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❖ 北條不可思 "Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅡ・愚螺牛雑記 ❖

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2006/06/03
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野聖物語「我が心の親鸞聖人」

野聖物語~やひじりものがたり~

 私は、歩いていた。
 この一歩こそが、迷いを断ち切る一歩と信じ、ただひたすら歩いてきた。
 おそらくは、長いこと歩いてきたのだろう。時には宿り木に身を預け、ひとときの憩いを楽しみ、そしてまた歩いている。

 彼の日、私は幼子であった。父も、母も亡くした寄る辺ない身。肩を寄せ合う弟とは生き別れた。握り締めた伯父の手だけが、かろうじて残る血脈のぬくもりだ。だが、それさえも離す覚悟を定める道のりを歩いた。
骨身に染みる娑婆の風は、えげつなく薄情に吹き荒んで、河原に打ち捨てられた命を喰らっている。
すでに陽は落ち、未練の爪が冷たく空に浮かんでいる。こんな修羅の世に身をとどめようがない。踵を返しようがない。だからもう見上げもせずに茜に滲む空に決別を告げた。
桜の花が無常の風に震えていた。川底の石は、浮かぶ術もなく非情に凍えていた。
切迫する我が身を抱えて一歩を踏み出す。
南無帰依佛 南無帰依法 南無帰依僧

それでも尚、追慕のような恋しさは明滅を繰り返す。粟粒ほどの疑念に清冽な意識が破られる。とりでの中に身を置いて、静寂が約束されたほとりに佇んでいるのに。
清浄なる身を求める自意識に打ちのめされてしまったのだ。

私はふたたび歩き始めた。求め訪ねて季節を重ね、万に一つの知遇を得た。雑行を捨て、弥陀の本願に帰する。我が身を見限る時が来た。それは、偶然なのか、必然なのか。地獄なのか、極楽なのか。救済なのか、堕在なのか。よき師との出遇いも、はからいを超えた法爾であった。荒れた海から吹き上がる風の凄まじさもまた痛快なり。
根を下ろすべき時を迎えた証のように、守り育む新しい命に恵まれた。
ならば、抗う為に歩くのか。いや、これもまたありのままの私なり。
過去も未来も風は風。今、唯今も風は吹くだけ。思いを越えて、雨を呼び、雲を払い、花びらを飛ばし、野山を大地を駆け抜けていく。


静かな夜に、灯明が糸のように揺らめき、侘しさや切なさを紡いでゆく。
淡く浮かんだ我が身の影に命の不思議が映っている。
経巡るような道もあったか。心定まらぬ日々を怨んで泣いたか。落ちた涙のかすかな熱に正気を取り戻したか。
 いや、聞こえてくるのだ。呈した耳の奥底を震わせて確かに響いているのだ。真実が我を呼ぶ声が、願いが、はたらきが、私には、確かに聞こえるのだ。
南無阿弥陀佛

 私は、今も歩いている。
 摂取不捨の願力に心を任せて、私はただ歩いている。あなたが歩いているなら、私も歩いているのだ。 道はすでに仕度され、闇は破られている。佛智の光明の届かぬ先はない。 影の映らぬ在所はない。
 沈むよりほかない私も、弥陀の願いの船に乗り、彼の岸へと渡る。記憶に刻まれたすべての縁に別れを告げて。
 なればこそ歩こう。罪障脈打つこの体で、命そのままに私は歩く。
この白き道を。     

                           《了》

文/里 寿  朗読/金田賢一

親鸞聖人-野聖物語-『Shinran-Shonin of my mind』《1987年作》
♦Copyright©Rev.Fukashi Hojo ;北條不可思




人の心を食い物にして

こだわりあがく群れの中で

「直面しているのは鏡の前の己だ」と

唯ひたすらに 足元見つめ 

歩き続けているのは

心及ばぬ流れの中に 身を委ねてるから



人の痛みが沁みるから

「偽れない」と心が叫ぶから

どうすることも出来ない 名利に沈む己だと

唯ひたすらに 瞳を閉じて

歩き続けているのは

心及ばぬ流れの中に 身を委ねてるから



「全ては夢さ」と片付けても

心が痛む時

それでも野をゆく聖の後姿は

わたしにささやき続け

「直面しているのは鏡の前の己だ」と

唯ひたすらに 足元見つめ

歩き続けているのは

心及ばぬ流れの中に 身を委ねてるから



それでも野をゆく聖の後姿は

わたしにささやき続け

「直面しているのは鏡の前の己だ」と

唯ひたすらに 足元見つめ

歩き続けているのは

心及ばぬ流れの中に 身を委ねてるから

​​​野聖物語/Yahijiri Monogatari iCopyright ©  Special JION Music​​​​

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 yahijiri2009chirashi.jpg

~白き道 唯ひたすらに 歩き続ける 野の聖~

 -愚螺牛-1994年

*親鸞聖人750回大遠忌法要プレイベント『野聖物語・YAHIJIRI MONOGATARI~我が心の親鸞聖人~』を2008年、記念講師 淺田恵真和上(西本願寺勧学)を招き、築地本願寺ブッディストホールで開催。

主催/「野聖物語」実行委員会(事務局長・岩佐准光)

協賛/ 浄土真宗本願寺派・東京教区青年僧侶協議会

制作協力/オフィスアミタハウス/北條不可思事務所

 

野聖物語・YahijiriMonogatari]について

「野」とは公職に就かず、あえて在野(民間)に生きることを意味し、「聖」とは、「非僧非俗」にして、心身すべてを耳とし、そのすべてを呈して、真実信心【本願他力/阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらき】を聞信し歩みぬく姿勢を意味すると窺えます。
破戒僧でありながら、孤高の念仏聖の後姿・・・野聖*親鸞聖人の生涯の物語は、時空を超えて、現在唯今も、愚生の心底に響いている。

祖師を親鸞聖人と頂く者は、如何なる人生となろうとも、この念仏聖の風格を、心して巡る日々をおくらねばならない・・・・北條不可思

野聖物語「我が心の親鸞聖人」

2009年5月16日(土曜日)午後5時開演​

​​​会場/東京・築地本願寺ブディストホール 入場無料 全席自由​​​

『野聖物語』開催にあたって (「野聖物語」実行委員会)

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Last updated  2019/02/11 04:02:06 PM



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