塾代表紹介
塾代表の福島です。塾長ではありません。当塾は「ナカシマ塾」の系譜を汲むものであり、塾長は「中島福子先生」です。私はあくまでも現在の塾を代表する立場として存在します。■プロフィール(地元で開塾しているので、格好良く取り繕っても無駄。ということで、ありのままに書いております。)〓小学生時代〓いじめられっ子であった。故・長島恭子先生との交換日記を卒業まで続ける。現在の作文指導の原点となっている。小学5年生までに図書室の本を辞書以外ほぼ読み終える。中学時代一切勉強する必要がなくなる。某H先生より「あいつは勉強のできる気違いだ。」とのお言葉を戴く。〓中学生時代〓心機一転、「ヤンキー側」に転身する。たいしたことはしていないが勉強もしていない。おかげさまで、友人から「お前、高校どこいくん?」との問いかけに「まつこう」と答えれば「松阪工業か?」と言われ、「違う違う なんこうや」と言えば「ああ、飯南高校か」と言われる始末。川田公也先生(現・三雲中学校長)から「お前は東大か刑務所のどっちかに行くやろうな。」とのお言葉を戴く。しかし、現在「東大か刑務所」ではなく「食っていけるかいけないか」のハザマで揺れ動いている。たまたま遊びに行ったナカシマ塾で、中島先生から「大学生になったらバイトに来てくれ。」と言われる。この言葉で人生が大きく方向転換する。〓高校生時代〓バスケットボールと麻雀にはまる。勉強はしていない。高3の1月2日までバスケ部の後輩指導にあたる。その結果、当然浪人生となる。〓大学生時代〓小学校からの夢「医学部」に疑問が生じ、近いからという理由で「鈴鹿医療大学」に進路を決定する。その際、国立大学の2次試験をすっぽかすが、センター試験選抜とやらで受けてもいない大学に合格する。結果、国立に行かせたい父と大げんかになる。ナカシマ塾でのバイトを始める。冬期講習に明け暮れていたら、冬休みに行われていた実験に気づかず、留年するハメになる。〓その後〓ナカシマ塾に就職する。一度大きいところを見てみたいと「星伸スクール」に転職する。教室長を打診されるところまで行くが、ナカシマ塾に戻る。ナカシマ塾・高校部代表になる。中島先生ご逝去に伴い、遺言に従ってナカシマ塾を受け継ぐ。現在に至る。