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2007年09月10日
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カテゴリ:外国映画 ま行
マリー・アントワネットといえば、イコール『ベルサイユのばら』で、私たちの世代に知らない人はいないくらい。

そして、贅沢三昧の生活で国庫の財政を破綻させ、フランス革命勃発のきっかけをつくった極悪の美女ってイメージなんだけど。けれど、この映画では、そんな描かれ方はしていないようでした。

  マリーアントワネット

フランス王妃といえば、周りにかしずかれ、敬われて暮らしているというイメージなんだけれど、映画の中では主演のマリーアントワネットのヌードシーンが何度も出てくるのだ。マリーは、貴族たちの前で全裸にされて、着替える。食事も回りに大勢いる貴族の前で行わなくてはならない。羞恥心もプライバシーも持つことを許されない。

14歳でフランスに嫁いだ彼女は国境の地で全裸にされて、すべてフランス製の衣類に着替えさせられ、オーストリアからは、何一つ私物をフランスに持ち込むことを許されない。愛するペットの犬も、なじんだ侍女も。

ベルサイユに着いた彼女は貴族たちの並ぶ中を宮殿にはいる。貴族たちへの顔見世の場面だ。まるで見世物のように。

新郎新婦は貴族たちの見守る中で、自分たちの初夜のベッドに入る。ベルサイユ宮殿の部屋はドアがなく、プライバシーもない。彼らのベッドに天蓋がついているのは、部屋にはいってくる人たちからの視線を防ぐため。私室といえども、多くの人々が出入りするのだ。
唯一のプライベートな空間はベッドの天蓋の中だけなのだ。しかも、初夜の翌日には、マリーとルイの間に何もなかったことが既に宮殿中に知られているのだ。

朝の着替えの時も、いきなり貴族の婦人たちの見守る中で全裸にされる。寒くて凍える彼女のことは二の次で次々と順繰りに高位の夫人が現れるために、マリーはいつまでも裸のまま待たされるのだ。彼らにとってマリーが寒いかどうか、快適かどうかなんていうのは関係ないのだ。
貴族の夫人たちは、マリーの着替えを手渡すという重要な仕事をする権利を持つことで自分の存在と地位が守られる。そのことのほうが大事なことであって、彼女にかしづいて世話をしているわけではない。マリーは王太子妃として、敬われて、かしずかれて、世話を受けているわけではないのだ。

毎朝、天蓋をあけて、大勢の貴族たちが彼女の起床を見守る。そして、マリーに着替えを手渡すのは、貴族の上位の夫人たちの仕事。特権なのだ。貴族たちは、マリーに着替えを渡す仕事をすることで自分たちの存在意義を確保するのだ。王太子妃、王妃の世話をするために存在する。そういう言い訳を用意することで、貴族たちは、王の周りに群がり自分たちの存在意義を確保し、既得権益を行使することで、甘い汁を吸い、働くことも民衆のことを考えることもなく、日々を快楽の追求だけに送る。

だから、彼らにとって、王、王妃の存在は絶対であり、王も王妃も、そのあとをつぐ、王太子も王太子妃も、彼らの生活と、地位の確保のために絶対に必要な存在なのだ。

それゆえに、世継ぎの王子を産まないマリーは、王からも、実母のマリア・テレジアからも、貴族たちからも、攻め立てられ続ける。

宮廷で一番高位のはずの彼女は実は貴族たちのための存在でしかない。
その寂しさとストレスゆえにやがてマリーは、ファッションや服、靴、食べ物、ギャンブルへと走っていく。国庫の財政をおびやかすほどに。

けれど、やっとのことで第一子の王女を産んだ彼女は、現代の私たちが子供を産んだ途端、自然食や無農薬野菜、無添加食品、公園などの屋外での遊びや、自然や虫や動物に関心をむけはじめるように、王女のためにフランスの農家を模したプチトリアノンに住み始め、やがてすっかりそこにこもって、数人のお気に入りの友人以外とは接触しなくなる。マリーにかかわることで自分たちの存在意義を確保していた貴族たちとの接点を一切切り始めるのだ。

プライバシーの一切ないベルサイユ宮殿の生活からのがれて、プチトリアノンにこもり、王妃としての責務を果たさない彼女はやがて、貴族からも切り捨てられてしまうのだ。

「ベルばら」では、ハンサムで誠実そうに描かれていたフェルゼンはこの映画ではイケメンで女ったらしのプレイボーイであり、マリーとの一時の恋の相手でしかない。フェルゼンとの関係ののち、マリーは世継ぎ王子をやっと出産することが出来るのだが。

王妃にとっては、世継ぎを産むことこそが最重要事項。けれど、すでに、貴族たちは彼女を見放し始めていたのだ。

物語の前半では、オペラをみて感動した彼女の拍手に賛同して、貴族たちが劇場中に響き渡るような拍手をする。ところが、物語の後半では、マリーの拍手に誰も賛同しない。ただ、シーンと静まり返り、マリーただ一人の拍手だけがむなしく響く。劇場の中で、マリーは自分が既に貴族たちを敵にしていることを知る。

いままで、一般的には、マリーアントワネットの贅沢ゆえにフランスの財政は破綻し、税金がどんどん増やされ、それに怒った市民たちによってフランス革命が始まったといわれてきた。けれど、マリーが贅沢な暮らしをしたのは、王女が生まれるまでのほんの一時期だし、財政破綻の実際の原因はアメリカ独立戦争への支援金のせいである部分も多そうなのだし、ルイは側近のいうがままに、国民の生活より、アメリカへの援助を優先させてしまう。
マリーはそういった一連の事件のフランス革命のネタ作りのために利用されたに過ぎない。

王のルイも王妃のマリーも若すぎて、国のリーダーとしては、無力すぎた。

おしゃれをし、おいしいものを食べ、夜な夜な遊びに行くなんて、いまどきの普通の若者の普通の生活に過ぎない。現代であれば。それが、王妃であるゆえに責められる。常に衆人環視の中での生活。人々の見守る中で全裸にされての着替え。出産すら、貴族の男女の見守る中でなのだ。

普通の女性なら、そんなところから逃げ出して、普通のプライバシーのある生活をしたとしても不思議ではない。けれど、それが許されなかったのが、当時のフランス王室であり、社会体制だったのだ。

貴族社会から逃げ出したマリーはやがて、貴族たちから見捨てられる。貴族たちにとってマリーの存在が必要だったように、マリーの地位もまた、貴族たちによって守られていたのだ。

フランス革命はマリーや貴族の贅沢と、財政破綻とロベスピエールなどの革命をうったえる思想家の出現ゆえだと、いわれてきたけれど、もし、マリーが貴族たちとのプライバシーのない生活から逃げ出さず、王妃としての自分の務めをはたしていたのなら、フランス革命はおこらなかったかもしれない。

フランス革命は思想家によっておきたのではなく、マリーを守ることを貴族たちが辞めてしまったことでおきたのかもしれない。

社会は長い時間の間に成熟し、爛熟し、やがて腐り始める。腐りはじめた社会の上層がその利権にたかっていった時、革命がおきて、社会構造はリセットされる。

けれど、フランス革命は実際には早すぎたのかもしれない。革命によってフランスの社会はリセットされたけれど、結局民主的な政治形態にはなりえず、もう一度皇帝による帝政になってしまったのだから。

王室とその周りでうまい汁を吸う貴族。そんな貴族社会が嫌で、メイフラワー号に乗って新大陸に渡った人々の子孫は、そののち、アメリカの中で、貴族社会に似た上流階級となり、ヨーロッパと似たような貴族社会をアメリカの中に作り上げている。

あるいは、先日見た『SiCKO』のように、保険会社の利権に群がり、保険加入者がどんな目にあおうとかまわず、保険金を払わずに、その収入を自分たちの懐に入れてしまうような人々のいる構造を作り上げているというのは、革命当時のフランスの貴族社会とかわらないのではないか。

あるいは、日本の社会の上層部で誰にも知られないように、汚職を繰り返す人々は、貴族となんら、変わらない。世界は専制君主政治から民主主義にかわったけれど、いなくなったはずの貴族たちはやっぱりぞろぞろといて、国民の生活などおかまいなしに自分たちの利益だけを吸い取っている。

普通にオーストリアの貴族と結婚していれば、幸せに暮らせたかもしれないマリーアントワネット。

そんなマリーが王妃として、王妃らしい行動をとったのが、有名な「民衆の前でのバルコニーからのお辞儀のシーン」なのだ。マリーはこの時初めて王妃になったのだ。

ラストシーンで市民に馬車にのせられ、ベルサイユからパリに護送される時よりも、ベルサイユ宮殿でたった一人、しゃがみこんで部屋の片隅で泣きくれるマリーのほうがよっぽど、かわいそうで痛々しかった。

王妃というのは、国で一番えらいはずの女性なのだけれど、本当は貴族たちのための着せ替え人形でしかなかったのか。

『ベルばら』では、専制君主制から民主主義社会への変革と、思想を描いているけれど、実際には今現在もあいかわらず、社会には擬似貴族が存在し続けているのではないのだろうか。

政治形態が専制君主制でも、民主主義でも、結局甘い汁を吸って自分たちだけがいい思いをするような擬似貴族は必ず現れるのだとしたら、この先いったいわれわれはどんな社会をつくっていけばいいのだろう。


とにかく、主演のキルスティン・ダンストのヌードシーンが多い。最近『ベルばら』を読んだ娘が見たがって途中まで一緒にみたり、そのあと彼女一人で見たんだけど、フェルゼンと関係するシーンでも、ヌードだったりして、これR指定じゃなかったっけかなと考えてしまった。でも、娘のクラスメートは劇場まで見に行ったというから、子供オーケーだったわけだ。跡継ぎを作るために夫をその気にさせるのは妻のつとめだなんて母親のマリア・テレジアに手紙で説教されるシーンや、ルイ15世とその愛人がベッドでじゃれて遊ぶシーンもあるし。いいのかなあ。本人が見たいというので見せてるけど。テレビや、劇場での宣伝フィルムは、マリーがおしゃれしたり、かわいい靴やおいしそうですっごくおしゃれでポッブなケーキなんかがいっぱい出てくるので、そういう映画かなと思っちゃうけど、実際には映画のほとんどが子供作るの作らないのという内容で、こどもにはどうかと思います。
それでも、いマドキのおしゃれな音楽やかわいい生地のおしゃれなドレスはなかなかにすてきでした。


 追記もあります。

               

     マリー・アントワネット@映画生活





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最終更新日  2017年06月05日 08時05分30秒
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