MY DISCO 1977■ MY DISCO STYLE 1977 ■フォークにロックにソウルに、多様な中学時代が終わって、自分はなんとか都立高校の普通課に進学した。 ラッキーなことに自分の通った高校は私服で、上履きと下履きの区別もなかった。 これは学校帰りに遊びに行くのには非常に都合が良く、回りの女子高生や私立高校生がコインロッカー等で着替えていたのに比べると、自分の学校の連中ときたら、朝からオトコはバギーやスーツ、オンナもチャイナとかで決めてきて、そのまんま夜の街に直行という始末であった。 そんなわけで、当時の自分のファッションも、おおよそ高校生らしからぬものであった。 極道すれすれの硬派ファッション・・・ニュートラ トロイの原色カーディガンにグレー系のフレアーパンツ。 ディスコ専用軟派ファッション・・・ベージュ系のバギーやオープンシャツ等のヨーロピアン。 コンチ・・・ボックスの玉虫色スーツにコンビの靴。 他にも、当時のファッションは今と違って個性的ではなく、「右向け右」みたいなトレンドがあった。 そのトレンドに合ってないと、即「ださい」ということで後ろ指を差されたものだ。 そのトレンド・・・まず1977年の春~夏は、カーペンターが大流行した。 夏は「COOL ELEGANCE JUN」を筆頭に、「SCENE by JUN」等のブランドTシャツにボウリングシャツ。 秋口からはアーミールックが大流行。 あと、濃色のオープンシャツに、銀の細身のネクタイを第2ボタンの下ぐらいでシャツの中に入れるファッション。 このへんのファッションは、ロックンロールが流行したからなんだろうな。50年代風の。 あと、不良はこれで決まり!みたいな組み合わせがあった。 今思えば「ださーっ」って感じだが、グレーやベージュ系のツータックのバキーにJUNのTシャツを合わせる! しかも、黒+金のロゴやワインカラー+金ロゴで、ベルトはメッシュ。 他にも「SOUL TRAIN JUN」という、もろディスコ的なロゴのTシャツもあって、とにかくJUNのTシャツはツッパリのステイタスであった。 そんなイデタチで遊びに行く所は、もちろんDISCO! ディスコじゃなくて「ディスコティック」だな、やっぱこの頃のリアルな響きは。 当時はフリードリンクフリーフードが一般的になりつつある頃で、しかも6時前までに入店すると安くなったので、高校生の俺達にとっては「メシも食えるしオンナも食える」という一石二鳥のドリームランドであった。 さてディスコダンスの方だが、少しづつ踊り方を覚え、知ってる曲も増えていった。 なんといっても、前行った時よりひとつでも多くのステップが踊れることに快感を覚えた。 この前はフロアの後ろの方だったのに「今日は前の方にいるぜ」というのがダンスの進歩の指標。 もっと上手くなると、一番前のミラーの前を陣取るようになる。 ここまで来ると、いろいろな女の子から声をかけられるようになる。 「踊り教えて!」って。 高校1年の分際で女子大とかにナンパされるのって、すっごい優越感だった。 で、自然とそういうのが自分の自信にもつながっていく。 当時はディスコに行ってるというだけで、一目おかれましたもん。 「俺、ディスコ行ってんだよね」「へーすっごい!!」という感じ。 当然もてましたよ。 一曲ごとに「思い出の女の子」の顔が浮かびますもん、今でも。 でも、この頃は「ナンパ」よりも「踊り」が純粋に楽しかった。 ステップもまだたくさんあったし、覚え甲斐があった。 毎日毎日がまじで楽しかった。 tomorrowUSAにチェスターバリー・アップルハウスにブラックシープ。 日替わりでいろいろなディスコを開拓し、お気に入りの店には何度も足を運ぶようになった。 で、いつしかその店の従業員やDJに顔を覚えられる。 「いよっ!こんちわー」って感じで。 ディスコのスタッフを仲良くなるってこと自体が、女の子にもてる秘訣だったりする。 「すっごい!DJとか知り合いなんだねぇ!」って。 こうなると通えば通うほどメリットを享受できるってわけで、楽しくて楽しくて笑いが止まらない。 学校は完全にそっちのけになって、夜が本当に楽しい時代だった。 このあたりの曲でパーティー・出張DJをご希望の方は、こちら
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