新宿 1977■新宿 1977年 ステップダンス~ミュンヘンディスコ移行期■1977年 中3冬の時、先輩に「とにかく付き合え」と強引に連れて行かれた場所が「ディスコティック」だった。 当時はラジオの「セイヤング」やテレビの「ぎんざNOW」を通じて、ソウルミュージックやディスコに対しての好奇心はあったものの、恐いお兄さん・お姉さん方のたまり場という先入観で、恐怖心の方が勝っていた。 最初に先輩に連れて行かれたディスコは、新宿南口の場末にあった雑居ビルの4階「GET」だ。 店に入ってみると、人生初の暗闇空間+ミラーボールや照明、大音響に合わせて踊る自分よりはるかに年上の客層に圧倒され、びびって席を立つことすらできない。 最初の1時間ぐらいはわけがわからず、内心「早く帰りてぇなぁ・・・」などと消極的だったが、時間が経つとともにダンスフロアを冷静に観察する余裕が生まれた。 それで、よーく足元を見ていると、踊りにいくつかのパターンがあることに気がついた。 それが「ステップ」 とにかくステップをひとつでも踊れないことには、ダンスフロアに永久に出られない。 それで、先輩に頭を下げて最初に教わったステップが「ハッスル」。 お兄さん・お姉さん方の足を踏まないように、フロアの隅でひたすら下を向いて、足元の動きを体で覚える。 後日「恋はショック」「ゲットレディー」「アスクミー」なども教わり、私は少しづつにDISCOにはまっていった。 ディスコに通う回数を重ねるごとに、踊れるステップのバリエーションも増えてくる。 みんなと足運びが揃えば誰にも文句を言われないし、ダンスフロアの縦横の動きに自分が同調し、しかも時折自分の姿が鏡に映るのはなんともいえない優越感があった。 この時期にディスコに通っていた人は、きっとこの「ステップ」によって私と同じ快感を味わったに違いない。 ■ステップダンスの歴史■ 数多くバリエーションのあるステップダンスのうちメジャーなものを年代別に整理してみた。 ( )内はカウント数で、8の倍数が基本。 なお、ローカルステップ(地域特有のステップ)は枚挙に暇が無いので、ここでは省略する。 -1960年代後半- ソウルチャチャ(8) フリーチャチャ(8) ハマチャチャ(8) セクシーチャチャ(10) クックチャチャ(10) ソウルステップ(8) サイドウォーク(8) ソウルシーシー(16) ファンキーナッソー ゲットレディー ファンキーブロードウェイ ホース ストック ブレイクダウン -1970年代初期- セックスマシーン(16) ポップコーンセブン(10) ニューソウルシーシー(32) ブラザーステップ(8) ブラザールイ(28) イマジネーション(16) マスタードステップ(16) ストリートダンス(16) ABC(12) 可愛い人よ 黒い戦争 窓辺のデート ユアザワン ウォーターゲート プッシンクール フォーコーナー スケーター -1970年代中頃- バスストップ(20) ウルトラバスストップ(40) スーパーバスストップ(24) セクシーバスストップ(24) ハッスル(6) チョコレートハッスル(32) ゲットアップアンドブギ(32) ポイントハッスル(42) アスクミー(32) ロックチャチャ(32~72) オールドマン ファンキーウォーク ポイント バンプ -1970年代後半- ナイトフィーバー(40) バビロンの河(32) ニューハッスル(12) ジンギスカン(16) テクノステップ(20) インザネイビー(32) ステップがいろいろ踊れると、異性にもチヤホヤされる。 そうなると、お目当ての子を「憧れのチークタイム」に持ち込めるという特典付き! そうなると意気盛んな15-6才の頃ですから、授業なんかそっちのけ。 どこかでニューステップを仕入れる度に、授業をサボって、みんなでステップの教え合いをしたものだ。 このあたりの曲でパーティー・出張DJをご希望の方は、こちら 代表的なステップの解説はこちら 当時流行した曲の解説はこちら もっと昔に流行した曲の解説はこちら
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