テーマ:映画館で観た映画(8311)
カテゴリ:外国映画 は行
原作は日本だけど、邦画じゃないし、舞台は中国だけど中国映画じゃないし、洋画でもないし、香港や韓国のスターや監督もいて、エーこれってつまりなんて言えばいんでしょう。 ずばり、無国籍映画? 無国籍料理って食べてみると、日本食と中華と韓国と東南アジアなんかの要するに全部混ざったような料理だったりしませんか。 アンディ・ラウ かっこいい あんまり海外のスターって知らんかったのですけどね。なにやらすごい大スターらしい。 でも、原作の革離はちびでデブではげなんだよ。ってつまり3Kですねえ。 もう今回は先に原作読んじゃったから、なあ。映画は見てから原作読んだ方が新鮮でいいですね。ストーリー知っちゃってると、サプライズがないんだもの。あーあの部分はこんな風に作ったんだなあと。ただ、ほぼわかってるぶん、セリフのひとつひとつの意味自体はわかりやすいですね。 で、それでいうと、うーん、墨子集団の非攻の思想が役者のセリフでちらっちらっと出てくるだけなので、知らない人たちが見てると聞きおとしたり、あまり理解できなかったり、しちゃって墨子集団の攻防戦というよりただの守城戦にしか見えないで終わっちゃうかなあと。 攻防の技術の一つ一つの策が墨子教団が考えたものなので、革離だけの頭脳じゃないんだよね。 それに、その策が原作とは結構変えてあるんですよね。それでもそれはそれで十分楽しめたし、小説や漫画では表現し得なかった中国独自の城の景色や兵隊そのほかの登場人物の衣装なんかがすごく中国らしくてリアルでそういう部分が見られたのは良かったですね。建物の重厚な感じとか。中国らしい装飾とか。どうしても日本の漫画では表現仕切れなかった部分なので。それを本場の中国で撮影してあって中国語で話されていて、もうその部分に関してはかなり楽しい。リアルさがちがうものね。 原作にはなかった女戦士(ファン・ビンビン)がかわいいのです。美人です。 原作では梁城の王子梁適が自分の寵姫を革離に殺された恨みで革離を射殺すのですが、その部分のエピソードをうまくつくりかえてありました。自分の立場を危ぶんだ梁王によってせっかく城を守ってくれた革離を追い出しちゃったりする。そして、革離は人を愛することが理解できないという部分を、実際に革離が愛した女性が死んでしまうことで表現していました。 なんといっても革離が若い! 原作では百戦練磨の達人なんだけど、映画では守城は初めてというぺーぺーの設定なんですね。それでも、墨子教団で習ってきた守城法を駆使して、みごと梁のお城を守って見せますが、原作の細かく計算された数々の戦法が描ききれていないのが惜しいですよね。だって攻坊戦なのに、城の中の人たちは食事を贅沢なままにしてるんだもの。それに原作では半年以上かかってるものを一ヶ月に、二万しかいない兵隊が十万というように設定変更されちゃってるぶんかえってつまんないんですよー。 それでこの新人という若い革離という設定によって、原作にはなかった敵の兵隊の死にショックをうける革離というシーンを描き出すことで戦いによる死に敵も味方もないという表現を可能にしてあるし、そのことに戸惑う革離という原作にはない描写があるんだけど、それが新鮮でもあるんだけど、でもそのせいで原作のもつ独特の面白さがありきたりの道徳観的テーマになりかわっちゃったなという惜しさも感じざるを得ないという微妙な部分です。 そのせいで原作にある戦場の非情さと、その極限での展開によるテーマの表現が鈍っちゃうのですよ。 初めて恋を知って、恋人の死によって愛の大切さを知る革離は原作とは違う描写によっているんだけど、ま、死ぬ直前に知るよりはずっといいけどさ。 ただ、この映画だけだとたぶん墨家ってなに?って感じだと思う。 作中に 「大国小国といっぱいあるからもめるんだから、大国によって一つにまとまってしまえば戦争もなくなるんじゃないか」 というセリフが出てきて、それに対して革離が 「いやそれは違う。それぞれがちゃんと充実してその上で平和である方がいいんだ」 って会話があるけど、どのくらいの人がこのセリフに気づくかなっとちょっと疑問でした。こんな風に何気なく一回だけの会話だとちっょとこの重要な部分が果たして観客に伝わりきるかどうか。 大切な部分なんですよー。 だって原作では革離と墨子教団トップとで交わされる会話なんだもの。 そして、その後の墨家のあり方自体にすごく影響する考え方なんだもの。 こういう大切な部分は何度も何度も言わないとお客さんの意識に残らないので、何度も何度も作中で言ってほしいなーと思うのよね。テーマはしつこいくらいじゃないとだめだよ。 で、一つの国がまとまる上で内乱て言うのはある意味必要悪かもと私も思うわけですが、じゃあ今現在の世界情勢を考えた時、「アメリカによって世界のすべての国が制圧されて、世界中の国が一つの国になってアメリカによって政治経済が支配されたら、平和になっていいんじゃないか」と言われたら、それはちょっとやだなっと思ったんですね。 やっぱり日本は日本のまま日本の国として日本人で政治も経済もやっていきたいと思う。その上で世界のそれぞれの国がきちんと自分たちの国を治めて、他国を侵略なんかしないで、その上で世界全体で平和にお互いを尊重しあって暮らしていく方がいいと思うから。 だからやっぱり春秋戦国時代のこの時だって、それぞれの国はその存在をきちんと認められてそれぞれに平和に暮らした方が良かったはず。革離がいうのもそれだと思うんだけど、実際にはこのあと秦によって中国は統一されます。その王様があの有名な始皇帝なんですよ。 で、この秦の成立以降墨家集団は消えてしまうのだそうです。それは抹殺されたからなのか。それとも裏で秦をあやつった墨家がそのまま秦の中に入り込んで浸透してしまったからなのか。秦自体はその後十数年で終わってしまうのだけれど、それ以降中国という国は周りの国々を侵略したり制圧したりすることもなく、アジアの中心でその主軸国として長くその歴史を刻んでいるわけで、ヨーロッパが海外進出して植民地とか作ったりして外向きの政治経済体制を取っていたのと対照的に外にでるとい方向性ではなく、自国を守りその場にデーんとあり続けていたその中国という国の姿勢は実は中国という国の底辺に沈殿してしまった墨家の思想が中国の中に無自覚にあり続けた結果なんじゃないのかと思うわけです。 えーと例外としてモンゴルのジンギス・ハーンに制圧されて侵略戦争を繰り広げた時代がありましたけど、これはモンゴルのやったことだし、もしこのときまで墨家の守城技術が維持され続けていたら、中国はジンギス・ハーンに支配されることなく、守り通せたかもしれないんじゃないかとか、想像できますね。そのあとのアヘン戦争なんかでも、イギリスにいいようにされちゃって。墨家の非攻の思想だけが残って、防衛のテクニックが消滅してしまったのはもしかしてすごく惜しいことなのかも。それでも、結局中国は中国としてなくなることなく、存在しつづけているわけですから、やっぱりすごい国ですね。 墨家はなくなっちっゃたけど、中国という国に非攻の思想だけは根付かせられたんじゃないかとも思います。 というところまで映画だけ見ててもわからないけど、でもとにかく墨子って人がいたことと、墨家っていう集団があったことも、非攻っていう思想がすでにこの当時あったってこととかわかってもらえるだけでもかなーり意義はあるんじゃないかと思う。 映画としては結構面白かったから、みなさん見に行ってくださいね。 久しぶりにパンレット買っちっゃた! 原作の小説の感想はこちら
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