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第9回憲法学特殊講義

3.人権擁護法案の問題点
 ここからは、人権擁護法案が内包している問題点を1)人権擁護の「規範」2)人権擁護の「主体」3)人権擁護の「客体」の各論点から考えたい。
‐1、不明確な「総則」
(1)ここではまず、人権擁護法の「規範」、つまりこの法が何を目的としているか、どのような定義で用語を用い、法を運用しようとしているのかを確認することにする。
法案1条ではこの法案の目的が定められている。
第一条 この法律は、人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防並びに人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずることにより、人権の擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的とする。
同条によればこの法案は、人権侵害によって被害が発生、あるいは発生するおそれのある場合に、1)被害の適正かつ迅速な救済またはその予防のための措置、2)人権尊重の理念に関する理解を深めるための啓発に関する措置を講じ、3)それらの措置をとりつつ、同時に人権擁護に関係する施策の総合的な推進を図り、人権が尊重される社会の実現に寄与することを目的としている。これらの内容は1991年に採択された「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」(*6)に則っているものと言える。
 しかしこの条文には、不明確な点がいくつもある。
なぜなら、そもそもここにいう「人権侵害」とは『誰が』発生させ、あるいは発生させるおそれがあるものなのかという定義づけもなされていないし、なぜ現時点で人権擁護法案を定められねばならないのかという理由も明らかにされていないからである。
その結果、曖昧なスタンスで目的が定められているため、今後逐一取り上げていくが、法案でそもそも問題となる「人権侵害」とは何であるかがきちんと定まっていなかったり、政府からの独立性を欠いたままという不十分な形で人権擁護のための組織が規定されていたり、条項の中において一方で差別や虐待という問題を取り上げながらもう一方では特別救済という特に重い人権侵害に関する規定の中でメディア規制をするといった、レベルの違う人権侵害を一括りにしたりといった事態が生じているのである。これは、起草者が個々の人権を詳細に検討することなく単に「人権侵害」という形式的なカテゴリーでまとめてしまったことに原因があるように思われる。
(2)それではこの法案における「人権侵害」というのはどういったものを指すのだろうか。この点2条では「人権侵害」の定義を「不当な差別、虐待、その他人権を侵害する行為」としている。
第二条 この法律において「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。
2 この法律において「社会的身分」とは、出生により決定される社会的な地位をいう。
3 この法律において「障害」とは、長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける程度の身体障害、知的障害又は精神障害をいう。
4 この法律において「疾病」とは、その発症により長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける状態となる感染症その他の疾患をいう。
5 この法律において「人種等」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病又は性的指向をいう。
 しかし単純に考えても、『人権侵害とは不当な差別、虐待、その他の人権を侵害する行為をいう』という表現は抽象的に過ぎないだろうか。確かに弾力性を持たせ、適用の幅を広くすることは必要かもしれない。しかし明確な定義なしには、常に恣意的な拡大解釈の危険がついて回り、不当か否かの判断において多分に人権委員会(後述)の主観が入ってしまう。こういったことは、取り締まる側にとって、市民的自由を統制する絶好の手段となり得るおそれがあると思われる。
加えて、『「不当な差別」及び「虐待」』と『(抽象的な)「人権侵害」』というのは次元を異にするものを同列に論じているのではなかろうか。なぜなら「不当な差別」は相対的平等、「虐待」は身体の自由に反しているためどういった理由があっても許容されるものではないが、表現の自由と個人の名誉・プライバシー権の衝突、経済的自由と表現の自由の衝突、表現の自由と公共の利益との関係など「人権」が問題となる場面は様々であり、同様に「人権」の「侵害」の形も様々であって、そこにおいては考慮すべき事実や利益は異なり、また人権や利益の相互間の調整原理も一つではないからである。
 このように様々なケースが一括して含まれるような表現で、公的な人権救済機関による各種の「人権救済措置」の対象である「人権侵害」の概念を定めることは、法案の運用を不安定にする要素になると言えるだろう。また、「差別」や「虐待」についての定義もなく、「不当な」差別とはどのような差別なのかも説明がなされていない。だがこれらの意味についても明確にしておかなければ実際に救済の必要が生じた場面において混乱が生じるであろう。
 これが問題として具体的に現れてくるのは3条である。3条では禁止される人権侵害の内容を定め、その1項では他人に対して行ってはならない人権侵害として公務員による差別的取扱い、物品販売業者等による人種などを理由とする差別、労働関係における事業主による人種等を理由とする差別、加えて差別的言動や性的いやがらせ行為を挙げている。
 しかしここにいう「不当」な差別的取扱いとは何だろうか。第2条によれば、「人種等を理由とする」とは、人種、民族、信条、性別、社会的身分、門地、障害、疾病または性的指向ということになるが、これらの中には、一方で感染力の強い伝染病(疾病)など、一定の差別的取扱いが許容されるのが合理的とされるものもあれば、他方で、人種や民族など、合理的差別が許される領域とは考えられないものもある。このようにそれぞれ性格の異なる「人権」の内容について、それをひとまとめにして「不当な差別」を禁じるという定め方は、「不当」か否かの認定に混乱をきたし、ひいては人権救済の実効性をさまたげる要因ともなりかねない。「人権」概念を明確にし、性質による分類を行う必要があると思う。

‐2、強権的な「新しい人権機関」
(1)本節では、人権擁護法案における人権擁護の「主体」、すなわち人権の「守り手」について見ることにする。
先にも述べたとおり、法案は「新しい人権機関」の創出を定めている。人権委員会(第5条以降)がそれである。だがこの人権委員会も、多くの問題点を有している機関なのである。
 まず、独立性の観点からの問題である。
第5条によると、人権委員会は国家行政組織法上のいわゆる3条委員会として、法務省の外局として設置することとしている。
第五条 国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項の規定に基づいて、第一条の目的を達成することを任務とする人権委員会を設置する。
2 人権委員会は、法務大臣の所轄に属する。
 パリ原則において、国内人権機関は「人権の促進及び擁護に関するすべての事項について,関係当局の要請に応じ,又は,上位機関に照会せずに問題を審理する権限の行使」が可能であり、「活動の円滑な運営にふさわしい基盤,特に十分な財政的基盤を持つものとする。この財政基盤の目的は,国内機構が政府から独立し, その独立に影響を及ぼすような財政的コントロールに服することのないように」すべきであるとしている。これは人権機関が立法府や行政府、司法府を含めこれらの機関の行う諸行為に対して人権の基本原則に合致するよう適切な勧告等を行うものとして位置づけられるからである。
 であるのに、このような機関を法務省の外局として設置するのは独立性の原則に反しないだろうか。そもそも法務省は、刑務所、拘置所、出入国管理局を管轄下においているのである。同じ法務省の機関である人権委員会が、これらの部署における人権侵害行為を抑止・排除することはあまり期待できないように思われる。なおこの点、国家機関すべてに対しての人権に関する原則の遵守の確保という点で疑問は残るものの、人権委員会を内閣府の所轄とすることで解決を図ろうとする説があることを加えておく。
そして、この委員会の組織は、第8条に定められているのであるが、委員長及び委員4人の計5名で構成され、うち3名は非常勤であるとされている。委員長は当然に常勤であるから、常勤の委員は結局1名である。このような状態で、常勤の委員に法務省関係者が任命されるようなことがあれば、その委員の意見が委員会の意見となる可能性が大きい。つまり、人権に関する問題が法務省の考え方によって支配される可能性があると言えるのだ。これは11条第2号に定める「罷免の要件」の恣意的運用の恐れ(*7)と相俟って、独立性に関わる大きな問題だと言える。
(2)次に、権限があまりに強大すぎるという問題である。
 法案第四章第二節では、第2条、第3条において規定される「人権侵害」があった場合に人権委員会が行う一般救済手続が定められている。これには、人権侵害による被害の救済又は予防を図るため、1)独自に、あるいは関係行政機関に協力させて行う「一般調査」(第39条)、2)国のその他の行政機関や地方公共団体、学校その他の有識者に前項の調査を嘱託する「調査の嘱託」(第40条)、そして3)必要な助言、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法的扶助に関するあっせんといった「援助」や、人権の侵害主体に対する「説示」、「啓発」を含む一般救済(第41条)に分類される。
 また法案第四章第三節では、特に悪質な人権侵害(特別人権侵害。法案第42条。詳細は後述)があった場合に、特別救済手続として「特別調査」(第44条)を定めた上で、「調停」(第45条ないし第56条)、「仲裁」(第45条ないし第49条、第57条ないし第59条)、「勧告」(第60条)、「公表」(第61条)、訴訟援助(第62条ないし第63条)、差止め(第64条及び第65条)の6点にわたる救済方法(詳細は後述)を定めている。
このような強力な権限を有しているのは、人権委員会が国家行政組織法第3条に基づくいわゆる「3条委員会」で、準司法機関として位置づけられているからである。もっとも、他の3条委員会である公正取引委員会や国税局なども強力な権限を有してはいるが、いずれも何を以って違反とするか、絶対的な尺度がはっきりしており、その点では問題はないのである。しかし人権委員会は先に述べたように絶対的な尺度が存在せず、思想や感情といった主観を元にこのような強力な権限を持つというのは非常に危険なことであると思われる。例えば、現状のように「人権」の定義も曖昧なまま、判断の極めて難しい心の問題・思想信条の問題に関して調査や勧告の結果の公表、あるいは差止めが行われた場合、それは間違いなく言論統制に繋がると言えよう。
(3)そうしたことから考えると、人権委員会の存在意義そのものに対する疑問すら生じてくるのである。
そもそも、人権侵害への対処が今日の日本社会が直面する重要な課題であるとは言え、このように包括的な形で人権侵害を対象とした、強力な規制権限を備えた行政機関を新たに設置するということは、政府による市民生活への過剰な介入と、憲法が保障する市民的自由への過度の制約をもたらすことにならないだろうか。政治部門からの独立性や中立性を制度的に保障され、厳格な手続きに則り法律専門家である裁判官が公正に紛争の解決に当たる司法手続きがすでに確立されているのである。にもかかわらず、独立性を有するとはいえ行政機関である人権委員会が、表現の自由や報道の自由に関わる事案も含め、人権侵害の救済につきかくも広範で強力な権限を行使することに、国家活動のあり方として正当なものとは到底言い難いのである。司法改革の途上でもあり、司法の活性化による裁判所の人権救済機能の強化こそがまず何よりも優先的に探求されるべきではないのか。
 確かに、国連のパリ原則や規約人権委員会による勧告等で、ある種の人権機関の設置が国際的に要請されてはいるが、国内人権機関のあり方は、人権をめぐるそれぞれの国の具体的な状況と課題に則った形で探求されるべきである(*8)。重要性や緊急性の高い特定の領域や課題(*9)に即した限定的な制度の導入であればともかくとして、過去世界でほとんど類を見ないような、このような強力な人権機関の設置が日本で真に必要といえるのだろうか。

次回に続く


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