テーマ:映画館で観た映画(8348)
カテゴリ:映画★アニメ
その1から続きます。
ところで、この中に出て来た『シュナの旅』ですが、これは、宮崎駿の絵物語で、しかも、かなりマイナーなものなので、どれくらいのひとが知っているでしょうか。 私はこの作品がアニメにならないものかなーとずっと思っていました。ただ、ものすごく暗くて、かなり悲壮な話なので、多分アニメ化は無理だろうなと思っていたのですが。 今回ゲド戦記の中にでてきたので、おおっと思ったのです。 アレンが人買いに捕まって四角い車にのせられて、鎖のついた首輪のつけられているシーンがそうです。『シュナの旅』は全編こんな調子でほんとに暗い話です。でも、できれば宮崎駿監督にアニメ化して欲しかった。 なぜ今回後半の手抜きをしてまで、この『シュナの旅』をこの映画の中にもぐりこませたのか。やはり、作りたかったんでしょうね。まず、映画興行的には絶対映画会社からOKはでないだろうな。 ほんとすごい話ですよ。しかも、絶版になってるかと思ってたら、まだ売ってました。 ゲド戦記のアースシーの世界は今回のアニメでは、地中海のイメージで作られていましたが、私はあの地図を見ていると、もしかして、東南アジアかなと思っていたのですね。西洋の人たちにすると、多分アジアの方がエキゾチックで神秘的なんじゃないのかな。 それで、『シュナの旅』を見てると、大体舞台がアジア、中国から、モンゴルのあたりのすごい昔の時代あたりを設定してる感じなのですね。でも、ほんとはチベットの話がもとネタらしいけど。 ものすごく貧しい作物の育たない土地から、穀物の種を求めて一人の少年が旅立つ。少年は旅の途中で人買いに捕まった少女を助け出す。この少女がちょっと今回のテルーとイメージが重なる感じです。そののち、地の果てまで旅して、精神的にもぼろぼろになった少年を少女が助け、二人は穀物の種を手に入れて、少年の故郷に帰っていく。アジア中央部の高地のイメージなのです。もっとも、もとはチベットの民話だそうで、『もののけ姫』にでてくるヤックルも元はこの本からなんだと思うんだけど。ジブリアニメを見ていると、時々ここから、エピソードを少しだけ持ってきてるなと思う部分が点在しているのですね。ヤックルなんかは南米のラマに似ている気がします。 ジブリの気持ちはわかるけど、『ゲド戦記』と『シュナの旅』を混ぜちゃうのはやっぱりちょっと無理、むちゃなんじゃないですか。 『シュナの旅』はちゃんと『シュナの旅』として作ってください。見に行きますから。DVDも買いますから。 というわけで、監督日誌を読んでくると、原作全部読んでも、どうストーリーをまとめていいかぜんぜんわからなかったらしい。すごい不思議。この監督は『ゲド戦記』に惚れてアニメ化したかったわけじゃないのかな。影と戦う、世界にせまる闇と対峙するという一番肝心な部分をすっぱ抜いちゃってただの少年の成長物語にしちゃったら、ゲド戦記の意味ないじゃん。なぜそんな状況でも、アニメ製作がつづいたのか、OKが出たのか。謎であります。まとまらない挙句に『シュナの旅』を読んで話をまとめたってことはほんとに別物の作品てことだ。 で、いろいろと見てると、この鈴木敏夫っておじさんがなかなかどうしてくせものだ。宮崎吾朗がなんかか困ると横から余計なアドバイスしてるのがこのおじさんみたいなんだけど、なんだか、ウマーク手回しして、監督のきづかないうちに、鈴木氏の思う壺にはめてるような気がします。実をいうと、この鈴木敏夫がアニメ映画攻殻機動隊のタイトルを『イノセンス』なんてとんでないタイトルに変えちゃったんだよね。私にすると、絶対『ゴースト・イン・ザ・シェル』の方がいいと思えるのに、どういう感覚で『イノセンス』なんてタイトルに変えられるんだか。 でも、それで通っちゃったんだよね。たぶん、プロデューサーとして、人を説得する力量だけはピカイチなんだろうと思えます。で、この人、アニメの事本当はわかってないんじゃないのかな。なんで、この人がジブリスタジオの中に入り込んじゃったんだか。さらに謎です。でももう、宮崎駿監督がいない今、誰がプロデューサーだろうと、ジブリがおしまいなのは同じですね。ちょっと厳しすぎ だって三十代後半になってからやっとアニメの世界に入ってきたという段階で、既に才能はなさそうだ。なにしろこの世界って才能があれば既に十代でデビューしてるか、アニメの世界にかかわってるかしているはず。三十代まで、手をだしていなかった人間を連れてくるのはおかしい。無理があると思いますよ。所詮宮崎駿の絵を真似ることしか出来ないという段階でね。自分の個性がこの年齢で出ていないというその事実で既にね。 で、鈴木俊夫氏のインタビュー読んでると、どうも、宮崎駿はおよそ乗り気じゃなかったみたい。父親なんだから、家で見てれば吾朗氏に才能があるかどうかくらいわかる。彼にアニメーターの才能があれば十代のうちにジブリに既に引き込んでいるはずで、息子の才能にきずかないはずはない。それがこの年までほっといたと言う事は吾朗氏にはアニメーターとしての可能性が見えなかったからだろうと思う。 インタビュー記事では鈴木氏はかなりうまく会話の内容をゴマしているが、宮崎駿は、もし上手くいかなかったら、途中でもやめさせますとまでいっている。そして、アメリカの原作者ル・ヴィンに、交渉に行くときも吾朗氏は行っていない。監督本人が交渉に行っていないなんてこんなばかな話はないだろう。しかも宮崎駿を宮崎吾朗だと言ってル・ヴィンに紹介しているのである。 やはり、監督本人が来ないのはおかしいと相手が考えることを想定したのだろう。そして、本人吾朗氏を連れて行けばその才能がない事は見切られてしまうだろうことも鈴木氏は多分わかっていたのだろうと思う。 なんとも姑息というか、プロデューサーとしては確かに敏腕なのだろうと思うのだけれど。商業的な才能はあるのかもしれないが、アニメーションがなんなのかは、あきらかに、わかっていない。今回のゲド戦記の今までにはないような過剰なまでのプロモーションといい、スポンサーを見つけてきたり、口説き落としたり、そのあたりの力量だけは見事であるし、アニメ作家のような技術系芸術系人間は、その手のことには疎いのだから、もちろんこういう人材は必要なのではあろうけれど、しかし、アニメーションを理解していない状況で、こういう表面だけを取り繕って、商業ベースにのせるようなことを続けていけば、最初は良くても、いずれ、アニメーションの質が落ちていってしまう可能性だってある。目先の発展だけを追いかけてしまっては、日本が世界にほこるアニメ文化がダメにされてしまう。 まさに獅子身中の虫のように見える。 吾朗氏を本当に育てようと言うなら、周りはアドバイスをしすぎる。初めての作品製作なのだから、もっともっともっと産みの苦しみに向かい合い、自己と対峙する必要があったのではないか? 本当に残念でならない。 『シュナの旅』とそのもとネタとなった話を書いてあるのがここ。読んでね。 『攻殻機動隊』だ。これはこれで面白い。分野はぜんぜん違うけどね。
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