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❖ 北條不可思 "Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅡ・愚螺牛雑記 ❖

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2006/02/19
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 ENBAN Concert EndlessTour 《since 1996》

  

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FUKASHI HOJO&CanoBand

カノバンドとは「彼」のバンドという意味。HIS BANDの不可思的造語。
このバンドのメンバーは、北條不可思の音楽表現活動に理解と賛同を頂き、

国内外で活躍しているミュージシャンで構成されている。

誠に不可思議な縁で誕生したバンド。

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Bass -Yoichi Fujisaki(藤崎羊一氏)

ニューオーリンズ、ニューヨークにもご縁が深いジャズベーシスト。日本のサッチモと呼ばれる「外山喜雄とデキシーセインツ」のレギュラーメンバー。毎年夏にニューオーリンズで開催される、ジャズの巨星、ルイ・アームストロングを記念したサッチモ・フェスティバルに参加している。東海大相模高校時代、野球部に所属。甲子園に3度、その内決勝に1度出場。当時の4番は読売巨人軍現監督(WBC日本代表監督)原辰徳氏,「原・津末・藤崎」の東海大相模三羽烏は高校野球史の1ページを飾っている。その後、音楽に転身、ウッドベースを始める。自己のグループでのライブ活動、作曲、アレンジも多数。国内外ミュージシャンの間ではMr.bassballと呼ばれている。CANO BANDではバンドマスター兼音楽監督/縁絆・京都公演2006より参画]
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Drums-Shoichiro Aso (麻生祥一郎氏)
(オフィシャル・ブログ)http://drums.way-nifty.com/analog/

福岡生まれ。 1992年ロックバンド「HummingBird」でNECアベニューよりデビュー。以後ビクターエンタテインメントに移籍。通算5枚のアルバムと7枚のシングルをリリース。アメリカでのレコーディングやピーターフランプトンとの共演を経て 2000年5月に解散。 現在はドラマーとして、ミュージックシーンの第一線で活動している。氏の、才能と人柄に心からの敬意と感謝の念を贈りたい。
[縁絆・Hometown相模原公演2006より参画]


Keyboard-Yusuke Nakagawa(中川雄介氏)
 2007年より玉川大学大学院に籍を置き、ピアニスト、市民劇団音楽監督としての活動を展開。北條不可思は「ピアニッシモ」と呼んでいる。真の「やさしさ」が表現できる音楽家/ピアニストになって欲しいとの願いを込めている。

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enban tokyo 2005 ishihara 2- 013

enban concert endlesstour 2005 REHEARSAL
at imperial hotel tokyo music room
縁絆/金田賢一氏・リハーサル/帝国ホテル・ミュージックルーム
photo by © HIDEKI ISHIHARA・石原 秀樹/TokyoJAPAN

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2006年6月24日、伝説のコンサートとなった、

縁絆コンサート・京都特別公演サウンドチェック.

龍谷大学大宮学舎本館講堂(国指定・重要文化財)
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Friendship guesting

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俳優・金田賢一氏  
 

1978年映画「正午なり」でデヴュー以来、映画、舞台、TV、司会で活躍。現在は朗読を中心に表現活動を展開。テレビ神奈川「ハマランチョ」毎週月・火(午後1時生放送)のパーソナリティーを担当。『遊牛の詩』のための寓話-,ジョン・レノン『イマジン』よりの朗読は、定番となりつつある。「縁絆コンサート」では、メッセージの真髄を、氏の「朗読」によって、より豊かに表現してくれる。敬愛すべきSTORYTELLERである。ちなみに北條不可思と同じ丑年。《縁絆・東京公演2006年より参画》

遊牛の詩のための寓話  ジョン・レノン『イマジン』より*******************************

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尺八奏者・大由鬼山氏
古典を基に動的、慟哭的尺八音楽を目指す。尺八の持つ可能性の限界を求め、ジャズロック民族楽器など邦楽以外との共演にも積極的に取り組み、演奏する場所条件にこだわらずにあらゆる分野での尺八活動を目的とし、血と汗がつたわる感動的インターナショナルな尺八演奏家。ジョージ川口・金井英人・
喜多郎らのセッションなど活発な活動を続けている。氏の、尺八演奏に対する情熱は、芸術の域を超え縁絆に注いでくれる。縁絆・東京公演1998年より参画/2004年ニューヨーク公演、国連本部ビル記念演奏にも同行.


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梶谷正治氏/スライドギター

氏が、軽井沢・万平ホテル勤務時代からのご縁で、ジョンレノンメモリアルコンサート「ジョンの日曜日」、「ジョンレノン・ミュージアム」での共演をはじめ、「縁絆コンサート・東京、大阪、ニューヨーク」の各公演に参画。国連本部ビル・エントランスホールで開催された記念演奏にも同行。「人間の価値」 (RealAudio)のレコーディングでは絶妙のスライドギターをフュ―チャーしている。北條不可思の音楽表現活動に無くてはならないひとり。


Guitar/生田敬太郎氏

ENBAN Concert EndlessTour2008NEW YEAR SPECIAL より、日本ミュージックヒストリーの重要人物の一人、生田敬太郎氏、10年ぶりの参画。

リアル・タイムではいわゆるフォーク・シンガーとしてしかみなされなかったが、実は熱きソウル・フィーリングを持つブルースマン。
氏は、1971年生田敬太郎とマックス名義でエレックレコードから三保敬太郎プロデュースのファーストアルバム『この暗い時期にも』でデビュー。同様にセカンドアルバム『24+37』をリリース。 泉谷しげる、古井戸、ピピ&コット、佐藤公彦、とみたいちろう、海援隊らと、唄の市コンサートに出演。細野晴臣を迎えてサードアルバムをリリース。子供向け番組ひらけ!ポンキッキの「およげ!たいやきくん」のオリジナル歌手でもあった(ひらけ!ポンキッキでは氏は他に「おとなもなやみがあるんだな」を歌っている)。 1975年『凱旋』を発表。 1976年、なぎら健壱が友人たちを集めてレコーディングしたライヴアルバムに、タモリ、友部正人、高田渡、斉藤哲夫、大塚まさじらと参加。また、後輩の海援隊が、ファースト収録の「僕の唄」を『誰もいないからそこを歩く』(1980年)でカヴァーしている。また、1990年代後半から本格的に活動再開して旧知の斉藤哲夫との連名アルバム『生田敬太郎 斉藤哲夫』を発表。ライヴ活動も再開。

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PHOTO Copyright © シバ

『縁絆コンサート』は、日本国内外のさまざまな人々から、様々な形の支援と協賛を得て、そのスタートから一貫して入場無料のスタイルで開催が継続されている。
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Last updated  2020/09/05 04:51:45 PM



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