新宿 1978■新宿 1978年 ミュンヘンディスコ全盛期■ディスコといえば、ミュンヘンサウンド! ミュンヘンサウンドと言えば、やはり新宿! というわけで、1977年から1978年にかけては、自分自身がディスコに最も足繁く通った時期だ。 サタデイナイトフィーバーの影響で、この頃デビューした人はかなり多い。 とは言っても、やはり主体はツッパリ系か先端の大人の遊び人・ファッション関係のOL等がメインで、普通の高校生とかサラリーマンはほとんどいなかった。 踊り方は初心者はツーステップ 中級者以上はオカマダンス・ファンキーダンスだったが、曲によっては「宇宙のファンタジー」「ゲットオフ」のような簡単な振付や「おしゃれフリーク」「マストビーラブ」等で踊られいてたフリーク(2人が向かい合って手の平を合わせ、横にスキップしながらずれる踊り)、「ナイトフィーバー」やKCの「セイムオールドソング」(ニューソウルCC)のようなステップも少し残っていて非常に多彩だった。 この頃はなんといってもDJの存在が大きかった。 ちなみに当時のDJスタイルは、今と違って「ミックス」「つなぎ」のテクニックを争うものではなく、ひたすら「しゃべりのセンス」で個性を出していた。 また、町で配られていたディスコのメンバーズカードも各店舗ごとに個性があって、今となっては涙チョチョキレモノの懐かしさだ。 当時のDJの教科書になったのがFENの「ドントレーシーショー」のMCです。 私も毎週聞いてましたが、その多少誇張した英語の発音とクールな言い回しが、非常にかっこよかった。 それをベースにして、当時のDJは日本語と英語のチャンポンで曲の紹介やアーチストの紹介、ビルボードで赤丸何位だとか、所属するレコード会社やプロデューサーの紹介などを、しゃべっていた。 「BPMに合わせたしゃべり」というか、曲の雰囲気によって、メローな曲はまったりと、BPMの速めの曲は軽快に、そしてドロドロのファンクは英語混じりでブラザーっぽくしゃべり分けれらのが「一流DJ」の証だった。 この頃のカリスマDJと言えば カンタベリーハウス系の「オーティス中村」さん Tomorrow USAの「ジュリー」こと鈴木昇二さん チェスタバリー系の「赤シャツ」こと松本貢さん ブラックシープの「アベ」さん インデペンデントハウスの「ジョイ吉野」さん 等が有名。 彼らカリスマDJ達は「U-DO」(UNITED DISCO OBJECT)を結成し、名曲「ギブイットトゥーミー」を世に送り出し、一世を風靡した。 さて、そんな新宿全盛期にはどんなディスコがあったのか。 ここでは、実際私が行ったことのある箱のみをご紹介する。 池袋の「アダムスアップル」は新宿ではありませんが、赤羽線・東上線・西武線沿線の不良達に非常に人気があったのでこれもご紹介。
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