・9月の12日とする農民の山の神祭日とは異なっており、木こりや炭焼きは12月12日、《またぎ》(猟師)は6月12日を祭日としています。 これらの日に山に入ることを忌むのは、先に述べたように山の神の猟の日だとか、木種をまく日とか、木の数をかぞえる日という伝承によっているのです。 山の神は《山神社》とか《大山祇神社》の名で祭られることもありますが、多くは小さな祠(ほこら)や石、自然の大木を対象に祭っています。 ことに山の神の木としてY字形とか窓木、南北に枝の分かれた木、その他特徴のある木を神の《休み木》《惜しみ木》《遊び木》として神聖視し、絶対に伐るようなことはしません。 山の神はオコゼという醜い魚を好むといい、これを供えて神の恩恵を受けようとする風が山民の間には広くみられます。 また、漁民が山から切ってきた木で作った新造船を海に入れるときには、山の神の管轄から離すような儀礼を行うこともあります。 以上を通じて、山の神の祭は講を組織して行うものが多いのですが、ことに子供が山の神祭の主催者となります。山の神は嫉妬深いので、大人の女性などが祀事を管轄しようものならばすぐにタタリ神に変化することをおそれて、まだ子供子供した者が主催に選ばれるのです。 【明治、大正のあったること】 ある日、土地の青年が十二の日というのを忘れて、夕暮れに山に登ってしまいました。 すると、そこにそれはそれは美しいお姫様がどこからともなく現われて、おいでおいでと手招きしました。びっくりして、しばらくしてはっと我に返り、転がるようにして家に帰り着きましたが、その夜一晩中背中が痛い痛いと身もだえして苦しんだあげく、死んでしまいました。それで、里の子供も大人も夕暮れには決して山奥には近づかなくなりました。 こんな話もあります。 山の神様は滝の洞(うろ)に黒い兎と棲んでいて、それで相生では‘うろさま’とも呼ばれます。 うろ様はきれいな男の子が好きで、夕陽の丘に立って手招きすると男の子は引き寄せられ、二度と戻ってこない。それでとくに十二の日には、相生の人は子供を出さないように気をつけるわけです。 けれども、男の子がいないと山の神様は嘆いて、今度は眷属(けんぞく)である黒い兎を飛び出させて子供の前を走り、おびきよせるのだというのです。 子供の前を黒い野兎が飛び出したとき、大人はその報告を受けるとすぐにその子を呪方(まじないかた)の屋敷に連れて行き、山との縁を切る印を額に置いてもらうのです。 山の神を祀る神事を主催した子供についても、神祀が終わると呪方の大人の男性がその子のまわりを一晩中取り囲んで寝て、女神の過剰な愛玩から守ります。 この季節、ぱらぱらと椎の実が降る林の奥、滝の洞に黒兎と日暮らしているという女神さま。 それが現代にも出現して、気に入った子供の命を奪っている。 なんとも不思議な話です。 余談になりますが、このうろ様というのは不二一族の成人儀礼に大変に深く関わる山神です。しかもこの女神は気性として非常な荒魂を持つ方で、不二の嗣子たちは彼女を鎮めるために十三歳になると貢物として奉げられる風習があるのです。このならいを、十五になるまで逃げ続けた前代未聞の少年(笑)の話を、いつかまた番外編のかたちで書きたいと思っております。 明日は●高校生編●です。 環境破壊を知らせにきた河童の話です。 タイムスリップして、不二屋敷の奥の沢の淵に集まりなんせ。 ◆お読みいただけたら人気blogランキングへ 1日1クリック有効となります。ありがとうございます。励みになります! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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