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山口小夜の不思議遊戯

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2005年12月10日
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 この土地では、歳月は季節とともに行き過ぎても、時間は流れ落ちない。
 二十八年に一度、同じところを何度も何度も、緩やかに巡るだけ──。

 ───

 薄闇の中。
 蟲の鳴く声さえ漏れない静寂の中、闇が哭いていた。
 
 低く、細く──。
 
 己を呪縛する結界に、喉を焼いて哭していた。
 生贄として奉げられた純血の力は、すでに朽ちかけている。
 もうじき、時が満ちるのだ。
 
 二十八年に一度の、夏が巡る。

 契約は滞りなく、くり返されるだろう。
 己を封殺する御詞と、新しき血肉の贖いをもって。
 神と人とは、まだすべてが断ち切られたわけではない。
 我が身の半身が、あの里で眠っている限りは・・・・・。

 声なき声が、沈黙を噛む。
 闇の鼓動が、ひっそりと空気に溶けていく──。

 言葉もなく。
 何の禁忌もない。

 ただ、次代へ《血》を継ぐためだけに。
 より、濃く。
 もっと深く。

 選ばれた《血》の尊厳を保つため。

 純血は《力》の源。
 《力》は、正しき器の血肉にのみ宿る。

 ゆえに、性差、序列は問わない。
 人の世の常識も、いらない。
 より強固な《力》を繋ぐための、血肉があればいい。

 奉げることが己の運命だと、若者は教えられて育つはずだ。
 忌むべきことは何もない。
 この薄闇の中では──。

 恐れるものなど、なにもない。
 《血》を継いでいる限り。

 そうして、契約の夜は堕ちていく。
 繰り返し、繰り返し・・・・・・。

 闇に奉げられる若者。
 闇で待ち受ける神々。

 それは互いに、禍々しき《力》と《血》の翳りを引きずりながら。

 そして、いつかそれは道になる。
 宿業という名の、重く鮮やかな血の筋に。



 本日の日記---------------------------------------------------------

 【豊という言魂】─全国の豊さんへ─

 大きな神社へ行くと、参道の鳥居や神門をくぐった所の左右に、小さな祠があります。

 両社は正面を向いていたり、向かい合っていたりと様々ですが、共通しているのは「対」の社であるということです。これら通常、「門神」「門守」と呼ばれ、悪神や鬼の侵入を防ぐ働きのある神社の門番とされる神将たちです。

 この二神は、「忍日・来目」だとか「櫛石窓神・豊石窓神」と呼ばれています。
 「忍日・来目」とは、高皇産霊神の末裔である、大伴連の遠祖、天忍日命と来目連の遠祖、天津久米命のことで、『日本書紀』の一書に記されている、瓊瓊杵尊(ニニギ)の天孫降臨の時、先導した武神です。
 
 『古事記』の邇邇芸命(ニニギ)の天孫降臨の場面では、随伴した神々の中に、「…次に天の岩戸別の神、またの名を櫛岩窓(くしいはまど)の神といひ、またの名を豊岩窓(とよいはまど)の神といふ。この神は御門の神なり。」と「天岩戸別神・櫛石窓神・豊石窓神」が一柱の神として記述されています。

 「櫛石窓神・豊石窓神」は、また、忌部氏伝来の御門祭の祝詞では「櫛磐間戸神・豊磐間戸神」と記され、延喜式神名帳宮中神の条の「御門巫祭神八座」の中にあって、外敵侵入を防塞する機能をもつ神将であるとされています。

 さて、この、「」と「」の一対の概念、なにか匂いませんか? 
 古代のあらゆる書物にこの一対の概念が記されているのだとしたら、ここに、いかなる真意が隠されているのでしょう。

 推理の手始めとしては、「櫛」と「豊」という字は神名に良く使用される美称である事実です。

 「豊」は、そのまま、「豊かな」「豊穣」「充ちた状態」を意味する美称。豊受大神豊玉姫がその例です。
 特に豊受大神は、豊宇賀能売(とようかのめ)とも呼ばれますが、豊穣の神(稲荷大神)である宇迦之御魂(うかのみたま)にさらに「豊」を冠したイメージであるとされています。

 「櫛」は、「奇」とも書かれ、「豊」と同様の美称で、奇稲田姫は、美田・豊穣の姫の意味であり、。あるいは「奇跡」の意味合いも含まれることが予想されます。

 この「奇」という文字と、祭神の機能・神徳を考えると、「奇霊(くしたま)」という概念に通じるらしいのです。

 神道の教義で、神や人間の霊魂は「一霊四魂」、つまり、一つの霊と四つの魂から成るとされています。

 一霊は「直霊(ナオビ)」で、四魂は「荒魂・和魂・奇魂・幸魂」である。
 荒魂アラタマ:神霊の機能としての、荒々しい側面。台風や洪水といった自然災害に代表される、怒れる神の作用。
 和魂ニギタマ:荒魂に対するもの。神霊の機能として、人間に対する平和的側面。雨や日光の恵みなど。神の加護。
 奇魂クシタマ:和魂の一つ。神の奇跡。神霊の機能として、特に医薬の分野で用いられる。人命に対する神の恵み。
 幸魂サチタマ:奇魂と同じく、和魂の一つ。豊穣・豊漁など。神霊の機能として、特に人のなりわいに関わる分野で用いられる。

 「櫛」=「奇魂」とする説は、実は多くの資料に見られます。
 ここで注目されるのは、「幸魂」の機能が、「豊」に充てられる点です。

 地域の名称という観点からも考えてみましょう。
 「豊の国」という地名があります。今でも「豊後」「豊前」として通用する地域、大分県の美称です。

 「豊」をその「豊の国」と考えるとどうでしょう。

 あいにく、「櫛の国」というものはありませんが、似た名の地名はすぐに見つかります。
 「筑紫の国」──「筑紫」は、広義には九州全体を指すが、狭義では、今の福岡県にあたります。地図上では、このふたつの地域は隣同士ということになります。
 つまり、「筑前・筑後」と「豊前・豊後」が、九州の中心から、本州への経路上、先駆け的な位置に配されているのです。
 神話のように、九州の高千穂へ降臨した天孫の末裔達が、本州(奈良)へ東遷することがあるならば、その位置関係は重要です。
 また、本州(出雲や大和)に敵対する王国が存在すると考えると、その位置は、守りの要であり、「門神」としての名を冠するに相応しい土地であろうとも思われます。

 門神の「櫛」と「豊」は、地名から来ているのかもしれません。
 あるいは、先に門神としての「櫛」と「豊」という言葉があり、それを地名としたとも考えられます。


 さて、ここで「豊」を用いる神名をいくつか列記してみましょう。

 豊受大神:神宮内宮(天照大神)に対し、外宮に鎮座している。食物、稲の神。
 伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みで、伊耶那美神が、火之迦具土神を産み、弥都波能売神を産んだ。この神から成った和久産巣日神の子で、竹野郡の奈具社の祭神。
 豊吾田津姫:木花之佐久夜毘売の別名。石長姫の妹。
 豊玉毘売:海神(豊玉彦)の娘。山幸彦(穂穂手見命)の后。鵜葺草葺不合命の母。玉依姫(鵜葺草葺不合命の后)の姉。
 豊姫(淀姫・與杼比売命):神功皇后の妹。
 台与:卑弥呼の後継者。

 これらの神々には、「一対の神の一方」という共通のキーワードが存在しないでしょうか。

 天照大神-─豊受大神
 石長姫-─豊吾田津姫
 玉依姫-──豊玉毘売
 神功皇后-與杼比売命
 卑弥呼-────台与

 これらを鑑みるに、「豊」の名には全体に「次の者」というイメージがあるように感じられるのです。

 「豊」を用いる神名には次のものも見られます。

 豊雲野神:国土神として化成し、独神で身を隠してゐる神世七代の第二代。 神世七代の第一代は「国之常立神」です。通常この神は「天之常立神」と対に考えられていますが、順位においては「国之常立神」が、天地開闢の第一であり、「豊雲野神」が第二となっています。

 そして、「豊石窓神」ですが、この神も「櫛石窓神・豊石窓神」と一対と考えられ、多くの場合、この順に語られることが多いのです。

 実は、外宮に祀られる「豊受大神」の存在が、この謎解きの発端であるのです。天照大神と対に祀られている神なら、「地照大神」的な神徳を期待せざるを得ないのです。つまり、「豊受大神」は「天照大神」に拮抗する神徳を秘めた神なのではないでしょうか。天照が卑弥呼なら、台与にあたる神があっても良いのではないか──。

 ということで、
 「豊」という文字・言葉には、「ゆたか」という概念の他に、「次」という概念があるのではないかと思うのです。

 さて、ここで古代の二大氏族についても考察してみましょう。

 『物部氏
 ニギハヤヒを祖神とし、石上神宮を氏神とする物部氏は、古代、北九州の遠賀川河口近く(筑紫:チクシ)から河内・大和へと移住してきた氏族とされています。『和名類聚抄』などでは、北九州一帯の地名と、河内・大和の物部氏族称との一致が見られます。

 『旧事紀』では、物部氏祖神ニギハヤヒは、「天照国照日子天火明奇甕玉饒速日尊」と表記されています。これを読むと、「クシミカタマニギハヤヒ」となるのです。このニギハヤヒを祀る式内社に、奈良県大和郡山市の矢田坐久志玉比古神社があります。ここでは、クシタマとなっていますが同じ神であるのです。

 『蘇我氏
 古代、物部氏を凌駕した蘇我氏は、武内宿禰の子・蘇我石川麻呂を祖としますが、その出自には謎が多いのです。仏教擁護の蘇我氏(馬子)が用明天皇の面前で「詔に随いて助け奉るべし。たれか異なる計を生さむ」と言った時、皇弟の穴穂部皇子が豊国法師なる人物を引いて内裏に入ってきたという記録があります。

 この豊国法師とは、豊の国の法師であり、豊の国では、正式に百済から仏教が入って来る以前から仏教が伝わっていたと思われます。つまり、豊の国は、当時、文化的先進地域であったわけです。
 また、用明天皇の名前は「橘日(タチバナノトヨヒ)」といい、豊後地方に用明天皇に関わる「炭焼き長者」伝承も残っています。

 さらに、蘇我氏が絶頂期にあった六世紀~八世紀の天皇家には、

 御食炊屋天皇(トヨミケカシキ:推古)
 聡耳(トヨサトミミ:聖徳太子)
 天財重日足天皇(アメノトヨタカラカシヒ:皇極、斉明)
 天万日天皇(アメノヨロズトヨヒ:孝徳)
 天之真宗祖父天皇(ヤマトネコトヨオオジ:文武)
 日本根子天津御代国成媛天皇(ヤマトネコアマツミシロトヨクニナリヒメ:元明)
 天国押開桜天皇(アマクニオシハラキトヨサクラ:聖武)
 など 多数の天皇・皇后・皇子の名に豊の字が用いられています。
 
 この「豊王朝」こそが、「蘇我王朝」であるのです。
 蘇我氏と豊の国の関係は良く知られていませんが、仮に蘇我=豊(トヨ)だとすると、物部=クシと関連し、非常に興味深い事実が浮かび上がってくることがわかります。

 つまり、古代の二大氏族である「蘇我」と「物部」は、これら強大な氏族を従えることにより、天皇の祖神の偉大さを称え、大君(天皇)の絶大な権力を示す、絶好の美称(つまりはプロパガンダ)であったと考えられるのです。

 ご静聴ありがとうございました。
 この文章を、記憶の片隅に留めておいていただければ嬉しいです。

 
 明日は●豊●です。
 そうそう、そもそも何のお話かご説明していなかったですね。
 守宿は28年を限りで交代するのです。
 この年、現世守宿の小角さまより、次世への交代があったのです。
 タイムスリップして、不二屋敷の東の部屋をのぞきにきなんせ。

 
 

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最終更新日  2005年12月10日 09時32分04秒
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