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山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月07日
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 子供たちだけに許された夏、失われていく人生の物語のなかで、唯一輝きを放つであろう数章が、またたくまに過ぎていった。

 今はあらゆる徴(しるし)が、村人に豊かな秋の訪れを約束していた。

 そんなある日の放課に、豊かはクヌギの枝に長く座っていた。
 頭をはっきりさせるためであった。

 人間界の大きな移動の時間が彼は好きではない。冬から夏へ、夏から冬へ。学校では新学期が始まり、その恐るべき騒音は彼の邪魔をした。
 
 ‘大いなる謎’に耳と目を向けようとする、彼の注意がそらされるのだ。
 また相生村の信仰は単純で、彼らをとりまく動物や気候といった自然の環境に立脚したものであるが、その実践のほうはなかなか複雑だった。
 それは儀礼や禁忌に満ちた暮らしであり、すべてこなしていくだけでも充分に忙しい。それに加えて、最近続いている季節の神迎(かみむかい)の祈祷や新学期がはじまった分校での子供たちの喧騒は、彼の手にあまるものとなりそうだった。

 ところが、そうやって静寂を保とうとする意志にお構いなく、豊にはある重要な契機が訪れようとしていた。

 分校には豊を待ち受けている者があった。
 それは橋本先生ともうひとり、県の教育委の偉い人だった。彼は先日、文部省が主催した小学生のための歌舞伎公演の観覧にあたって、その後にそれぞれの小学校から提出された感想文を歌舞伎座に届けたところ、出演者のひとりであった、坂東玉三郎の目に留まったものがあるという。

 それが鳥取の醇風小の分校の子供が書いたということを突き止めて、教育委の人がわざわざ相生村まで出向いてきたのだった。この初老の男性は、実は文化庁のOBでもあった。
 そうとは知るよしもない豊が始業の鐘とともに窓からひらりと入ってきたのを見て、彼は眉をひそめるどころか、この奔放な少年に頼もしささえ覚えた。教育界で多くの経験を重ねてきた彼は、将来の日本を支える頭脳として、かように自由な意識を持つ若者が必要であることを見極めていた。

 彼は教室の後ろでこの少年をつかまえると、軽い手合わせのつもりで少しぶしつけにも聞こえる言葉で、試みに声をかけてみた。

 ──やあ、天才くん。

 そして、自分がわざわざここまで赴いてきた経緯を、いぶかしげに眉をひそめて聞いている豊という少年の心に届くよう、とつとつと語り始めた。

 彼は心根のよい人ではあるのだが、いささかその言には‘立て板に油’に過ぎるところがあるようだった。老人は、自分が軽いはずみな言葉をかけたことへの罪滅ぼしに、玉三郎が彼のことを「天才」と称したことを、この少年が喜ぶかと思って、さらに軽はずみに虚言した。

 なんだこのおっさん、やぶからぼうに。
 とでも言いたげに、口を引き結んでいた豊であったが、このでっぷりとしたお腹のお偉いさんが話し終えるや、すぐに彼のクセでじっと相手の目をのぞき込みながら、可愛げのない態度で言い返した。

 ──ぼくが天才だって、ほんにで玉三郎さんが言いんさったのですか?
 ──あ、ああ、そうだが・・・・・・。
 ──ほかの誰のこともおっしゃらずに?
 ──ああ。君だけをそうほめていたが・・・・・・。

 柳のような眉をつりあげた少年に思わぬところを突っ込まれて、日本人の典型のように薄毛であるこの老人は、泡を食ったようにひるんで頭の脇の髪をなでつけた。

 彼は知らなかったのだ。
 ただの小学生だとあなどっていた少年は、自分が真実でないと感じたことには、どこまでも切り込んでいくという性質を持っていることを。
 だが、豊は玉三郎の言が本当であったのかを突き止めたかったのではない。この老人が、本当は分校まで訪れて小学生を喜ばせてやったという自分の態度に酔っているだけであることを、彼は思い知らせてやりたかったのだ。

 ──それはぼくには本当のことだとは思えんですが。
 ──なぜ、君はその場にいなかったのにそう言えるのかな。

 だが、教育委の老人もタヌキだった。豊はそれには少しもたじろがずに続けた。

 ──ぼくが天才だと言うのなら、傍らにはもうひとりの天才がいてしかるべきです。天才が天才であるためには、等しく才長けた者の存在が不可欠だと思います。玉三郎さんほどの方なら、それがわかっているはずだから。

 老人からは、言葉もない。

 ──もし玉三郎さんがほかのひとりについて何も触れなかったのであれば、それは玉三郎さんの言葉ではないですが。

 こう言い放つと、もはや用は済んだとばかりに豊は髪をはね上げるふりをしてつと顔をそむけ、断りもなく自分の席に戻っていってしまった。

 あとには恥じ入ったように所在なさげに黙り込む、口の滑った気のいい老人が教室の隅に残された。

 とはいえ、この教育界の長の突然の分校訪問の話は、帰宅した子供たちによってそれぞれの集落にすぐに知れわたった。そして、口には出さなくても村人たちはみな、次に起こり得る事柄について、想像をたくましくして期待の胸をふくらませていた。




 本日の日記---------------------------------------------------------
 
 昨日の日記の続きは、この章の最後に載せたいと思いますのでご了承下さい。物語の進行の都合上、くるくると変更があって申し訳ございません。

 さて、豊を含む六年生たちが観た歌舞伎公演は、「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)という演目でした。
 玉三郎さんのお目に留まった豊の感想文を明日掲載するにあたって、この演目についての予備知識をここにまとめさせていただきたいと思います。

 なお、この内容につきましては、舞夜じょんぬさまから大きなご助言をいただきました。
 舞夜さま、ありがとうございました!

 【色彩間苅豆についての予備知識

 これは、歌舞伎の演目でいう「累もの」のひとつです。
 「累もの」と言われるとおり、「累」を主人公にするお話にはいろいろなバージョンがあるようです。

 まず、歌舞伎の一系統にこの「累物(かさねもの)」という演目がありますので、ご紹介します。これは当時、巷間に流布されていた「累伝説」を舞台化したものです。

 江戸時代の承応から寛文年間(1652~1672年)の頃、下総の国、羽生村(はにゅうむら、現在の茨城県水海道市)に一人の醜い容貌の女性がいました。
 名を"累"と言います。母親が醜い子を川の中に突き落とした祟りで、醜い姿に生まれついた累は、百姓"与右衛門(よえもん)"と結婚しましたが、容貌が醜いだけでなく嫉妬深い女性だったらしいのです。耐え兼ねた与右衛門は累を鬼怒川で殺してしまいます。

 後妻を迎えた与右衛門に累の怨霊が祟り、後妻は次々と死んでしまいますが、6人目の後妻"菊"に累の怨霊が乗り移ってあらぬ事ばかり口走るので、祐天上人(ゆうてんしょうにん)を招いてその法力で累の怨霊を鎮めてもらい、累もようやく解脱(げだつ)したという話が「累伝説」です。

 祐天上人は、東京・目黒にある祐天寺の開祖とされる人物です(←ご近所です)。また祐天寺には、「累塚」が建っています。下総の国、法蔵寺(ほうぞうじ)には累のお墓があるそうです。

 この「累伝説」がもとになって様々な歌舞伎狂言が生まれました。
 そして数ある「累物」の中で最も有名で、且つ、上演頻度の多いのが清元の舞踊劇「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」、通称「累」なのです。

 歌舞伎で主人公の女性が醜くてはいけないので歌舞伎の「累」では、"累"は美しい女性として描かれ、二枚目の"与右衛門"(歌舞伎ではこちらが悪人です、色悪という役どころです)と仲睦まじい色模様を見せます。 
 ところが、与右衛門が累の父親"助(すけ)"を鎌で殺し、累の母親"菊"と密通したという悪因縁が累に祟ります。累は顔面がお化けのように醜く腫れ上がり、その上、片足がなえてしまうのです。運命のいたずらか、親を殺した大悪人と契ったばっかりに醜女になり、その挙げ句、与右衛門に殺されてしまう──そして今度は与右衛門に祟るというのが歌舞伎の「累」の粗筋です。

 前半部分がしっとりとした二人の色模様ですが、累の容貌が一変したところからオドロオドロしい怪談になるという変化の多い、それだけに見所の多い舞踊劇です。

 なお、三遊亭円朝(1839-1900)の作である落語「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」も同系統の作品です。

 今書いていて心に決めました・・・・・累さん、この章のおわる三日間のうちには行けないと思うけれど、近いうち、ぜひ祐天寺にお参りに行きますね。


 明日は●色彩間苅豆を観て●です。
 当時の豊の文章で、唯一全文の残るものを掲載いたします。
 ただし、公演が終わってすぐにその場で書かされた感想文なので、量的にはそれほど多いものではありません。
 タイムスリップして、玉三郎さんが目を留めた、鳥取県出身六年生男子の感想文をお読みになってくだしゃんせ(←歌舞伎のせりふみたい)。


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最終更新日  2005年12月07日 08時13分07秒
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