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FUNKTOWN  J.T.

FUNKTOWN J.T.

新宿 1978

■新宿 1978年 ミュンヘンディスコ全盛期■

A34

ディスコといえば、ミュンヘンサウンド!
ミュンヘンサウンドと言えば、やはり新宿! 
というわけで、1977年から1978年にかけては、自分自身がディスコに最も足繁く通った時期だ。
サタデイナイトフィーバーの影響で、この頃デビューした人はかなり多い。
とは言っても、やはり主体はツッパリ系か先端の大人の遊び人・ファッション関係のOL等がメインで、普通の高校生とかサラリーマンはほとんどいなかった。
踊り方は初心者はツーステップ 中級者以上はオカマダンス・ファンキーダンスだったが、曲によっては「宇宙のファンタジー」「ゲットオフ」のような簡単な振付や「おしゃれフリーク」「マストビーラブ」等で踊られいてたフリーク(2人が向かい合って手の平を合わせ、横にスキップしながらずれる踊り)、「ナイトフィーバー」やKCの「セイムオールドソング」(ニューソウルCC)のようなステップも少し残っていて非常に多彩だった。
この頃はなんといってもDJの存在が大きかった。
ちなみに当時のDJスタイルは、今と違って「ミックス」「つなぎ」のテクニックを争うものではなく、ひたすら「しゃべりのセンス」で個性を出していた。
また、町で配られていたディスコのメンバーズカードも各店舗ごとに個性があって、今となっては涙チョチョキレモノの懐かしさだ。

ピラミッドCRAZY HOUREインデペンデントハウス


当時のDJの教科書になったのがFENの「ドントレーシーショー」のMCです。
私も毎週聞いてましたが、その多少誇張した英語の発音とクールな言い回しが、非常にかっこよかった。
それをベースにして、当時のDJは日本語と英語のチャンポンで曲の紹介やアーチストの紹介、ビルボードで赤丸何位だとか、所属するレコード会社やプロデューサーの紹介などを、しゃべっていた。
「BPMに合わせたしゃべり」というか、曲の雰囲気によって、メローな曲はまったりと、BPMの速めの曲は軽快に、そしてドロドロのファンクは英語混じりでブラザーっぽくしゃべり分けれらのが「一流DJ」の証だった。

この頃のカリスマDJと言えば
カンタベリーハウス系の「オーティス中村」さん
Tomorrow USAの「ジュリー」こと鈴木昇二さん
チェスタバリー系の「赤シャツ」こと松本貢さん
ブラックシープの「アベ」さん
インデペンデントハウスの「ジョイ吉野」さん

等が有名。

ジョイ吉野

彼らカリスマDJ達は「U-DO」(UNITED DISCO OBJECT)を結成し、名曲「ギブイットトゥーミー」を世に送り出し、一世を風靡した。

さて、そんな新宿全盛期にはどんなディスコがあったのか。
ここでは、実際私が行ったことのある箱のみをご紹介する。
池袋の「アダムスアップル」は新宿ではありませんが、赤羽線・東上線・西武線沿線の不良達に非常に人気があったのでこれもご紹介。

GET新宿南口と東口の間にあった雑踏の中の雑居ビル4階にあった名店。
3時開店で入場料がワンドリンク付き500円と安かったので、まずはここでひっかけてそれで東亜会館にメシ&踊りに行くのが日課だった。
水曜日は60年代~70年代前半のステップの日だった
早い時間はミュンヘンもかかり、ディスコデビューの女子高生を入門させるには最適だった。
ソウルトレイン GETの近くにある、非歌舞伎町DISCO。 ステップ多め。4時ぐらいからオープンしていた。
カンタベリー
三号館
三峰のウラでけっこう踊りの上手い奴の隠れ家だった。
ペルシャ館に改名される頃「元祖竹の子」の箱に変化し、末期は不良の溜まり場だった。
振付多め。可愛い子も多くナンパに最適だった。
アップルハウスもう話題にも出てこないけど、末期は不良女子中学生の溜まり場でガラ悪かったなぁ。
DJブースがカプセルになってて動くんだよな。
その後食い放題の焼肉屋になったけど、DJブースは残っていた。
振付多め。男よりも女の比率が高く、ナンパに最適だった。
オカマダンスとか振付で目立つやつは、舞台に上って踊った。
ブラックシープアップルハウスのとなりにあった。
ただでさえ暗くて怪しげな店内+ホワイトとレッドとダルマの混合?ボトルが悪酔いしやすく、女をその気にさせるのにはもってこいだった。
ファンキー主体で踊りのレベルは高かった。
カンタベリー
ギリシャ館
よく1000円で入ってメシだけ食って帰った。
ステップ少な目だが振付は多かった。
全体的に初心者向けで踊りのレベルは低かった。
カンタベリー
ビバ館
東亜会館唯一の初期サーファー系DISCOだった。
ファンキー主体。
シンデレラ下からライティングされたフロアはサタデーナイトフィーバーみたいだったが、プラスチック製のため、特にターンがしにくかった。
見晴しの良いスタジアムのような階段状の椅子で、よく品定めをした。
インデペンデントハウス実は私はここの常連でした。
可愛い子が一番多かったし、曲も適度にステップや振付、それにナツメロタイムもあって自分にとっては一番良かった。
DJはもちろん「ジョイ吉野さん」で決まりだね!
サーカスサーカス1979年頃テクノ専門と言うふれこみでオープンしたが、短命に終わった。
プラスチックスやシーナ&ロケットがガンガンかかっていた。
tomorrowUSAフロアにカーテンが下りてきて「青い影」がかかると、もうチークタイムは絶好調。
明るく健康的な雰囲気だった。
フリー・ステップ・振付とバランス良く、フロアも広くて踊りやすかった。
スキャットたぶん踊りのレベル(ファンキー)は歌舞伎町で一番高かった。
曲もファンキー主体。ジャングルを流行させたのは、ここの箱。
チェスターバリー水曜日は1000円で入れた。おかまダンス発祥の地。
ファッションディスコとも言われていた。
DJはダブルDJで、曲はミュンヘンバリバリ。
ミルキーウェイチェスターバリーチェーン。
K付属高校がたくさんいたのでナンパは易しかった。
アダムスアップル池袋にあった名ディスコ。
生バンドも入っており、ステップ主体。
新宿からステップが消滅した79年以降も、ここではしぶとくステップが生き残っていた。
地元だったので、歌舞伎町の帰りに立ち寄ったりしてた。

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